2016年8月に観た舞台

劇団桟敷童子『夏に死す』
劇団初の現代劇。とはいえやはりいつもの桟敷童子。舞台は九州だし、ミツバチを育てる自然農園が出てきたりするし、美術や演出もいつもの感じなので、違和感は全然なかった。ミツバチ農園の部分は以前東憲司さんが外部で作・演出を手掛けた『夢顔』を思い出した。介護、老い、死、という重いテーマ。なのだけど、この芝居では出てくる人がことごとく「いい人」。東さん自身当日パンフで「現実はもっと厳しいと思います」と書いているが、そのとおりだと思った。この芝居はきれいすぎる、いい話すぎる気がした。最近は介護を理由とした殺人事件が異様に増えた。そんな状況からするとこの芝居で描いていることは甘いようにも思うが、たぶん東さんはそういう社会的なことよりも、こういう状況でも人を思いやったり他者と繋がりを持って希望を持って生きることの尊さ、を描きたかったのではと思う。

黒田育世新作『きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている』
10歳の女の子と黒田育世のデュオ。私が最初に黒田育世を観たのは2009年のBATIK『ボレロ』だったが、そのころとはまったく彼女は変わった。当日パンフの彼女の挨拶のとおり「過去と向き合ってそれに向けて祈る踊り」だった。子どもと一緒に踊ることで余計に黒田育世の老成を感じた。子どもは無限の可能性に満ちている。技術はなくとも身体は動く。子どもと一緒に踊る黒田育世は、技術があり身体も動くが、もう若くはない。けれどそのぶん、様々な経験を積んだ重みがある。二人をとおして「女性の人生」を思った。二人の女性は波であり、植物であり、鳥でもあるようだった。踊り自体は非常に地味で、私には退屈だった。私は昔の黒田育世の激しい踊りが好きだったのだ。しかしダンスをとおして彼女の変化を垣間見られるのは興味深い。彼女の「生」に思いを馳せ、私自身の「過去」にも向き合えた。

八月納涼歌舞伎第三部『土蜘』『廓噺山名屋浦里』
両演目とも、親子で出ていたりして出演者が豪華。そういう意味でも見応えがあった。
『土蜘』は、土蜘の精を演じた橋之助が圧倒的だった。橋之助の三人の息子たちも出ていた。うーん、同じ父の息子とはいえ、やはりいろいろ違うのね……。
笑福亭鶴瓶新作落語を歌舞伎にした『廓噺山名屋浦里』はほぼ現代劇。回り舞台を駆使してテンポよく話が進み、言葉もわかりやすく笑いが多いので、歌舞伎初心者にもおすすめできる。勘九郎演じた田舎侍は堅物すぎて笑えるし、吉原一の花魁を演じた七之助の美しさに目を見張った。二人が初めて出会って目を見かわすシーンで花火が上がったりなどの演出も的確。ラストの七之助の花魁道中の華やかさといったら……! 超絶美人。勘九郎七之助それぞれの良さが出ている。鶴瓶の息子は調子のよい門番の役で、いい味を出していた。

藤田貴大作・演出『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ、或いは、泡ニナル、風景』
ワークショップ公演とはいえ残念な出来。オーディションで集まった25人の出演者はちぐはぐな演技で、藤田作品の良さが出ていなかった。ゴールド・シアターの役者も出ていたが、まったく空気にそぐわない。すべての瞬間が間延びしていた。やはり藤田作品は、マームとジプシーの役者をはじめ、優れた役者あってのものなんだな……と思った。素人がやると、ほんとに素人の芝居にしか見えなくなってしまう。

8月の観劇本数は4本。
ベストワンは八月納涼歌舞伎第三部。

2016年7月に観た舞台

国分寺大人倶楽部『ラストダンス』
国分寺大人倶楽部の解散公演。今まで若者たちの青春や恋愛を描いてきた河西裕介が、最終公演で「大人」を描いた。恋愛に一喜一憂したり友人たちとワイワイやってた楽しい若い時代。しかし年をとると若いころのようにはいかなくなる。仕事に忙殺され、日常生活に追われ、人生がパッとしなくなり、親も老いていく。そんな厳しい現実を直視せざるを得なくなる。やりきれない人生にため息を吐きながら、それでも「生きる」ことを引き受けねばならない。毎回思うが、河西さんの構成力はすごい。小説的でもあるのだけど、演劇でしかできないこと。

On7『ま◯この話〜あるいはヴァギナ・モノローグス〜』
素晴らしかった。これをやったOn7の勇気に拍手。戯曲は女性たちのモノローグだが、そこにOn7の女優7人の生の声も入れ、女性器というテーマを様々な角度から描いたパワフルな作品。今までのOn7作品のなかで一番On7らしかった。アメリカで96年に初演された作品だが、まったく違和感なく観れた。翻訳・演出の谷賢一は、戯曲の良さを引き出し、それを日本人に伝わりやすくアレンジし、オシャレでスタイリッシュな舞台に仕上げた。それをOn7がやることでそこに熱い生々しい力が加わった。幸福な組み合わせだ。演じている女優たちは一見あっけらかんとしているようだが、恥じらいがある。そこがいい。彼女たち自身の話をする場面は、笑わせられたり唸らせられたり。 戯曲に出てきた女性たちの声も含め、いったいどのくらいの数の女性器が登場しているのか。舞台上だけでなく客席も含めたら。

ジエン社『いつまでも私たちきっと違う風にきっと思われていることについて』
ロロの「いつ高」シリーズの二次創作。ロロのこの作品は未見なので、比較して楽しむことはできなかった。この作品単体として見ても、自分にとってはそれほど面白くはなかった。ジエン社はオリジナル作品のほうが好きだ。内容は高校を舞台に高校生たちの友情や恋愛、スクールカーストなどを描いたもの。ストーリー性はなく、一人ひとりのキャラクターを見せる感じ。周りからちょっと浮いてる女子高生がいる。でもほかの女子も、話をしてみるとみんなそれぞれ違っていて、浮いてないように見えても浮いている。いじめられてるわけではないけれど、ライングループに入れてもらえないなど、スルーされてる女子。本人はそんなことは気にも留めていないかのように振る舞っているが、実は気にしている。……とか、そういう感じの内容。

