2017年に観た映画
『この世界の片隅に』。年明け早々良い映画を観られた。戦争によって平穏な日常が失われても、「まともな精神」を保ってしぶとく生きていく。自分を見失わず、周りの人たちを気遣い、今あるものに感謝し……。難しいことだ。
『新宿スワンⅡ』。ヤクザの世界も絡んでのシマの奪い合い、潰し合い。前作より「抗争」感が増している。男たちの抗争だけでなく、女たちの闘いも描かれているのがいい。華やかな水商売の世界に身を置きながら、女たちもそれぞれ事情を抱えて人生生き抜いている。続編がありそうな終わり方。
早稲田松竹でペドロ・アルモドバルの『トーク・トゥー・ハー』と『ジュリエッタ』の二本立てを観た。『トーク〜』は昔映画館で観て感銘を受けたのだが、細かいところは忘れていた。改めて観てやっぱり胸がいっぱいになった。切ない愛の物語。最初と最後に出てくるピナ・バウシュの舞台もいい。『ジュリエッタ』は、母と娘の物語。こちらは『トーク・トゥー・ハー』に比べるとスケール感が小さいが、ゆっくり染みてくるような映画。若いころのジュリエッタが奔放で素敵。スペインでは電車とかエレベーターとかで一目見ただけで恋に落ちたりするんだなー、とか思った。恋愛に対するハードルが低い。
グザヴィエ・ドラン監督『たかが世界の終わり』。死を前にした主人公が、それを告げるために12年前に飛び出した実家に帰る。そこで家族の諍いが起こる。結局主人公はなにも言い出せず、彼が12年前に家を飛び出した理由もはっきりとはわからない。ストーリーがなく、もやもやした終わり方。でもこの映画はストーリーを見せるのではなく、ある時間の家族の会話を延々と描いている。母や妹は張り切ってメイクして主人公を迎えるが、兄は始終苛立ち、すべてをぶち壊しにする。ところどころに入る回想シーンの映像や音楽がドランらしくかっこよくて痺れる。はっきりと描かれてない部分を勝手に想像したり、いろんな解釈ができそう。家族の言い合いの場面はいろんな意味で痛かった。言いたいことポンポン言ったら家族なんて成り立たないんだよ。理解できないのが当たり前。でも家族だから理解したくて言い合ってしまう。ヒリヒリ。
早稲田松竹で『オーバー・フェンス』と『永い言い訳』の二本立て。『オーバー・フェンス』は思ったほど重くはなく、普通に良い映画だった。オダギリジョーが爽やかすぎたのか、あまり鬱屈した駄目男には見えなかった。そもそも函館の職業訓練校にいろんなイケメンがいるって時点でリアリティがない。蒼井優はエキセントリックでコケティッシュな女の役を上手に演じていたけど、彼女はこういう役が多い気がする。それほど驚かないというか。『永い言い訳』はすごいよかった。本木雅弘の演技が、嫌な奴なのになんか茶目っ気があって、人間的で憎めない。妻にはあんなに不機嫌だったのに、子供の前だと「良いおじさん」になっちゃったり。妻を失った傷や、それまでの妻との関係のストレスが、自分でも気づかないところで大きくなっていたのか。傷を受けたときの人の反応はほんとに様々。ストレートに悲しみを表せる人はむしろ幸せなのかも。この主人公は、悲しくもなく、泣けずにいて、でもすごい喪失感とか自己嫌悪とか様々な感情がごっちゃになっていて、自分が今どんな感情を持っているのかよくわからなくなっている。そんな状況に陥ったときこそ、人の本性が出るのかもしれない。子供二人、特にお兄ちゃんの演技がすごくよかった。撮影で実際に一年くらい時間が経って、髪が伸びたり顔つきも大人になったりしているけど、演技はぶれない。子供たちの熱演がなかったら、この映画の成功はなかった。
パク・チャヌク監督『お嬢さん』。先の見えないサスペンス、壮絶な騙し合い、女同士の官能……というとシリアスなようだけど、いたるところで脱力した笑いが起こってしまう。一言で言えば変態コメディ(笑)。SMとかフェチとか……もう、みんな好きよね〜、という、ぶっ飛んだ映画。カネと性のみ追い求める男の間抜けなこと。一方、欲に振り回されない女は自分の気持ちに正直で、強かで純粋。スカッとするストーリー。女優二人ともよかった。令嬢役の女優は松たか子に、侍女役の女優は安藤玉恵に似ている。日本統治下の朝鮮を舞台にしているから、日本人という設定の登場人物もいるし、皆日本語を話す。しかしそれがカタコトなので、なんか笑えてくる。朝鮮語なのに卑猥な単語だけ日本語だったり、カタコトの日本語で荒唐無稽な官能小説を朗読したり……なんか脱力する。深刻なサスペンスだと思って観に行ったのに、最初のほうはやたら大掛かりなわりに妙にB級ぽい感じで、なんだかヘンな映画だなあと思いながら観ていた。でも第1部の最後の急展開、その後の視点を変えた第2部、あの構成はすごい。ネタバレできないので、とにかく観てと言いたい。
キム・ギドク監督『STOP』。原発事故についての映画なのだが、B級感溢れるトンデモな内容。それでも本人もキャストも大真面目にやっているのだろうというところがすごい。いろんなツッコミどころがありすぎる。それを狙ってやってるのかと思えば単に雑なだけかとも思えたり。ある夫婦の話で、最初から現実離れしているのだが、それがどんどん暴走していく様がすごい。福島のシーンはもう悪趣味というか。聞けば10日間しか撮影時間がなく、監督は10日間ほとんど寝ずに撮ったという。確かにそんな極限状態でしか撮れない映像だと思う。だからこその鬼才。今日は上映後に出演者の舞台挨拶があった。この映画の収益は福島や熊本に寄付され、出演者はほぼボランティアで、主旨に賛同した人だけが出ているのだという。監督も役者もスタッフも、この映画を撮ることでなにか社会に貢献したい、という純粋な気持ちを持っている。そこには打たれる。
『美女と野獣』。エマ・ワトソンが可愛く、歌も全曲よかったし、映像もすごくて楽しめた。でもなぜベルが野獣を愛するようになったかがよくわからなかった。命を救ってくれて本のことを教えてもらい家族の話ができて心が通じ合い、尊敬し好意を持っても、そこからすぐ「愛してるわ」となるかな?
