2016年8月に観た舞台

劇団桟敷童子『夏に死す』
劇団初の現代劇。とはいえやはりいつもの桟敷童子。舞台は九州だし、ミツバチを育てる自然農園が出てきたりするし、美術や演出もいつもの感じなので、違和感は全然なかった。ミツバチ農園の部分は以前東憲司さんが外部で作・演出を手掛けた『夢顔』を思い出した。介護、老い、死、という重いテーマ。なのだけど、この芝居では出てくる人がことごとく「いい人」。東さん自身当日パンフで「現実はもっと厳しいと思います」と書いているが、そのとおりだと思った。この芝居はきれいすぎる、いい話すぎる気がした。最近は介護を理由とした殺人事件が異様に増えた。そんな状況からするとこの芝居で描いていることは甘いようにも思うが、たぶん東さんはそういう社会的なことよりも、こういう状況でも人を思いやったり他者と繋がりを持って希望を持って生きることの尊さ、を描きたかったのではと思う。

黒田育世新作『きちんと立ってまっすぐ歩きたいと思っている』
10歳の女の子と黒田育世のデュオ。私が最初に黒田育世を観たのは2009年のBATIK『ボレロ』だったが、そのころとはまったく彼女は変わった。当日パンフの彼女の挨拶のとおり「過去と向き合ってそれに向けて祈る踊り」だった。子どもと一緒に踊ることで余計に黒田育世の老成を感じた。子どもは無限の可能性に満ちている。技術はなくとも身体は動く。子どもと一緒に踊る黒田育世は、技術があり身体も動くが、もう若くはない。けれどそのぶん、様々な経験を積んだ重みがある。二人をとおして「女性の人生」を思った。二人の女性は波であり、植物であり、鳥でもあるようだった。踊り自体は非常に地味で、私には退屈だった。私は昔の黒田育世の激しい踊りが好きだったのだ。しかしダンスをとおして彼女の変化を垣間見られるのは興味深い。彼女の「生」に思いを馳せ、私自身の「過去」にも向き合えた。

八月納涼歌舞伎第三部『土蜘』『廓噺山名屋浦里』
両演目とも、親子で出ていたりして出演者が豪華。そういう意味でも見応えがあった。
『土蜘』は、土蜘の精を演じた橋之助が圧倒的だった。橋之助の三人の息子たちも出ていた。うーん、同じ父の息子とはいえ、やはりいろいろ違うのね……。
笑福亭鶴瓶新作落語を歌舞伎にした『廓噺山名屋浦里』はほぼ現代劇。回り舞台を駆使してテンポよく話が進み、言葉もわかりやすく笑いが多いので、歌舞伎初心者にもおすすめできる。勘九郎演じた田舎侍は堅物すぎて笑えるし、吉原一の花魁を演じた七之助の美しさに目を見張った。二人が初めて出会って目を見かわすシーンで花火が上がったりなどの演出も的確。ラストの七之助の花魁道中の華やかさといったら……! 超絶美人。勘九郎七之助それぞれの良さが出ている。鶴瓶の息子は調子のよい門番の役で、いい味を出していた。

藤田貴大作・演出『ドコカ遠クノ、ソレヨリ向コウ、或いは、泡ニナル、風景』
ワークショップ公演とはいえ残念な出来。オーディションで集まった25人の出演者はちぐはぐな演技で、藤田作品の良さが出ていなかった。ゴールド・シアターの役者も出ていたが、まったく空気にそぐわない。すべての瞬間が間延びしていた。やはり藤田作品は、マームとジプシーの役者をはじめ、優れた役者あってのものなんだな……と思った。素人がやると、ほんとに素人の芝居にしか見えなくなってしまう。

8月の観劇本数は4本。
ベストワンは八月納涼歌舞伎第三部。