燐光群『ゴンドララドンゴ』
1980年代、ゴンドラに乗ってビルの外壁補修作業をしている男二人の身体が入れ替わる。入れ替わった男二人を通し、バブルの時代、バブルがはじけ地下鉄サリン事件が起きた1995年、そして現在、を描く。私はバブルを体験していないが、その時代の空気を感じることができた。良いことも悪いこともあった時代。私もバブルを体験してみたかった。私はバルブがはじけきった後の空っぽの時代しか体験してない。テロをはじめとした現代の問題に対する目線も鋭く、見応えがあった。

松尾スズキ作・演出『ゴーゴーボーイズゴーゴーヘブン』
内戦状態にある国で男娼をしているトーイ。人質にされた先輩を助けにその国にやってきた作家の永野はトーイに恋してしまい……。というようなボーイズラブの要素もあるもののそういう話では全然なかった。笑わせながら今の世界情勢のキツさを描いている。あまりにヘビーな内容。でもやっぱり面白い役者が変なことやったら笑っちゃうし、もちろん松尾さんもそれを意図しているのだし、笑い上等という感じ。一方で「これ笑っていいのかな?」と感じている自分もいて。降板した女優の話は、役名からすると実際にあったことをネタにしているのかも。だとしたらあまりに辛辣すぎるが。いろんなネタをはさんで観客を楽しませつつもテーマはシリアス。その匙加減がすごい。役者では岡田将生の凛とした美少年ぶりが印象に残った。

7月の観劇本数は5本。
ベストワンはOn7『ま◯この話〜あるいはヴァギナ・モノローグス〜』。

2016年6月に観た舞台

木ノ下歌舞伎『義経千本桜』
極度の睡眠不足のため前半結構寝てしまったのが無念も、多田さんらしい演出満載で楽しかった。後半『渡海屋・大物浦』のクライマックスはすごい。終わり方はもっとあっさりめのほうが好み。今の日本に対するメッセージを入れたかったのだろうけど。

コクーン歌舞伎第十五弾『四谷怪談
忠臣蔵」を背景に、人々の欲望を描いたお芝居。主要人物のみならず、市井の人をきちんと描いている。どんな時代も人々は己の欲のために突き進む。基本、他人のことなど考えない。その結果周りを巻き込みひょんなことで恨みを買う。人間のドロドロした本能。男たちに翻弄される被害者であるかに見えるお岩やお袖だって、殺された父親や夫の仇討をしてもらうために男と一緒になるのだから、それもまた自分のためなのだ。人間の数だけ欲望があり、それが怨念となって全世界に膨らんでいく。ラストシーンは圧巻。斬新でスピード感ある演出で、複雑な話をわかりやすく見せている。ただスピード感があるぶんコンパクトにまとまりすぎている印象もあって、「歌舞伎」としては若干物足りなくもあった。

唐組『秘密の花園』東京千秋楽
やはりしみじみ良い本だな〜。唐さんのほかの作品に比べると派手さはないのだけど、比較的わかりやすいし、台詞もストーリーも情緒的で好き。前半は会話が多めだが、後半は水がどんどん降ってきたりと派手な演出。今回は若手の役者さんが中心だったが、皆熱演。役者のなかではかじかを演じた福本雄樹さんがよかった。若いイケメンなのだけど演技がすごい。滑舌がすごくよく、声がとおる。今後丸山厚人さん的なポジションになるのでは。久保井研もすごく味があっていい。なんなんだろう、この茫洋とした魅力は。美仁音ちゃん、もっと見たかった。私はこの作品の一幕の終わり方がすごく好き。ブラームスが大音響でかかり、ご不浄のドアが開くと、女が首を吊っている。そして部屋の扉から別の女(姉)が入ってくる……。この絵は痺れる。なんというかっこよさ。こんなに痺れる絵がほかにあるだろうか!東京千秋楽だからかテントは満員で、定員の275名以上の観客がいたと思う。熱気がすごかった。なんと唐さんも客席にいらっしゃり、カーテンコールで 「作、唐十郎!」と久保井さんに呼ばれてゆっくり舞台まで歩いていった。「やっと声が出るようになりました」と笑っていた。唐さんが登場すると場内大喝采。あちこちから「唐!」「唐!」「唐!」「唐!」と声がかかる。みんな、唐さんを見たくて見たくてたまらないんだよね(私も含め)。唐さんは本当にみんなに愛されている。

シルク・ドゥ・ソレイユ『トーテム』
「一度は観たほうがいい」とずっと言われていて、今回はロベール・ルパージュが演出だったこともあり、観に行った。これでもかというほど次々繰り出される芸に呆然。演目はバラエティに富んでいて、歌や小芝居もあり、最後まで楽しめた。高い一輪車に乗った女の子5人の芸「ユニサイクル・ウィズ・ボウル」がすごかった。 一輪車に乗りながら、足で皿を蹴り、何枚も頭に載せる。一人の女の子が次々と皿を蹴り、それをほかの女の子たちが次々頭で受け止めたりも。正面からだけでなく後ろからも。すごすぎる。小さな丸い台の上で披露される男女のアクロバティックなローラースケートもすごかった。男性が女性を抱きかかえるようにして演技。はては女性を遠心力でぶんぶん振り回す。そしてそれがとても美しい動きなのだ。「ロシアン・バー」にも度胆を抜かれた。男性たちが弾力性のある平均台を肩に担ぎ、その上を男性二人がぴょんぴょん飛び跳ねる。高く飛び、宙返りして着地、ということを繰り返す。平均台を担ぐ人たちも移動し、台も動いているのに、そこに飛び込むようにひょいひょいと。まさに超人。SS席だと13000円という高額チケットだが、一番安い席(それでも6000円だけど)でも充分迫力ありました。場所がお台場だし、友だちと一緒にイベント感覚で行ったほうが楽しめるかも。私は一人で行ったので、ちょっとさびしかった(笑)。