『メッセージ』。SFだけどヒロインの個人的な人生の物語を描いており、ミステリーっぽくもある。途中ですべてが「あ、そうか!」とわかる瞬間があり、震えた。「時間の流れ」がなくなるって、どういう感覚なのか想像できないな。
『淵に立つ』。凄かった。残酷な話で、いろいろ謎なまま終わるのですっきりとはしないのだけど。夫婦の心の闇みたいなものがリアルで、じわじわと嫌な気持ちになる。特に古舘寛治さん演じる夫は……。妻役の筒井真理子さんがとても美しいので、8年後の彼女の変化がすごすぎて目を見張った。
『セールスマン』。舞台役者をやっている夫婦が、引越し先でトラブルに見舞われる。何者かが部屋に侵入し、妻を襲ったのだ。妻は気絶し大怪我を負う。夫は警察に言おうとするが妻は拒む。二人が演じている『セールスマンの死』の一場面が出てきてそれとリンクするかのように物語が展開していく。暴行事件に対する男女の感じ方・行動の違い、これは日本でもあることだと思う。だがこの映画では妻が、問題解決のために積極的に動こうとせず感情に流されているように見えた。それは男性社会ゆえこういう場合どうすればいいのかという知識が女性側に不足しているからかなと思った。
『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン世界一優雅な野獣』。セルゲイ・ポルーニンの少年時代から現在までを追うドキュメンタリーで、家族にもインタビューしておりかなり見応えがあった。ダンスは圧巻。まさに「優雅な野獣」そのもので、ゾクゾクした。今の状態をただキープするのではなく、捨ててまた一から始める。常に自らに問い続ける。そんなことをやり遂げるには血の滲むような努力が要る。踊り終わって「クタクタだ」と言って座り込む姿に胸が痛くなった。どれほどの想いが、どれほどの苦悩があるか。
イザベル・ユーペール主演映画『ELLE』。レイプ被害に遭いながらも通報もせず騒ぎ立てずに平然としてるヒロイン。レイプ犯からの嫌がらせは続き、彼女は次々酷い目に遭うのだが、それでも平然としてる。このタフさの背景には彼女の過去のトラウマが原因の異常な性衝動があった。ヒロインはゲーム会社の社長でバツイチだが元夫とも交流しているほか、同僚の旦那と不倫中。息子はもうすぐ結婚して孫が生まれる。そして父親は獄中におり、母親も問題を起こしている。なんかあまりにもいろんなものを背負いすぎていて、生活も派手だし、まったく自分と接点がなくわからない。生きているだけで次々いろんなことが降りかかる人生って大変ねと思った。自分は今、すごくシンプルに生きてるけど、そのほうが楽でいいや。この映画のヒロインは過去のトラウマもあり、自分では気づかないまま異常な性衝動がある。確かに彼女は魅力的だけども、そのせいで男性トラブルが。ヒロインは独善的なので会社の従業員とかから恨みを買っていて、レイプ犯の心当たりがありすぎる。誰がレイプ犯か?というところはサスペンスだけど、それがわかってからも話は続くのが面白い。最後の終わり方は、女性への讃歌なのか?
『散歩する侵略者』。長谷川博己がこんなにワイルドな役がはまるようになるなんて!色白で線が細いから、10年くらい前までは王子とかゲイとか鬱屈した文学青年みたいな役が多かったのに。今も相変わらず色白で線が細いけど、確実に役者としての逞しさを身に着けた。いい年の取り方してるな〜。この作品、当たり前だけど、イキウメの抽象的な美術でシンプルにやっていた舞台版が一番良い。ほかの劇団が具象美術でやったものも観たことがあるが、中途半端にリアリティがあってちょっと違和感があった。映画はというとまた別物で、これはこれでわかりやすくて悪くはない。
『アウトレイジ最終章』。前作、前々作は、とにかくスピーディに話が進んでバンバン人が死んで、なにも考えず頭空っぽになれる爽快感があったのだが、今回はそこまで動きがなくちょっと重い感じで、個人的には物足りなかった。ラストもスカッとしない。殺すシーンの残酷さは好きだったけど。
『アンダー・ハー・マウス』。女性同士の性愛もの。激しいセックスシーンが多く、女優はもちろん全部脱いで体当たりの演技。ストーリーは王道な感じで捻りがないが、女優が綺麗だからいい。特にダラス役の女優がかっこよく、おっぱいも綺麗。そういう見方をすべき映画。
『IT』。スティーブン・キング原作のホラーものだが、幽霊とかではなくピエロだし、「恐怖」の概念が人によって異なるという映画なので、怖さはあまり感じず。むしろ子供たちが皆で「それ」を倒そうという青春ドラマ的になっており、笑えたり微笑ましい部分もかなりあった。
フランソワ・オゾン監督『婚約者の友人』。婚約者を戦争で亡くした女性のもとに現れる謎の男性……男女の機微を切なく繊細に描いた良い作品。カラーとモノクロの使い分けも面白い。でも私はオゾン作品では『17歳』『スイミング・プール』のような刺激的な作品のほうが好きかな。
岸善幸監督『あゝ、荒野』前後篇鑑賞。トータル6時間。ヤバいこれ。凄まじい。後篇のクライマックスは息をするのも忘れるほどだった。憎しみを原動力に生きる新次、臆病で不器用だが愛を求めているバリカン。孤独な人々の魂が繋がるのはリングの上のみ……菅田将暉もヤン・イクチュンも本当に素晴らしい。孤独な人間同士が繋がろうとする姿に泣いてしまう。いくらセックスしても繋がれない。ボクシングで殴り合うことで愛してほしい、繋がりたいと希求する。バリカンの新次に対する複雑な想いにグッとくる。設定を東京オリンピック後の2021年にしたのも素晴らしい。今よりひどくなってる社会で、人々は絶望し生きる目標を見失っている。
ナ・ホンジン監督『コクソン』。怖すぎるし謎すぎる。人の負の部分に強く訴えかけてくる感じで、引き摺られそうになる。
『最低。』。AVをめぐる3人の女性のお話。AV撮影シーンのエロさが良かった。母と娘の関係について丁寧に描いていて思いがけず真面目な映画だった。
2017年に観た舞台
2017年は生活環境が大きく変わったこともあり、観劇本数は42本とかなり少なくなりました。以下、長くなりますがTwitterからの引用。
1月(観劇本数:1本)