シベリア少女鉄道『君がくれたラブストーリー』
シベ少は毎回いろんなネタをやってくれていて、正直はまってないな、というときもあるのだけど、今回はものすごくはまった。この、はまったときのシベ少って最強!話が進むほどどんどんネタがわかってきて、「うわっはっは!」とお客さん大爆笑。
倉庫のような場所で、黒服の男女がカードゲームをやりながら、強盗計画を練っている。組織内の人間関係にはいろいろ問題があるようだ。皆、台詞を言うごとにカードを出す。きっとこれに仕掛けがあるんだろうな……と思いながら観ていると、途中でカードが置かれたテーブルがスクリーンに映し出される。カードにはそれぞれ、登場人物が言った台詞が書かれてあった。どうやらこれは即興芝居のようなもので、皆、自分の手持ちのカードを使い、その場面に合った台詞が書いているカードを出し、カードがなくなった者から順にあがっていく、というゲームのようだ。カードに書かれている台詞は、それだけだと意味不明だったりするのだけど、即興芝居を行うなかで様々な場面が訪れ、意外なところで使用される。そこに笑いが起きる。ただカードを出せばいいのではなく、きちんと場面に合ったカードを出さないといけなくて、その審査は厳しい。合わないカードを出すと容赦なく「ブ―」という音が鳴らされる。頑張ってカードを出すのだが何度やっても「ブー」が続く人がいたり。「へえ」とか「そうそう」という相槌系のカードばかり持っている人がいたりして、人の台詞にどんどん相槌を打って一気にカードを使いきってあがったり。一ラウンド目が終了し、優勝した男が賞金を受け取る。ビリになった男は納得がいかず、リベンジを申し出、二ラウンド目が始まる。
二ラウンド目は、学校が舞台のようだ。ある男の子に片想いをしているという設定の女の子がいて、彼女を応援する友人がいる。一方、彼女に横恋慕する男がいて、強引に自分のものにしようとしたりする。片想いしている男の子の持っているカードは女性の台詞ばかりだった。そのカードを出し続けるうちに、男の子は実はゲイだったということに。一方、女の子を応援していた友人はタイムスリップしていた。一枚のカードに書かれた台詞が、時空間を超え、様々な意味で使用される。絶妙なタイミングで出されるカードに感心したり、突飛な展開に「ここで使う!?」と驚いたり、トホホな内容のカードに脱力したり。一枚のカードを出すことで、展開が180度変わってしまう様は、まるでカード爆弾を落としているかのよう。くるくると変わる展開に、客席は爆笑に次ぐ爆笑だった。毎回感じるが、土屋さんの「言葉」へのセンスがすごい。言葉ってなんて面白いのだろう、と思う。やってる内容はすごくくだらないのに、ほんとにパズルのように緻密に組まれている。こんなくだらないことを緻密に作り込んでやってる人たち、すごいと思う。それがシベ少の最大の魅力だ。

中野成樹+フランケンズ『えんげきは今日もドラマをライブする』Bプロ「戯曲のノンストップ・ミックス」
ナカフラ流ミックス・アルバム。古今東西の戯曲より名シーンをメドレー上演。ギリシャ悲劇からシェイクスピアチェーホフ、イヨネスコ、三島由紀夫、そして柴幸男『ままごと』、三浦直之『いつ高』まで幅広くカバー。めちゃくちゃ面白かった。演劇はなんて豊かなんだろうかとしみじみ感じる。これをこういう形で上演したナカフラはすごい。特に役者すごい。もっとずっと観ていたかった。

□字ック『荒川、神キラーチューン』
初□字ックだったが、すごかった。なぜ今まで観ないでいたのか!ショーコ役の小野寺ずるがかっこよすぎる。自意識過剰でマニアックで人がよくて、だけど自分の世界を持っていてマンガの才能があり、カラオケを歌わせればめちゃパワフル。彼女が激しく動きながら絶唱するシーン、よかった。わけのわからない、ワーーーッ!という衝動が伝わってきた。いろんな女の子が出てくる。事件が起こる。中学生の女の子はやがて大人になり、過去に起こったことを振り返る。中学生のときはその意味がよくわからなくても、大人になったときわかって後悔したり。大人になってもやはりわからなかったり。だけどこの芝居は、ストーリーとかテーマがどうこうではない。理屈抜きで心臓を貫かれるような感じ。

青年団『ニッポン・サポート・センター』
平田オリザの新作。とても緻密に構成され、シリアスな問題を笑える作品に仕上げていた。しかし青年団の芝居にありがちなベタさ(みんなで合唱とか、一昔前のギャグとか)も感じ、微妙な気持ちにも。面白かったんだけどさ。

6月の観劇本数は8本。
ベストワンはシベリア少女鉄道『君がくれたラブストーリー』。

2016年5月に観た舞台

モダンスイマーズ『嗚呼いま、だから愛。』観劇。最近社会問題ともなっている、夫婦のセックスレスの話。セックスレスで悩む女性が、美人の姉や、妊娠した友人などの周囲の女性と自分の境遇を比べ、どんどん自己卑下していく。その様は痛々しくて切ないのだが、同時にすごいうざくて、見ていてイライラしてくる。自分のコンプレックスを曝け出し、感情を爆発させる女主人公を演じた川上友里がすごすぎる。まさに怪演。不器用でたどたどしくも見える演技が、この女主人公の不器用さ、無様さと重なり、見ていてどんどん苦しくなる。セックスレスになると、相手に対する不満が募り、些細なことでイライラしたりしてしまうものだ。女としての自信が低下することにより、周りの女たちと自分を比較するようになり、どんどん「自分はダメだ」という思いにとらわれていく。この作品は、そういう女性の心理を巧みに描いていて、もうなんか女性の、あの「ウワーーーッ!」といきなり叫びだしたくなるようなモヤモヤ感がビンビン伝わってきた。女性って、こう「ウワーーーッ!」となることがあるんですよね。男性は引いてしまうのだけど。女性の心理を描くと同時に男性の心理も巧みに描いている。セックスをしない夫が悪いわけではなく、夫も夫でいろいろ我慢しているのだ。それなのに、一方的に女性に「ウワーーーッ!」という感情をぶつけられる男性も気の毒だ。この夫婦みたいに、セックスレスであっても冷え切った関係ではなく「同志」のような関係だと、余計にセックスの話を切り出しにくいし、やっかいだ。一度セックスレスになってしまうと、照れもあって、自然に相手を誘う、ということができなくなる。しかも自分はしたいのに相手がそうでもないという状態だと不公平感があり、なんか腹が立ったりする。自分から誘うことで相手に「そんなにしたいの?」と思われてしまうのも癪だ。夫にセックスをしてもらえない、女性として見てもらえない、という辛さもあるけれど、なにより女性側からセックスをしてほしいと示さなきゃいけない、とうのはかなり女性としてのプライドを傷つけられる。だからあからさまに誘ったりはせず、それとなく態度で示したりするんだけど、それを男性にスル―されると、怒りが湧きあがり、キーッ!となって、怒りをぶつけてしまう。その場合必然的に「なんでしないの!?」みたいな言い方になってしまい、そんなことを口走る自分が惨めで嫌になる。そんな惨め思いをさせる男性に対して余計にムカつく。だから、男性が自分の話を聞いてセックスをしようとしてくれても、自分からお願いしてしてもらうのも癪にさわり、「もういい!」とか言ってひねくれ、面倒くさい女になってしまう。……というようなことをこの芝居では描いていて、観ていて非常に共感した。結局やっぱり男女って分かり合えなくて、それなのに一緒にいるということの意味とは……などいろいろ考えさせられた。ただ、女主人公が「ブス」であることを様々な問題の原因であるかのように描いているのは、どうなのだろう。「ブスだからいじめられる」はあるが、「ブスだからセックスレス」というわけではないはずだ。もちろん作品のなかでそう結論づけているわけではないのだけど、気になった。

Wけんじ企画『ザ・レジスタンス、抵抗』観劇。EDに悩む中年男性が主人公。風采のあがらない男だがなぜか女性にもて、複数の女性と不倫している。前半はエロいシーンが多く引きつけられた。特に、主人公の不倫相手である鄭亜美がエロかった。あのおっぱいはかなりの破壊力がある。後半になるとエピソードが拡散していき、ストーリーのオチもなく、飽きてしまった。もっと振り切ってほしい気がした。この内容を延々2時間20分もやる意味が正直わからなかった。ストーリーを見せるというよりも会話の妙や雰囲気を楽しむ芝居なのだから、1時間半程度で終わらせたほうがよかったのでは。特に最後の30分が辛かった。主人公と女医とのやりとりはいくらなんでも長すぎる。山内ケンジの作品は、初期の頃はもっとシュールでグロテスクな作風だった気がするが、最近は会話の妙で見せる感じになってきて、私の苦手な岩松了作品っぽくなってきた。本作はEDとか不倫とか、題材は面白かったし、役者もどの人もよかっただけに、自分にとっては残念だった。

ケラリーノ・サンドロヴィッチ演出『8月の家族たち』観劇。素晴らしかった。映画版とは全然違い、コメディになっていて、笑った笑った。笑った後に、あまりの残酷な物語に胸が締め付けられる。麻実れいが凄い。ラリってるところはまさにハマってるし、コメディセンスも十分。ラスト、凄まじい。

彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾『尺には尺を』観劇。蜷川幸雄追悼公演。素晴らしかった。後半ですべてが回収されていく様が爽快で、引き込まれた。修道士の姿に変装した公爵が、水戸黄門のような役割を果たすのだけど、勧善懲悪というわけではなく、公爵もまた欲望を持っているというのが面白い。登場人物皆がなんらかの思惑や欲望を持っており、時にはあからさまにそれを表現する。この物語のなかでは一番純粋な役どころであるイザベラも、一見被害者であるかに思われるマリアナもそうで、結構したたかな女として描かれている。悪役であるアンジェロは、藤木直人が演じているせいかあまり悪い男には見えず、人間らしさが伝わってきた。性欲を封印していたはずなのに、イザベラに出会って惹かれてしまい、激しく動揺するアンジェロ。人を求めてしまう気持ちは、自分でも抑えられないものだよね……。役者のなかではイザベラを演じた多部未華子が素晴らしかった。イザベラの処女性と、女性のしたたかさの表現がうまい。凛とした立ち姿と、一言一言はっきりと語る言葉、真剣な表情から、イザベラの真っ直ぐさが伝わってくる。ラストは複数のカップルの結婚式で、祝祭的な感じで終わる……と思いきや、最後の最後でどんでん返しがあり、「おいおい!」って椅子からズリ落ちそうになった。脱力してしまう。それも含め面白い作品で、カーテンコールではすごく充実した気持ちで拍手を送った。ダブルコールがかかり幕が再度上がると、なんとそこに故・蜷川幸雄の巨大な遺影のパネルがおりてきた。これは泣くでしょ!観客はスタオベで熱い拍手を送り、泣いている人もちらほら。故人への愛と尊敬に溢れた、素晴らしい追悼公演だった。

5月の観劇本数は4本。
ベストワンは彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾『尺には尺を』。

2016年4月に観た舞台

カムヰヤッセン『レドモン』観劇。劇団初見。SFものだけど感動させる系の話。脚本も演出も役者も上手いのだけど、そつがなさすぎるというか、「上手い」という以上のものが感じとれなかった。もっとどこかを外してみてもいいのでは。でも毎回作風が変わるらしいので、一作だけでは判断できないのかな。