松尾スズキ演出『キャバレー』観劇。主演である長澤まさみと小池徹平の話よりも、秋山菜津子と小松和重の中年男女の話がすごくよかった。二人のパートは松尾さんらしい細かい笑いのネタが多い。それをこの二人がやっているから、もう笑った笑った。前半が笑えるからこそ後半の切なさが染みる。秋山菜津子が歌った『あなたならどうする?』、めちゃくちゃ染みた。自分が年をとったからか……。年をとると新しい挑戦をするより楽なほうがいい、地味だろうが身近なものを守って生活を続ける。それが生き延びる術。誰も彼女を否定することなんてできない。このキャバレーには「美しいもの」しかない。私が若いころだったら、間違いなく長澤まさみ演じるサリーに共感していたと思う。サリーの刹那的な華やかさは、ナチスが台頭する前のベルリンの雰囲気そのもの。華やかだけどどこか危うく、実際あっけなく崩れてしまう。だけど人生は「美しいもの」だけなんかじゃない。むしろ「美しさ」や「華やかさ」だけを求めていたら、崩壊してしまう。人生においてなによりも「美」が大切で、それを守るためなら死をも辞さない、という生き方をかっこいいと思っていたけど、そうじゃないんだ。そんな世知辛い現実をしっかり描いている。夢とか美とかだけじゃ生き抜けないんだよ、もっとタフにならなきゃ、という。社会がどう変化してもうまくかいくぐって生きていくんだ。絶望してキャバレーに留まっていてどうする? というようなメッセージを勝手に感じました。「人生に失望している? そんなの忘れて! ここには美しい人生しかないんです」。そのキャバレー、そこにいる女性たちが美しく華やかであればあるほど、それが一時の夢にすぎないということをより感じてしまうという。素直に美しさを感じ取れるほど若くはなくなってしまったということかしらね。
2月(観劇本数:4本)
東葛スポーツ『東京オリンピック』観劇。2020年の東京オリンピック、世界情勢、皇室などの時事ネタを毒と笑いのラップでディスる。情報が盛りだくさんすぎて自分のなかで消化できてないとこも多いが、それも含めて楽しい。役者では特に森本さんのラップがキレキレでよかった。
庭劇団ペニノ『ダークマスター』観劇。私は2006年版を観ている。そのときとはだいぶ違う。2006年版のほうが、役者(マメ山田、久保井研)もラストも好きだったし、全体的にもっと謎めいていた。それに比べると今回はテーマがわかりやすくなったような気がする。日本とアメリカ、中国……とか。個人的には謎めいているほうが好み。
NODA・MAP『足跡姫』観劇。勘三郎へのオマージュ。ストレートに「想い」が伝わってきた。集中して観ていたからか、話も言葉遊びも踊りもスッと自分のなかに入ってきた。ここ数年の野田作品のなかで一番素直というか、純粋に美しいと思った。特にラストは涙なしでは観れなかった。
高円寺演芸まつり。古今亭志ん輔『豊竹屋』『お直し』、桂吉坊『ふぐ鍋』『住吉駕籠』を聴く。久々に集中して聴いた。桂吉坊の明るい軽妙な語りが好き。早口だけど引き込まれ、情景が思い浮かぶ。志ん輔の人情話はやはりすごい。人生のすべてがこの30分足らずの時間に凝縮されているような。
3月(観劇本数:2本)
スタジオライフ『エッグ・スタンド』観劇。萩尾望都の漫画が原作。原作通りの芝居だった。第二次世界大戦下のフランスでたまたま出会った3人。皆事情があって「戦争」に翻弄されている。暗いし、それほど面白いストーリーではないのに、それをそのまま芝居にしたという感じ。うーん。。。
鳥公園『ヨブ呼んでるよ』観劇。ストーリーはなく断片的で、夢と現実が交錯、旧約聖書の言葉を引用……など独特の作風。言葉に力があり、ひとつひとつのシーンが面白く見応えがあった。個人的にはもう少しこの世界に浸りたかったかな。終わり方が不完全燃焼だった。
4月(観劇本数:2本)
ジョン・ケアード演出『ハムレット』観劇。内野聖陽様のハムレットはとてもセクシーでした。内野さん、なにをやってもセクシーなのはなぜ? 苦悩してても色っぽいのよ。そして北村有起哉さんのホレイショーもこれまたセクシーで、ハムレットとの間のホモセクシャル的な雰囲気を勝手に感じました。國村隼のクローディアスは、癖があっていかにも悪そうでよかった。浅野ゆう子のガートルードはちょっと色気が足りないかなあ。。。貫地谷しほりのオフィーリアはひたむきさが伝わってきてよかった。シンプルなセットで役者は和装、音楽は尺八演奏。一人が二役以上を演じる。ハムレットを演じた内野さんがフォーティンブラスも演じる、という具合に。全体的に照明が暗めで衣装も黒っぽい。楽しい話ではないので、どうしても暗いトーンに。必然的に眠くなります。役者は文句なくよかった。しかし演出や音楽は、評判は非常に良いようだが、自分にとってはあまりピンとこなかった。シェイクスピアの舞台って、話は知ってるから、役者とか演出頼みになる。演出が合わないと、話を知っている分、恐ろしく退屈になるんだよな。
浮世企画『メッキの星』観劇。主人公の女性が自分に似すぎていて、観ていて辛くなった。傲慢で自分勝手で、悪いことが起きたら人のせいにして逃げる。目先の欲望ばかりに囚われて行動し、先のことを考えず、常に刹那的というか投げやりに生きている。だから人生の見通しが立たず不幸になる。恐喝容疑で捕まった彼女だが、悪い人間ではない。ただ人間的な弱さとか精神的な問題とかがあり、まともに生きることが難しい。ほかの登場人物もいわゆる「まとも」ではない。だけど皆、悪い人間ではないし、彼らなりに必死に生きているのだ。私には皆、愛すべき人に思える。主役の鈴木アメリ、よかった。法廷のシーンでの冴えなさと、セレブな友達の家に招かれたときの華やかさとのギャップがすごい。メイクして流行りの服を着れば、あっという間に「今時の女の子」になる。服を着替えるぐらいの気軽さで次々と嘘を重ねるので、罪悪感も持たない。ゲイの大輔を演じた結城洋平さんは、役作りがすごい。ご本人も整ったお顔で睫毛がすごく長く、外見的にも合っているし、仕草とかしゃべり方とかもよく研究していると思った。この芝居のなかで、大輔が一番いい奴だと思った。人に対してちゃんと愛を持っている。結局誰も「クズ」ではないんじゃないかな? お姉さんもゲイの大輔も結局は優しいし。ネットワークビジネスの友達も、やっていることは違法とまでは言えないし、自己責任でやる分には問題ないし。ホストとか年下男に騙されるのは、まあ女性にも責任があるし。
5月(観劇本数:3本)
唐組『ビンローの封印』観劇。25年前の戯曲だが、ギャグが多く、出演者が若く、演出も柔らかいせいか古い感じはさほどせず。あまり考えずにテント芝居という雰囲気も含めて楽しめた。同行者は唐組初めてだったが声を上げて笑っていた。外国人の観客も何人か。言葉がわからなくても楽しめるのだろう。稲荷卓央さんがここ何作か出ていないのだが、稲荷さんに代わって主役を務めているのが福本雄樹さん。まだ若いけどかなり力のある俳優だ。活舌が良く、長台詞も難なくこなす。単に上手いだけでなく存在感があるというか。顔立ちはすごく整っているのだけど、泥臭い感じもある。唐組の世代交代が急速に進んでいる……。福本さんはじめ若い俳優がどんどん育っているのはとても良いことだし、そのせいか若い観客も増えてきたような。一方で辞めてしまった人たちはどうしちゃったのかなと。どうしても昔の、唐さんが登場した瞬間の客席の沸き方とかを思い出すと切なくなっちゃう。