白井晃構成・演出『夢の劇』観劇。ストリンドベリの戯曲は抽象的かつ哲学的で、普通にやったらすごく退屈だと思うが、さすがは白井マジック。素晴らしい美術と音楽に、躍動的なダンス。森山開次はじめダンサーはどの人もよかったが、なかでもポールダンスをした女性ダンサーには釘付けになった。役者のなかでは長塚圭史がよかった。人間に絶望し毒舌を吐く孤独で醜い弁護士。彼の結婚生活は地獄。はじまりはよくても、やがてお互いストレスを感じるようになり、最後には相手を憎むようになる。多かれ少なかれ、夫婦ってこういうものだと思う。早見あかり演じる神は、人間の世界に降り立つ。不平不満や愚痴ばかり言う人間たちや、世の中の不公平さを目にして、「人間って哀れね」と嘆く。確かに人間 は哀れな存在かもしれない。この世は地獄かもしれない。でもそれは自分だけじゃない。みんな同じなんだ。そう思ったら安堵した。

アマヤドリ『ロクな死にかた』観劇。死んでしまった男のブログが更新され続けている。彼の死を認めようとしない人々は、彼がまだ生きていると思っている。死というもの、そして人を好きになる純粋な気持ち、というものについて考えさせられた。役者たちの躍動感、一体感がすごかった。役者が皆いい。若くて健康的。そんな彼らが「死」を口にするのは、迫ってくるものがある。男優がスラリとした雰囲気のあるイケメンが多く、そういう意味でも楽しめた。

ブルドッキングヘッドロック『スケベな話』観劇。タイトルから想像するようなスケベな話ではなかった(少なくとも私にとっては)。話も長すぎるし、あまり面白くない。伏線を回収しないまま終わるのは狙ってるんだろうけど。それにしてもスズナリで2時間20分は長い。蒸し暑くて具合悪くなった。

FUKAIPRODUCE羽衣『イトイーランド』観劇。今までの羽衣の作風とはちょっと違う。今までは男女の恋愛や性愛を生々しくおおっぴらに描き、人間を讃歌していた感じだったが、今回は人間以外の昆虫やら鳥やら爬虫類やらの恋愛をも描いてスケール感アップ。ファンタジック要素がかなり強い。正直、前半はバラバラなエピソードが提示されるため、とりとめなく感じた。もう少し前半からストーリー性を持たせたほうが(イトイーランドをもっと早めに登場させるなど)観やすかったのではと思うが、それも狙いなのだろう。後半ではすべて繋がる。様々な「愛」の形(「不倫」という形なのだが)をキュートに描いていて、人間ってなんて愛おしいのだろうと思った。ドロドロした部分がない。だけど、死を思わせるシーンも出てくるし、さらには人間そのものの滅亡をも感じさせるような死生観がある。ただ、2時間50分の長い上演のなか、入り込めないシーンも結構あった。やはりストーリー部分が弱いからだろう。チラシ通り、7人のイトイー夫人が夫の不在中に浮気するというストーリーなのかと思っていたが、全然違った。不倫カップルが何組か出てくる。なかでも印象的なのは後半に出てくる風呂屋で深夜に働く男女。二人は既婚者なので、ダブル不倫。恋愛というほどでもなく、軽いノリで関係を持つ。そうやって気分転換しないと、鬱屈した日常生活を送れないのかも。中年男と若い女の不倫カップルは、キャンピングカーで旅行する。幸せな二人だが、死が忍び寄る。一方、長年不倫していた男女はやがて一緒になり寿司屋を開く。長年の不倫の苦労、特に女のほうの苦労が報われ、成就したというのは希望がある話だ。

『猟銃』観劇。井上靖の『猟銃』に出てくる三人の女を中谷美紀が一人で演じる。すごかった……。舞台は薄暗く、背後には小説の文字が浮かび上がっている。その向こうに男の姿が。男は言葉を発さず、中谷美紀の言葉に時折反応して動く。中谷美紀は、男の妻、愛人、そして愛人の娘の三役を演じる。構成としては、作家の書いた『猟銃』という詩を読んだ男が、その詩は自分のことを表していると思い込み、自分の孤独を作家にわかってもらいたいと、自分に届いた三人の女からの手紙を作家に送る。その三人の女の手紙が中谷美紀によって演じられる。最初は男の愛人の娘。まだ20歳の若い娘が、母親の不倫を知り、愕然としながらも、死にゆく母親を看取る。愛というものへの幻想が消え、絶望する。そして 母親の愛人である男に対し、その絶望をぶつける。とても丁寧な言葉遣いで、育ちの良い清らかな若い娘の繊細な心情を表している。メガネとおさげで若いうぶな娘を演じた中谷美紀が、後ろを向いてゆっくりとメガネをとり、髪をおろし、服を脱ぐ。そして一瞬後には鮮やかな赤いワンピースを身にまとった妖艶な女が現れた。それは男の妻。妻はあでやかに笑い、動き、男を嘲笑するかのように語り出す。私は三人の女のうち、この妻に一番共感した。夫の不倫を知りながら、13年もそしらぬふりをし続けてきた妻。それは復讐でもあり、執着でもある。不実な男などさっさと忘れて新しい男のもとへ走ったほうがよほどいいのに(そうできるほど魅力的な女性なのに)そうしないのは、夫への愛ゆえか。妻を演じている中谷美紀が、床に転がって赤いワンピースのすそをはだけて、嫉妬に悶え苦しむ姿は、すごく官能的でゾクゾクした。最後、夫へ別れを告げながら、次第にその声は涙声のような叫び声のようなものになり、狂気じみてくる。裏切られた妻の怒り、哀しみ、それでも拭えない愛……。夫への愛が消えていないからこそ、こんなに苦しんでいるのだ……。そして最後は男の愛人。死が間近に迫っている彼女は、死を覚悟した人間の悟りの境地にいる。男に対し、今まで見せたことのなかった自分のなかの「蛇」を淡々と見せる。その恐ろしさ、美しさといったら。中谷美紀は、驚くことに着物を自分で着付けながら演じていた。それも本格的な着付けだ。紐を一本一本身体に結びつけるたび、むしろなにかから解放されていくようだった。帯も鏡も見ずに結ぶ。それ自体は着物を着るのに慣れている人ならなんてことないのだろうけど、さすがに着付けしながら演じる、というのはハードルが高いだろう。淡々と語る口調に、底知れぬ女の業を感じた。どの女も、身体のなかに一匹の「蛇」を飼っている。それは嫉妬であったり執着であったり、なにか醜い生々しいものなのだけど、それが本性だし、生きる糧でもある。誰しも自分の「蛇」からは目を背けたいし、いざという場面にならないと、自分の内に「蛇」がいることすら気付かないのだろう。

20歳の国『保健体育B』観劇。高校生たちの恋とセックスを描いたもの。冒頭の歌を聴いた時点で、ちょっとこのノリにはついていけないかも……と思ったが、 やはりそうだった。とにかく青すぎる。若者たちの青い恋愛(というか、恋愛以前のエゴ)を引いて見てると、なんかすごいバカバカしく思えた。芝居のなかでみんなディープキスをしまくってたけど、なにを伝えたかったのだろう。どの人もみんなガキ。惚れたのはれたの、付き合ったの別れたの、告白し たの振られたの、寂しいから浮気するだの、慰めてくれた人となんとなく寝るだの。うーん、これは愛どころか恋ですらないのでは。これ見て大人が「若さがまぶしい」とか思ったりするか? まあ若者が見て共感する、というのはあるかもしれないが。際どいキスシーンを描くのも、「なんかすごいことやってるだろ」というのを見せたいだけなような気がした。たとえばポツドールはもっと過激なことをやってたけど、それにはちゃんと意味があり、その表現はどうしても必要なものだった。たとえば友達同士が穴兄弟になったりしても、そこにあるはずの葛藤を描いていない。不倫や嫉妬は描かれるが、最終的には「愛じゃね?」という非常に雑なと いうか曖昧なセリフがでてきて、なんとなくいい感じにおさまってしまっている。人間が描かれておらず、ドラマがなく、表面的なのだ。しかし、若者に限らず人間は誰しも恋するとバカになるし、側から見たら滑稽だろう。たぶんそれを描きたかったのではないかと思う。愛する人がいても寂しかったら浮気してしまうほど、人間は弱くて愚かなのだ。……ということなのかな?

SPAC『三代目、りちゃあど』観劇。これはひどい。こんなつまらない演劇を観たのは久しぶりだ。日本語と英語とインドネシア語が入り乱れ、しかも歌舞伎だの狂言だののセリフもあってなんかもうごちゃごちゃ……。ただでさえわかりにくい戯曲なのに。音楽がずっとかかっていて舞台も暗く、眠くなる。映像とかも含め、外国人がオリエンタリズムに憧れて作ったという感じ。私がこれをわざわざ静岡まで観に行こうと決意したのは、野田秀樹による戯曲だからというのと、江本純子が出演するからという理由だった。『リチャード三世』は話もよく知っているし、きっと面白いだろうと。ところがそこにあったのは、とても不幸な代物だった。野田秀樹の良さも江本純子の良さもなかった。演出家によって戯曲が壊され、出自がバラバラの俳優が集められて動かされた。話がどうのというレベルではない。音楽が延々とかかっていたのにも閉口。一体この演出家は、なぜこの戯曲をこの俳優たちでやろうと思ったのだろうか? 本当にこの戯曲にきちんと向き合ったのだろうか? そうじゃない気がする。自らを誇示するためとさえ思ってしまった。私はこの演出家の芝居を観たのは初めてだが、国境を越えたコラボレーションを行っているとか。シェイクスピアという古典と、野田秀樹というブランド、そして歌舞伎や狂言、宝塚といった俳優の出自を利用し、いい感じの音楽と映像で、すごいコラボレーション作品を生み出した、とか本人は思っているのだろうか。もしそうだとしたら日本の観客をなめているし、戯曲に対しても出演者に対しても失礼だ。

4月の観劇本数は8本。
ベストワンは『猟銃』。

2016年3月に観た舞台

Straw&Berry『モリー』観劇。やたらとダメ男にモテる女の子が主人公。彼女のルームメイトなどほかの登場人物の恋愛模様もさらりと描く。うーん、もっとほかの登場人物の話も突っ込んでほしかったかも。主人公の女の子に共感できず、あまり入りこめなかった。ラストのオチも弱い。

スタジオライフ『訪問者』観劇。やはり良い作品。またスタジオライフで観られてよかった。ラストは涙が止まらなくなった……。父と息子の話って(しかも本当の親子じゃないし)なんて切ないんだろう。グスタフ役の楢原さんが、妻に裏切られたことで苦悩しつつも妻や息子への愛を捨てられない父を好演。オスカー役の久保優二くんも健気さが出ててよかった。笠原さんのミュラーはすごくかっこいい!笠原さんは以前グスタフをやったことがあって、それもやさぐれ感が出ていてよかったのだった。今回のミュラーは前半はひたすら明るく、ラストは苦悩を滲ませて……と、同じキャラでも全然違う感情を豊かに表現していた。そして最後の山本ユーリとオスカーのやりとりには震えた。山本ユーリが天使のように見えた。ここからトーマにつながっていくんだよね……。