劇団桟敷童子『蝉の詩』観劇。昭和25年、北九州の遠賀川近くで船運送を営む父と、4人の娘の話。父は酒・ギャンブル・女に狂う荒くれ者で娘たちに嫌われている。母はいない。一家は、時代の流れで事業が立ちいかなくなったり、病気や不幸に見舞われたりする。この悲劇は、誰が悪いわけでもないのに起きるから悲劇なんだな。父親はひどい人間だけど、長女も次女もやりすぎなぐらい反発しているし。ていうか皆、気性荒すぎ(笑)。随所にやりすぎゆえに笑える、というシーンがあるので、人情劇として味わいがある。笑いと涙のバランス良し。そして『アルハンブラ宮殿の思い出』の曲が流れるなかの争いのシーンは、否応なしに涙がこみ上げてくるという仕掛けになっている。いや、あれは泣く。誰だって泣く。ずるい。四女のおりえは、姉3人を看取り、アイスキャンディを売り、必死に生きる。おばあさんになったおりえは、夫に先立たれ身寄りもなく、ホームレスになって公園で死の淵に立たされている。亡くなった人たちが彼女に言う、「おりえ、よく頑張ったね」。このシーン、やばかった。涙が止まらなくなった……。
シベリア少女鉄道『たとえば君がそれを愛と呼べば、僕はまたひとつ罪を犯す。』観劇。面白かった! 今回は役者さんひとりひとりがとてもいい感じ。兄と弟のシーンが好き。どんどん混沌としていく感じがいい。内容に関しては一言、バカバカしいとしか言いようがない(最大の誉め言葉です)。
6月(観劇本数:4本)
iaku『粛々と運針』観劇。重い病の母を持つ兄と弟の会話。そして子どもを望んでいないのにできてしまった夫婦の会話。「死」と「生」をめぐる二組の会話はやがて交錯していく。親の介護や出産など、年をとると様々な問題に直面する。どの家庭にもそれぞれの事情があって、簡単ではない。登場人物たちが真摯に話し合う姿に打たれた。こうやって言葉を尽くして自分の考えを語り、相手の考えを聞く、ということはとても大切だ。それなしにはなにも進まない。「どうせ分かり合えない」と諦めず、粘り強く話し合うことが大切だと思う。話し合いを放棄したら終わりだ。
FUKAIPRODUCE羽衣『愛死に』観劇。死者たちによる愛のお話。7年前の初演より「死」が濃厚に。数組のカップルのセックスを際どく描く「あうとどあせくーす」のパートは、性愛の滑稽さを感じさせながらも、性愛に溺れる人間たちが愛しく思えてくる。このバカバカしさ。これが恋愛なのかも。そして「茜色水路」では、愛が死に、一人になってかつて愛した人を想う。舞台上の男女はやがてひっそりといなくなり、劇場には若いカップルが紛れ込む。彼らはまだ「愛が死ぬ」意味を知らない。渦中にいるとその重要さがわからず、失った後で気づくことになる。
+81『ケ セラ』鑑賞。柳本雅寛さんによるダンスユニット。今回は大駱駝艦の向雲太郎、黒田育世、熊谷拓朗が出演。4人がまさにその場で作り上げているという臨場感があった。完成された作品ではなく実験的な部分が多く、すごく貴重で豊か。踊りを通したコミュニケーション、えげつないお笑いも。
チェルフィッチュ『部屋に流れる時間の旅』観劇。ある夫婦の震災後に起きた話。「ねえ覚えてるでしょ?」と執拗に夫に語りかける妻がウザい。この妻は震災後に喘息の発作で亡くなり、夫はそれを乗り越えて新しい女性をマンションに呼ぶが、妻の語りは止まらない。いつまでも忘れるなと言っているような。
7月(観劇本数:5本)
ゴキブリコンビナート本公演『法悦肉按摩』観劇。野外公演がやはり一番ゴキコンらしい。つまり、一番過酷で過激。今回は特に演出が過激だった。ストーリーはよく考えるとひどい話だけど、ミュージカルで曲がほのぼのしているせいか笑えてしまう。泥だらけで這いずり回ってあんなことやる女優魂、すごい。観客は演劇好きとはまた違う層な気がする。むしろ普通に演劇好きでゴキコンが好きな人って少ないような。今日は男女とも若い観客が多かった。感度が高い系の? 特に女性は若くて可愛い人が多い。「なんでこんな可愛い子がここに?」という感じの。今日の非日常感たら半端なかった。行ったことのない場所に電車・バス・徒歩で迷いながらたどり着き、そこでさんざんな目に遭い、身体中どろどろで体臭を漂わせ眉毛も半分ないという状態でまた迷ってなんとか家にたどり着いて今、なぜか明日からまた頑張ろう! という気持ちになってる。恐るべしゴキコン。今回の公演は「五感を総動員する」と謳っていて、まさにその通りだった。普段使わない感覚を刺激される。良くも悪くも。不快感だったり。そのせいで感覚が鋭くなったのを感じる。やはり時々こういう体験をしないといけない。せっかく生きてるのだから。観てる間はものすごく疲れたのに、今は明日からの活力になっている。演劇って不思議だね、こういうことが演劇の力なのかな。次のゴキコンが早くも楽しみ。役者はだいぶ変わったけど、それって「出たい」もしくは「出てもいい」という役者が常にいるってことだよね。ああいう芝居でそれはすごいことだ。
鳥公園『すがれる』観劇。「老い」がテーマ。室生犀星の言葉がコラージュされ、台詞がとても良かった。鳥公園らしく一本のストーリーというよりも断片的なエピソードが積み重ねられていく。人によっては合わない人もいそうだけど、この独特の世界観、私はすごく好き。
ブス会*『男女逆転版・痴人の愛』リーディング公演観劇。話の流れは原作とそれほど変わらなくても、男女を置き換えるともうテーマそのものが全く変わってくるんだということが新鮮だった。ラストはそこに着地したか! と。ずっと女性を描いてきたペヤンヌさんならではの作品。官能的なシーンはもっとあってもいいかと。原作に出てくるセリフをちょっと変えて絶妙なタイミングで入れていて、笑いを誘う。やはり言葉のセンスが良い。しかも話してるの安藤さんだし。福本くんのセリフももっとほしい……と思ったが、クライマックスの福本くんは迫力あって痺れた。当て書きかと思うほど。
マームとジプシー『あっこのはなし』観劇。今までのマームとは違う系統の話だけどめちゃくちゃ面白くてびっくりした。とある地方でルームシェアしているアラサー女性3人が、登山や岩盤浴や街コンへ行ったりしてガールズトークを繰り広げる。アラサー女性のリアルな話をコミカルに。恋バナが最強。今いる場所を出たいと思っているのに出れない人たちがいる。一方、出ていく人もいる。これはマーム作品で繰り返し描かれるテーマ。残された人たちは出ていく人を笑って見送り、その場所に留まって生きていく。働いて恋をしてお酒飲んで、そうやってただ日々を過ごして年を取っていく。
マームとジプシー『ΛΛΛ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと――』観劇。新たな演出が加わってより密度が濃くなり細部まで描かれている。人や家がなくなり時間が経って、家族で食卓を囲むことがなくなっても、その感触は残っている。観ていてそういうテーマがスッと身体に浸透してくるような。前進し続けている人だって、ときには過去を振り返りたくなるだろう。いなくなった人や家を想う夜もあるだろう。だって過去の食卓の思い出は今の自分を作った大切なものだもの。そういう何気ない思い出を大切に持ち続けていくことこそが、真に豊かな人生を送るということなのかも。『あっこのはなし』もちょっとつながってるのね。ていうか全作つながってるか、マームは。
8月(観劇本数:4本)