NODA・MAP『逆鱗』観劇。人魚が出てくる海中水族館。自ら人魚と名乗るおかしな女、そこに働く人々や電報を配達する男……。バラバラな要素がひとつになり、ある歴史的な事実に行きつく。……という、最近のNODA・MAPっぽい話なのだが、いまいちピンとこず。題材も「なぜ今これ?」と。コロスの使い方や美術はほんとうにきれい。言葉遊びもあるのだが今回は少なめ。言葉遊びというかオヤジギャグのように思えてしまうところも。。。あと全体的に、スピード感がなかったような気も。いつものNODA・MAP風だけど、いつもより控え目……という感じか。なにより、役者・野田秀樹の勢いがなくなってしまったことが寂しい。年だから仕方ないけども。。。以前はやたらめったら動き回り、これでもかというほどかん高い声でしゃべりまくり、それでいて一番いい台詞は全部持っていき、彼の台詞に胸を打たれる……という感じだった。でもそのかわりに(?)阿部サダヲがすごくよかった。前半のコミカルな感じはすごく笑えたし、今日はちょっとしたアクシデントもあって、その対応の仕方がさすがは阿部サダヲ!という感じ。彼の人柄の良さ、面白さがとても出ていた。後半の彼の苦悩もすごく迫ってきた。

劇団態変『ルンタ』観劇。すごいものを観てしまった……。態変は演出・出演などすべて身体障碍者で構成されている劇団。大阪を拠点に活動しており(海外公演も多数行っている)今回は12年ぶりの東京公演だという。ずっと観たかった。観られて本当によかった。身体障碍者たちがレオタード一枚で舞台に上がり、パフォーマンスする。セリフはない。皆、ごろごろと床を転がる。立てる人は立って歩いたり跳ねたりも。転がる、といっても、人によって動きは全然違う。その動きは演出されたものだけど、その人自身から出てくる動きでもある。一口に身体障碍者、といっても、それぞれ障碍の程度は異なる。手足の指がつながっていたり逆の方向に曲がっている人たちは、比較的軽度なほう。足は正常だけど腕が半分しかない人、片足が半分しかない人たちもいる。なかでも四肢のない、片方の腕だけが辛うじて20センチくらいある女性が転がりながら舞台に出てきたときには、衝撃を受けた。それぞれの障碍のある人たちが、みんなで舞台を転がり絡まり合う。ある瞬間にユニークな動きが出たりもする。皆、自らの身体を見せつけるかのように動く。見せつけるかのように、というのは私の感想かもしれないが。とにかくその人のその身体でしかできない動き、ほかの誰も真似なんかできない動き。この世で唯一の動き、身体。その一つ一つが彼ら個人の表現なのだ。圧倒的だ。パフォーマーたちは皆、自由だった。そして楽しんでいた。もちろん私も楽しんだ。彼らの身体、彼らの動きから目が離せなかった。私は今回が初めてだったので、ほかの作品との比較はできないが、とにかく終わったときにはすごい感動が込み上げてきた。カーテンコールでパフォーマーたちは、客席に向かっておじぎをする。もちろん身体がそのように動かない人もいるけど、それでも観客への感謝の気持ちや、や り遂げたという充実感、みたいなのが伝わってきた。四肢のない女性は、身体が動かないながらも頭を下に向けた体勢をとった。

地点『スポーツ劇』観劇。イェリネク原作のものを三浦基が構成・演出。演出のアイデアや役者の身体性など見るべきところは多いと思う。だが自分にはまったく響かず。役者のモノローグが続く、というスタイルはやはり苦手。イェリネクのテキストも頭に入ってこず。テキストはいろいろ変えているだろうが。

『地域の物語2016生と性をめぐるささやかな冒険〈女性編〉』観劇。募集によって集まった様々なバックボーンの女性たちが、ワークショップを重ねて自分 の「生と性」の物語を表現していく。下着の話、生理の話、性的虐待の話、母の話。個々の話が最後の普遍的なテーマに辿り着く、という感じ。ただ、全体的にメリハリがなく、散漫な気も。単に一人一人が話をして終わってしまうというような手ごたえのなさもあった。あと障害者をフィーチャーしすぎているのも気になった。最後のシーンを踏まえるとそうなってしまうのかもしれないが。せっかく個人的なことを話しているのに、顔が見えてこないというか。その点、チャコさんのシーンは印象に残った。自分の名前を述べた上で話をしていたからだろうか。クライマックスで木炭をつぶして絵を書いていた左半身が不自由な女性、見たことがあると思ったのだが、あとで調べたら、先日の劇団態変『ルンタ』に出演していた方だということがわかった。彼女は3月13日まで座・高円寺で『ルンタ』に出ながら、WSに参加し、そして3月20日にこちらの舞台に立ったのだ!その女性、小林加世子さんの表現に対するエネルギーがすごい。彼女のことを、ほかの出演者の一人が「セクシー」と評するのだが、確かに最後のシーンはセクシーというか、圧倒的な生命力を感じた。

東京デスロック『Peace』観劇。戦争、震災などの被害に遭った人たちの言葉などを使いつつ、いろんな角度から平和を問う。受付で荷物を預け、靴を脱ぐ。劇場には椅子がなく、床に座る。これは腰痛持ちには辛い。私はスカートだったので体育座りもできず、ずっと横座りで足を右へ左へもぞもぞ動かしてた。そういう舞台に限って上演時間が長かったりするから嫌だ。なんだかいつもより直球な気がして、観ていて疲れてしまった。時間も長い。そもそも私は政治的なメッセージが強すぎる芝居は苦手。テーマがテーマだけに真面目すぎる気も。

ミクニヤナイハラプロジェクト『東京ノート』観劇。最初のほうは、原作を知らない人にはよくわからないんじゃないだろうか……と思いながら観ていたのだ が、そんなこと関係なかった。そのくらい原作とは違っていた。もちろんエッセンスは残しているし、テーマも一緒なんだけど、アプローチが違う。政治的なメッセージが強く、今の時代に上演される意味のある芝居だと思った。だけど私は芝居というよりダンスのように観ていた。俳優の身体性に目を奪われた。演出・振付も緻密。とにかく動きや照明なんかを観ているだけで飽きない。教師と女子大生のシーンがやはり印象に残る。二人の動きは誇張されていて、滑稽でもあるしちぐはぐだという哀しさも感じた。