範宙遊泳『その夜と友達』観劇。これは刺さる。夜の抱えている生きづらさ、それは原因は一つだけじゃなくて、「社会が悪い」なんてことでもなくて。誰が悪いわけでもない、だからしんどい。セリフにあるとおり、しんどさを知ってしまった人間は、「こっち側」には戻れない。でも希望はあるのだ。自分の「基準」を明確に持って生きていくことは大事だが、そこにいくらか幅を持たせることはもっと大事。そうすることで可能性が生まれるし、人生が豊かになる。そして、過去のある時期に親しく過ごした友人や恋人との時間は、人生の宝物だ。最初のほうは、主人公と夜の友情が、村上春樹の小説みたいだなと思った。小説の一節のような文学的・哲学的なセリフが出てきたかと思えば、すごい今どきの言葉も出てくる。それを発する俳優も表現力豊かだ。兎にも角にも私にとって「夜」というキャラクターは格別。人当たり悪くて友達が少なくて不器用で人に心許せなくてダサい。まるで私じゃん……いやでもこの夜にはめちゃめちゃ打たれる。人当たり悪いなりに個性を出そうとする健気さ。苦悩している姿を晒してしまう無防備さ。夜を演じた大橋一輝は、何度も舞台で観て好きな俳優だけど、今回は出色。繊細だけど柔軟で、ものすごく色気がある。前半と後半の落差もすごい。武谷公雄の語りは本当に人を惹きつける。名児耶ゆり演じたあんは、こんな女友達が欲しいと思うような嫌味のない良い娘。
スタジオライフ『卒塔婆小町』深縹チーム初日観劇。三島由紀夫の耽美な世界とスタジオライフは合っていると思った。老婆役の山本芳樹さん、老婆から20歳の絶世の美女に替わるシーンが鮮やか。美しく艶やかで品があり、でもどこか哀しげ。衣装も豪華。鹿鳴館でのダンスシーンがとてもよかった。詩人役の関戸博一さんもよかった。台詞回しも安定感があり、詩人の情熱が伝わってきた。蜷川幸雄演出の『卒塔婆小町』で詩人を演じた高橋洋さんを思い出した。山本さんも関戸さんも、台詞がしっかりしていて、聞いていて想像が広がった。三島の言葉はやはり凄い。同時上演の『深草少将の恋』は、百夜通いのエピソードをオリジナルの歌で綴ったもの。出演している11期生以下の若手俳優たちが歌い、とてもフレッシュだった。山本芳樹さんもご自身の歌を披露。まさか山本さんの歌が聴けるとは思わなかったので、かなり嬉しかった。今回はシアターモリエールという小さな空間で、三方を客席が囲むほぼ素舞台だった。これはこれで客席と近くて密度が濃くてよかったが、シアターサンモールとかでもっと大掛かりなセットや照明を使って上演したらもっとかっこいいんじゃないかと思った。衣装も豪華だし。
FUKAIPRODUCE羽衣『瞬間光年』観劇。出演者一人一人のモノローグエピソードからの激しいダンスと歌。エピソードの内容は多様で、何気ないシーンから飛躍して「未来」「宇宙」「死」を感じさせる。羽衣といえば男女の劣情を綴ったものが多かったが今回はその先にあるものをきっちり描いた。
八月納涼歌舞伎第三部『野田版桜の森の満開の下』観劇。私はNODA・MAPの公演も観ている。ほぼ現代劇なのだけどやっぱり歌舞伎役者が演じているから様式美があるというか、「絵」としての美しさがすごい。その分、NODA・MAPと比べるとスピード感はあまりなく、ちょっと中だるみもあった。しかしやはりストーリーの力と役者の力はすごい。特に夜長姫を演じた七之助が素晴らしい。恐ろしく残酷でありながら無邪気で可愛らしい。勘九郎演じる耳男とのラストシーンは壮絶に美しかった。
9月(観劇本数:7本)
青年団リンクホエイ『小竹物語』観劇。怪談イベントで怪談話をする人たちの話。イベントをライブ中継するがなかなかうまくいかず人間関係のもつれが明らかに。ライブ中継中は実際に役者が怪談話をするのだが、それがすごい迫力。怪談としてはそれほど怖くないのに役者が話すと「怖い!」と思えるのだ。Qでの怪演が記憶に新しい永山由里恵は今回もすごい。彼女を見るだけでも価値があるのでは。笑いながら観ていたら途中からゾクッとする展開に。人間は粒であること、距離が離れていても一度絡まった粒同士はずっと絡まり続けること、死んだ者とも絡まっていること。生きた者と死んだ者とが同時に存在することもあるということ。普通の日常生活を送っているとそういう認識はないが、視点を変えれば別の世界が広がっている。それは私にとってとてもワクワクするというか、救いでもある。今自分が見えている世界だけがすべてではない。
ニブロール『イマジネーション・レコード』鑑賞。この公演の初日に北朝鮮のミサイル攻撃があった……ということすら今は忘れられつつあるのかも? そういう記憶の風化の怖さ。私自身、すぐにシャッターを押してしまうタイプだけど、でも記憶はできてない。
ベス・ヘンリー作、小川絵梨子演出『クライムズ・オブ・ザ・ハートー心の罪ー』観劇。それぞれ問題を抱える三姉妹の物語。激しい言い争い、つかの間の笑い合い。自分の問題が解決するわけじゃなくても、他者と話し合い笑い合える瞬間を積み重ねていくことが「生きる」醍醐味だなと思った。
Q『妖精の問題』観劇。ぶっ飛んでて実に面白かった! やはり市原佐都子は面白いな。竹中香子はパフォーマーとして素晴らしい。殊に二部『ゴキブリ』の歌が物凄くかっこよかった。激しいピアノに合わせて体をリズミカルに動かしながらゴキブリにまつわる荒唐無稽な歌を歌う。シュールな真剣勝負。3部は、女性なら心当たりのある人は多いだろう。本当のことも言っているから、どこまでがネタかわからないという危うさも。3部の竹中香子は1部2部とはガラリとキャラが変わり、新鮮。達者だ。全部観ると繋がっているのがわかる。観る者の思考を促す構成。3部にしたのは良い試みだったと思う。ゴキブリの歌が頭から離れない。かっこよかったなあ。CDにならないかな。異常なゴキブリが♪ 料理しながら口ずさんだよ。歌詞は変えたけど。次は牛肉を♪細切れにして♪
文学座9月アトリエの会『冒した者』観劇。私は2013年の葛河思潮社の上演を観ている。改めて観ると、こんなに暗く深い戯曲だったのかと。観念的な長台詞を役者が時に感情的に言う。その役者の熱演と内容の凄まじさに、観ている側もやられてしまう。それを休憩込み3時間50分もやるのだから……。原爆投下から7年後の日本を舞台にした話で、人々は未だ混乱のなかにあり、登場人物はあるきっかけで己の欲望や狂気を曝け出す。戦後という時代だから、ではなく、いつの時代でも人間の本性はそうなのではないか。観ていて面白い話ではないけれど惹きつけられる。そして最後の演出にはびっくり。意図を考える余裕もないほど衝撃を受けたまま終演……。
風琴工房『アンネの日』観劇。とある生理用品メーカーで、自然派の生理用ナプキンの開発プロジェクトを立ち上げる女性たち。プロジェクトメンバーの女性たちが赤裸々に自らの生理について話す。途中『アンネガールズ』と称する女性たちが賑やかに出てきてナプキンの歴史や生理あるあるネタを話す。プロジェクトメンバーはそれぞれ違うバックグラウンドを持っていて、生理の話もほんとに人それぞれ。生理の話は個人的なことだし、普通人には話さないけれど、自然派ナプキン開発という目標を持った女性たちは次第に話すように。彼女たちは皆、逞しいキャリアウーマンでもある。女性たちは様々な葛藤を経て今がある。人知れず苦労を重ねてきた女性たち。女性であるということはなんという困難を伴うものか。だからこそ人一倍努力して人並みになろうとする。女性ってほんと真面目な生き物なのよ。プロジェクトを組めばみんなと仲良くなろうとするの。そんな女性の特性をよく描いていた。「生理」というのは女であることのネガティブな側面と受け取られがちだけど、むしろそれもポジティブに描いていて、どこまでも前向きなのはこの劇団らしい。女優は皆良かったが、特に笹野鈴々音の仕事できるおしゃれガールっぷりが素敵。彼女も自らの身体のことで悩んでいるのに、そんなことおくびにも出さない。そのしっかりぶりが悲しくもあり……。
さいたまゴールド・シアター『薄い桃色のかたまり』観劇。すごく面白かった。震災から6年後、イノシシの襲来に悩まされながらも復興を進めようとする人々。ゴールドシアターの俳優たちが集会所に集まってしゃべる場面はライブ感に溢れていて、次にどの人がどんなことを言うんだろう、と引き込まれる。ある謎が提示され、次第に明らかになりながらも完全にはわからない。でも岩松了の作品のなかでは随分わかりやすいほうだろう。匙加減がちょうどよかった。奥から出演者がわらわら出てくるシーンなど、ちょっと蜷川演出を彷彿させる。場所のせいかな。転換がすごかった。なにもない空間に出演者が現れ、出演者やスタッフによってセットが持ち込まれる。しかもすごい作りこまれたセットだ。そこでのシーンが終わるとサーっと取り払われ、次のセットが設置される。かっこいいなあ。ネクスト・シアターの俳優も重要なポジションだ。内田健司はやはりいい。単にうまいだけでなく、俳優としての意思のある演技、というか。ちょっと怪しくて色気がある。堅山隼太と二人のシーンなんて萌え(爆)。あと指がすごく細長くて美しい。
10月(観劇本数:2本)
柴幸男作・演出『わたしが悲しくないのはあなたが遠いから』シアターイーストで観劇。震災をモチーフに「距離」を描いた作品。シアターイーストとウエストでの同時上演。ストーリーを見せる芝居じゃなくて観念的な感じだからかあまり入り込めず。いろいろ面白い試みではあると思うけれどもイマイチ。
維新派『アマハラ』台湾・高雄での公演を観劇。野外公演。廃船の舞台の上を白塗りの少年が歩く。いつの間にか舞台がはじまっていた。圧倒的なスケールで繰り広げられるシーンひとつひとつに魅了された。描かれているのは、20世紀前半のアジアの海の歴史。終盤は戦争の話に。フェスの屋台村があり、開演前にビールと台湾のソーセージを。
11月(観劇本数:4本)
唐組『動物園が消える日』観劇。いつもよりリアルな感じの話で、わかりやすかった。消えてしまったものをいつまでも追い求めてしまう男。その悲哀と滑稽さ。笑った後で妙に切なくなってしまうようなお芝居だった。久保井研さんが今回すごくいい。あの風貌が切なさを感じさせるというか。前から二列目のセンターで観たので濡れました、笑。濡れるのもまた楽しい、けど役者さんは毎回大変だなあ。前で観ると役者さんのツバとかも飛んでくるほどの臨場感があっていい。私の好きな福本雄樹くんは今回も素敵でした。赤松由美さんの出番が少なかったのが残念。
ヨーロッパ企画『出てこようとしてるトロンプルイユ』観劇。シベ少並みに前振りと大ネタありの今回。ネタ部分も面白かったけど、売れない画家たちのグダグダしたしょうもない芸術談義が楽しい。「大事なのは美で」「いや違くて」……延々と「いや〜〜で」「むしろ〜〜で」で会話が続いていく(笑)。
アマヤドリ『青いポスト』観劇。年に一度「町で一番悪い奴」が投票で選ばれ、選ばれた者は消される……という架空の町のお話。やりたい放題悪事の限りを尽くしている双子がいて、その妹のほうが「町で一番の悪者」に選ばれるが……。双子、双子の祖母と育ての母、双子にいじめられていた女子などいろんな登場人物が出てくる。物語は場面を細かく切って登場人物のモノローグを多用して行きつ戻りつしながら進んでいく。時折入る群舞が美しく躍動感がある。女性だけの芝居だが、話の内容的にも群舞もアマヤドリらしい公演。
アマヤドリ『崩れる』観劇。アマヤドリの新作二本立て、こちらは男性キャストのみでの密な会話劇。「裏切り」がテーマのスリリングな内容だ。大学時代からの仲間である男たち。ふとしたことから嘘がバレ、それをごまかそうとするうちに深みにはまっていく。裏切られた怒りをストレートにぶつける男は、もはや謝罪されても許すことができず、自ら「崩れて」いく……。個人的にこの裏切られた男に感情移入してしまい、痛かった。
12月(観劇本数:4本、ライブ1本)
花組芝居『黒蜥蜴』黒夫人組観劇。加納幸和さんの黒蜥蜴、さすがに所作が綺麗。衣装も豪華。明智小五郎役の小林大介さんもかっこよかった。敵なのにちょっと愛もある二人の関係。ラストは切ない。久々に花組版歌舞伎劇観たが、やはり役者さんが良いな。
劇団☆新感線『髑髏城の七人』season月の下弦の月バージョン観劇。客席が回転しながら場面転換して進んでいき、非常に迫力があった。ただ4時間は長い。後半だれていた。場所も遠いのだし、もっと刈り込んで3時間ちょっとにしてくれたほうがメリハリがあってよいのに。蘭兵衛役の人が中性的でかっこよかった。
古川健作、高橋正徳演出『斜交』観劇。昭和38年の吉展ちゃん誘拐事件の容疑者の取り調べを描いたもの。のらりくらりとかわす容疑者を、近藤芳正演じるベテラン刑事が落とそうとする。攻防戦がすごい。最後の最後に落ちる。スリリングだった。だがこの容疑者の境遇を想うと心が痛くなる。。。
ブス会『男女逆転版・痴人の愛』観劇。能舞台をイメージしたような抽象美術で、音楽はチェロの生演奏。とても雰囲気がある。内容的にもリーディング公演からかなり肉付けされ、深いものになっていた。特にナオミの少年時代や洋子の過去が加えられたのは良かった。福本雄樹君はシャープさと甘ったるさとを併せ持ち、ますますセクシーに。洋子の痴人ぶりを見て引くどころか、なんか他人事に思えなくて切なくなった。こんな自分に引いた。
羽衣ライブ、超楽しかった! 今回はマニアックな選曲らしく、初めて聴く曲もあってすごく新鮮だった。男優5人による尾崎の歌とモノマネ、最高だった!あと岡本さんのハンドクラップマンがとにかく濃くてすごいエネルギーで引き込まれた。岡本さんの腕の筋肉と血管がセクシー。ゲストの木ノ下裕一さんの歌もすごくよかった。『燃えるような人生』。木ノ下さんはトークも上手で面白い。アコースティックの『果物夜曲』もしっとりしてよかった。行ってよかった。これで年を越せる。あともうちょっとは生きていける。
2016年の演劇ベストテン
2016年の演劇ベストテン
観劇本数:74本
1位:ホリプロ『娼年』(原作:石田衣良『娼年』『逝年』、脚本・演出:三浦大輔)
2位:On7『ま◯この話〜あるいはヴァギナ・モノローグス〜』