燐光群『カムアウト』観劇。27年前の作品。共同生活を送るレズビアンたちの小さなコミュニティの話だ。そこにはいろんな人がいる。自分のセクシャリティがなんなのかわからなかったり、家族との関係に悩んでいたり。共同生活だからそのなかでカップルができたり、三角関係や四角関係になったりする。そのシェアハウスは出入り自由で、いろんな人がやってくる。いろんな理由でそこを去る人もいれば、新しく入ってくる人もいて、入れ替わりが激しい。かと言って自由な雰囲気というわけでもない。新しい住人は「審査」されたりもする。そのへんはすごくナイーブ。ただ、時間が長すぎるし、一本のストーリーというよりも登場人物の人生の一場面を描いたような感じなので、途中だれる。主人公とその周辺の人との関係性も わかりづらい。主人公は結局誰が好きだったの?というかそもそも主人公が誰かもわかりづらい。皆が主人公のようなものか。皆が主人公、と考えると、あの長い時間にも納得がいく。誰を描くかというよりも、コミュニティを通してセクシャルマイノリティを描く、というテーマなのだ ろう。それにしても27年前の作品なのに現代にも通じるものがある。認知はされてきてるが、状況は変わっていないのかも。

カミグセ『隣の芝生の気も知らないで』観劇。初見の劇団だが、良くも悪くも想定内だった。いかにも女性作家らしい作風。女子中学生たちの日常を淡々とポエジーに描く。ストーリーらしいものはなく、引きこれるという感じではない。世界観は嫌いではないが、なにかが足りない。

3月の観劇本数は10本。
ベストワンは劇団態変『ルンタ』。

2016年2月に観た舞台

座・高円寺寄席へ。高円寺演芸まつりで、高円寺のあちこちで落語をやっている。今夜は古今亭志ん輔の『火焔太鼓』他一席、桂吉坊の『胴乱の幸助』他一席。志ん輔の人情話がすごくて、引き込まれた。上方落語桂吉坊も若いのにすごくうまくて、もう笑った笑った。うまい人の落語はほんとに面白い。

マームとジプシー『夜、さよなら』『夜が明けないまま、朝』『Kと真夜中のほとりで』観劇。夜三作の同時上演。『夜、さよなら』と『夜が明けないまま、朝』は初期の作品で、マームのファンでも観ていない人が多いもの。もちろん私も観ていない。今回はそれを観られるかと期待していたのだが、この「夜三作」に合わせて作り替えられており、二作品とも最後の『K』につながるように作られていた。つまり、全部同じ話だった。同じ話を角度や人や時間を変え、繰り返し語っている。ちなみに『K』は再演。初演はアゴラで上演され、かなりの好評を得た作品だ。ストーリーは、10年前にいなくなってしまった『K』のことを、10年後のその日の真夜中に、Kと関わった人たちが彼女のことを想い、彼女の話をしながら、あてどなく街をさまよい彼女の姿を探し続ける……という感じのもの。Kとの関わり合いはそれぞれで、兄だったり友だちだったり、単なるクラスメートだったりする。関わりが深くても浅くても、それぞれの人にとって特別なKとの時間がある。マームとジプシーならではのリフレインという手法、俳優たちの身体性、そして選び抜かれた音楽に衣裳。藤田貴大の独特の「夜」が現出していた。しかし、初演に比べると空間が広いぶん散漫な感じも。初演のときのような、容赦なく夜に引きずりこまれる感がなく、淡々としていた。初演では役者の運動量がもっとすごかった。でも今回は、役者は動いてはいるし、エモーショナルな部分もあるけれど、全体的にはスタイリッシュで無機質な感じがした。空間の使い方とか美術、衣裳、音楽がそういう感じだからだろうか。初演のエモーショナルな部分が抑えられ、より洗練されたという感じ。これが今のマームとジプシー、なのだろう。

スタジオライフ『トーマの心臓』初日観劇。1996年の初演からキャストを替え上演され続け、今回で9度目の上演となる劇団の代表作。今回はユリスモールが山本芳樹、オスカーが笠原浩夫、レドヴィが石飛幸治と、初演のころのキャストが復活!懐かしさだけで涙出そうだったけど、クオリティも相当高い。もちろん20年も経てば役者は年をとっているんだけど、そのぶん積み重ねられたものがあり、一人ひとりのこの作品にかける想いがすごく伝わってきた。やはりスタジオライフにとってトーマはバイブルなんだね……。大切に大切に上演され続けてきた作品。安定のキャストだからこそ、こちらも安心して観られたというのもあった。舞台も客席も異様な緊張感に包まれ、最後まで誰一人台詞を噛んだりもせず雰囲気を壊さず、本当に濃密で素敵な時間が流れていた。良い初日だった。スタジオライフは観客のマナーもよくて、集中して観られる。観客にとってもトーマは大切な作品。初演から観ている人にとってはなおさら。最初のアヴェ・マ リアが流れた瞬間、みんなが舞台を食い入るように見つめる。役者も観客もともに舞台に身を任せる。終わったときにはなんとも言えない充実感が。。。

二月のできごと『からす食堂』『黒い三人のこども』観劇。佐久間麻由が企画した池尻大橋のガレージでの公演。すごい手作り感があり、寒いガレージのはずなのにあったかかった。美術が素敵だし、客席の配置や役者の動きも含めた空間の使い方が面白い。芝居は二本とも江本純子が作・演出したもの。『からす食堂』は10年前の戯曲とのことだが私は初見。からす食堂の店主と客のやりとり。変な店主の江本さんがとにかくよくしゃべる。客の富岡晃一郎さんの反応も面白い。『黒い〜』は新作。お葬式を描いたもの。前半は不条理劇のような。うーん、これは私にはあまりピンとこなかった。なにか実験的なことをしたいのかな?とは思ったけど。江本さん、今後はどんな方向に行くんだろう……。

2月の観劇本数はなんと4本。少なすぎてびっくりぽんや。