3位:パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE 羽衣『愛いっぱいの愛を』
4位:Q『毛美子不毛話』
5位:シベリア少女鉄道『君がくれたラブストーリー』
6位:『猟銃』
7位:劇団態変『ルンタ』
8位:彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾『尺には尺を』
9位:モダンスイマーズ『嗚呼いま、だから愛。』
10位:ハイバイ『夫婦』
【総評】
1位の『娼年』は、石田衣良の『娼年』『逝年』を原作に、三浦大輔が脚本を書いて演出した作品。「娼夫」である主人公が様々な女性とセックスをして彼女たちの内面に迫ってゆくという話だ。「舞台で性を表現する」ことをとことん突き詰めており、主演の松坂桃李はじめ女優も皆脱いで、身体を張ってギリギリのところまでセックスを表現。ホリプロ主催の大きな規模の公演なのに、ここまでやるのかと驚いた。
2位のOn7『ま◯この話〜あるいはヴァギナ・モノローグス〜』は、1996年のアメリカの戯曲を大胆かつスタイリッシュにアレンジし、On7の女優7人の生の声も入れ、女性器というテーマを様々な角度から描いたパワフルな作品。女性器にまつわるセリフを、ときには自らの経験も交えてあけすけに語る女優たち。ユーモラスなエピソードもあればシリアスなものもあり、観ていると笑ったり唸ったり切なくなったりと忙しい。この作品を上演したOn7の勇気に拍手。
3位のFUKAIPRODUCE 羽衣『愛いっぱいの愛を』は、パルテノン多摩フェスティバルの演目のひとつ。水上ステージでの公演で、様々な男女の物語を羽衣の名曲に乗せて描いた作品だ。高校生の男女の初々しさ、不倫カップルの性愛、そして別れてしまった男女の切なさ……。青空に囲まれた水上ステージは、日が落ちると暗い森のなかにいるような幻想的な雰囲気に。池のなかにざぶざぶ入り、水しぶきを上げてずぶ濡れになりながら熱唱する役者たちの姿は人間賛歌に溢れている。野外公演ならではのダイナミックさに圧倒された。
4位のQは、以前から注目している劇団。作・演出の市原佐都子は、これまで一貫して「女性の性」を描いてきた。本作もまた「女性」という性の面倒くささ、醜さ、滑稽さを真正面から、これでもかといわんばかりに描いている。動物的な描写、荒唐無稽なエピソード、そして役者2人の怪演。思わず見入ってしまう。登場人物の吐くセリフが面白い。女性のモノローグ、性にまつわる下世話なセリフ。一方で、なんでも量産され消費され続けている現代社会に対する問題意識も。
5位のシベリア少女鉄道は、毎回いろんなネタをやって笑わせてくれるが、本作は特にはまった。はまったときのシベ少は最強。話が進むにしたがいネタがわかってきて、客席は爆笑の渦に。本作では登場人物たちが持つカードに特別な意味がある。1枚のカードを出すことで、展開が180度変わる。毎回感じるが、土屋さんの「言葉」のセンスがすごい。やってる内容は笑えるくらいくだらないのに、パズルのように緻密に組まれている。くだらないことに全力で取り組み、一生懸命作り込んでやっているのがシベ少の最大の魅力だ。
6位の『猟銃』では、井上靖の小説『猟銃』に出てくる3人の女――男の妻、愛人、そして愛人の娘の3役を中谷美紀が演じた。中谷美紀がただただすごい。メガネをかけたおさげの20歳の若い娘を演じた次の瞬間、鮮やかな赤いワンピースを身にまとった妖艶な女になる。最後は着物を着付けながら、死を間近にした女の業を見せる。どの女も心の内に「蛇」を飼っている。
7位の劇団態変の舞台を観たのは初めてだった。演出・出演などすべて身体障害者で構成されている劇団。身体障害者たちがレオタード一枚で舞台に上がり、パフォーマンスする。セリフはない。皆、ごろごろと床を転がる。立てる人は立って歩いたり跳ねたりも。転がる、といっても、人によって動きは全然違う。その動きは演出されたものだけど、その人自身から出てくる動きでもある。その人のその身体でしかできない動き、ほかの誰も真似なんかできない動き。この世で唯一の動き、身体。その一つ一つが彼ら個人の表現なのだ。圧倒的だ。
8位の彩の国シェイクスピア・シリーズ第32弾『尺には尺を』は、蜷川幸雄追悼公演。舞台裏を見せているかのようなオープニング、通路を多用して客席との一体感を持たせる演出は、蜷川幸雄のそれを踏襲している。後半ですべてが回収されていく戯曲が爽快。役者陣もテンポよく生き生きと演じていて、引き込まれた。ダブルコールで幕が再度上がると、なんとそこに故・蜷川幸雄の巨大な遺影のパネルが天井から下りてきた。観客はスタオベで熱い拍手を送り、泣いている人もちらほら。蜷川幸雄への愛と尊敬に溢れた、素晴らしい追悼公演だった。
9位 蓬莱竜太の作品は一定のクオリティを保っている。本作は最近社会問題ともなっている、夫婦のセックスレスをテーマにしたもの。セックスレスで悩む女性が、美人の姉や、妊娠した友人などの周囲の女性と自分の境遇を比べ、どんどん自己卑下していく。女性の自意識だけでなく、男性の心理も巧みに描いている。男女の分かり合えなさ、それでも一緒にいるということの意味とは……などいろいろ考えさせられた。
10位のハイバイ『夫婦』は、岩井さんご自身の家族の話で、『て』の続編のような位置づけ。暴力的な父親の死を通して、夫婦や家族の関係を描く。「死」がテーマとなっているだけに、重い作風。もちろんハイバイならではの笑えるシーンも多いのだが、そう簡単に笑っちゃいけないんじゃないかと思わせる。舞台上に置かれた複数の机を、家の食卓や病院のベッド、研究所の椅子などに見立て、一人の役者が複数の役を演じてスピーディーにシーンが進んでいく。見せ方が巧み。
2016年12月に観た舞台
ドキュントメント『となりの街の知らない踊り子』観劇。北尾亘によるダンスを交えた一人芝居。現代社会に生きる複数の人の視点を通して、多角的に「現代」「東京」をとらえる。スマホ、SNS、人身事故──。都会には様々な「他者」がいて、それぞれ知らんぷりをしながら生きている。映像や文字を効果的に使い、複数の「場所」を浮かび上がらせ、「時間」をも越える。「街」が立ち上がり、そこに生きる「人」の存在が、ダイレクトに伝わってくる。理屈ではなく、感覚に訴えかけてくる。だから思わず心を持っていかれる。
チェルフィッチュ『あなたが彼女にしてあげられることは何もない』観劇。「カフェでの公演」というから、てっきりカフェのなかで芝居を観るのかと思ったらそうではなく、カフェのなかに役者がひとりいて演技(?)をして、それを外から眺めるというスタイル。イヤホンを装着するとなかの音が聞こえる。そうしたスタイルは面白かったが、芝居部分は退屈だった。女優が席について延々とポエムのようなセリフを言う。上演時間は30分と短かったが、そのセリフだけを聞かされていたら退屈だと思う。でもイヤホンからは営業中のカフェにいるほかの客の会話も聞こえてきて、それが面白い。
スザンネ・リンケ「ドーレ・ホイヤーに捧ぐ『人間の激情』『アフェクテ』『エフェクテ』」鑑賞。視覚的に楽しかった。ストイックだけどテクニカルなダンスは、生々しさがなく、身体で感じるというよりはじっくり頭を使って集中して観るタイプのものか。私の好みとはちょっと違ったけど、観れてよかった。
iaku『車窓から、世界の』観劇。3人一緒に電車に飛び込んだ女子中学生たち。彼女たちと関わりのあった大人たちが、彼女たちが飛び込んだ駅に集まり、いろいろ議論する。ストーリーといえばそれだけで、ほぼ会話のみ。にも関わらず濃い内容だった。様々なテーマがあるが、結論は出していない。
藤田貴大演出『ロミオとジュリエット』観劇。ロミオの青柳いづみはじめ、主要な男性キャラを女優が演じる。戯曲は解体され、二人が出会って死ぬまでの5日間を、二人が死んだ日から出会った日まで遡って描く。とにかく「音」がすごかった。空間がすごく美しかった。これは、藤田さんがいかに『ロミジュリ』を再構築して演出しているか、ということを観る舞台。逆に言うと「普通の」ロミジュリを観たい人には全然向かない。観客の反応が微妙だったのだが、藤田作品が初めての人が多かったのだろうか。ストーリーを追うため集中する必要もなく、リラックスして観られた。ただただ演出の技にうなり、女優のセリフに聞き入り、音にびっくりし、衣装や美術の美しさにうっとりした。なんかダンスを観ているときのような。実際ダンスシーンもあったけれど。
岩松了作・演出『シブヤから遠く離れて』観劇。ストーリー展開や演出や役者で魅せるのではなく、セリフを聞いてそこから観客が自由に想像を広げる、という系統の芝居。セリフの妙を味わえなければ楽しめない。集中力が必要。私は集中できず楽しめる要素がなかった。
劇団桟敷童子『モグラ』観劇。大正時代末期を背景にした伝奇浪漫。今までの桟敷童子とは違う系統の話だが、演出や美術はいつもの桟敷童子なのでなんら違和感なし。話はよく考えると辻褄が合わない部分もあるが、まあそこは伝奇浪漫だからね。最後まで飽きずに楽しめた。
Q『毛美子不毛話』観劇。「女性」という性の面倒くささ、醜さ、滑稽さを真正面から、これでもかといわんばかりに描く。性表現含め、あまりの動物的な描写に目を背けたくなるのだが、思わず見入ってしまう。役者が相当巧みなのだが、これをやらせる市原佐都子はやはりすごい。
12月の観劇本数は8本。
ベストワンはQ『毛美子不毛話』。
2016年11月に観た舞台
劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』観劇。大正天皇の物語。非常に人間らしく、好奇心旺盛で、自由だった大正天皇。しかし幼少から体が弱く、父・明治天皇ほどの才覚がなかったことから、「天皇としてふさわしくない」とプレッシャーをかけられる。それでも天皇としての責務を果たそうとする。天皇として生まれた者は、天皇にならなければならない。己にその器がないとわかっていた大正天皇は、気さくに周りの人の声を聞いたりしながら、父とは違う自分なりの天皇となろうとし、新しい世の中を作った。富国強兵を推し進めた明治時代とは違う、「大正ロマン」が花開く時代に。しかし、そうした大正天皇の功績も、脳病を発症したことで忘れ去られてしまう。それどころか今では「暗君」として語られている。実はそこには陰謀があったのに──。私も小学校で「大正天皇は頭が弱かった」と教えられた。100年後、200年後も「暗君」と語られてしまう悲しさ。天皇とはなにか、国家とはなにか、を考えさせられた。大正天皇の病状を公表して帝位を退かせようとした者たちが悪者というわけではない。皆、国家のため、皇室のためを思ってのことであり、それぞれ自分の確固たる信念を持っていた。それに従って心を鬼にして決断した。しかし、戦争というものも「国家のため」を思ってするものだとしたら恐ろしい。戦争中は国民も「お国のため」に喜んで(そのふりをして)その身を犠牲にした。今の我々から見ると異様だが、当時は戦争に負けるなんて考えてなかっただろうし、お国のために尽くすのが正義だったのだ。なにが正しいのかなんて、そのときは誰にもわからない。皆、上が言うことを信じ、周りの空気に同調し、「これが正しい」と突き進んでしまう。だからこそ怖いのだ。「進め一億火の玉だ」とか、普通に怖いけど、戦時中はそれを「怖い」と感じられなくなり、感覚が麻痺してしまうのだ。戦争に勝利し、富国強兵を推し進め、国民をぐいぐい前へ前へ進めることで日本を世界の大国にした明治天皇。そのせいで疲弊した国を休ませ、明治時代とは違う自由な日本を作ろうとした大正天皇。一方で、明治天皇こそがあるべき天皇の姿と信じ、そのときの皇室を取り戻そうとした昭和天皇。そして、はじめて「日本国の象徴」としての天皇となった今上天皇。天皇ってなんだ、象徴としての天皇ってどういうことだ、ということを一番考えておられるのは今上天皇だ。天皇である、ということがどういうことなのか、正直、想像ができない。舞台セットは玉座のみで、照明も終始暗い会話劇。それで2時間半も飽きずに見せる演出はすごい。私は照明が暗い芝居ってだいたい寝るのだけど、これは寝なかった(そこで量るのもなんだけど)。見かけは地味だけど、すごいドラマティックだった。この流れでのラストの君が代にはやられた。普段はまったく意識してないけど、自分のなかの「日本人」の部分、天皇を畏れ敬う気持ち、を感じた。昭和天皇が崩御したとき、すごい喪失感を覚えたことを思い出した。いろんな意味で、自分が日本人であることを意識させられた作品。
『x/groove space』鑑賞。まったく前情報がなく、ドイツのダンス作品だと思って観に行ったら、客席のない暗い空間に放り出され(もちろんスタンディング)なにが起こるかわからないという状態に。観客のなかにパフォーマーが紛れていて、パフォーマンスが始まった。大量の紙吹雪を渡されて散らせたり掃除したりなど一部参加型ではあったが、基本的にはそこで起こっていることを目撃させる、というスタイルか。最後にロビーで、上演中に録画された映像が流され、モップで掃除する動きなども演出だったことがわかり面白かった。しかし、前情報なく普通の舞台作品を観るつもりで行ったのに、受付で「体験型の作品なので、荷物を預けてください」と言われた時、一瞬「面倒くさいな」と思ってしまい、年を感じた……。
てがみ座『燦々』観劇。葛飾北斎の娘、お栄の物語。北斎の娘として生まれ、才能はあったが、女だったから北斎に絵師として大切にされたわけでもなく、父に振り回される人生。お栄が父から独立し、絵師としての将来を開拓していく前のところでこの芝居は終わってしまうので、ちょっと不完全燃焼な気が。お栄が絵師として成長することを描くため、叶わない恋や吉原の花魁との交流が出てくる。吉原の花魁のシーンがすごくよかった。あとで当日パンフを見て、花魁役が善次郎(お栄が恋する相手)を演じた人と同一人物だとわかり、衝撃を受けた。霧里、美しかった。お姉さんとの関係も。
『B.E.D.(Episode 5)』観劇。「参加型パフォーマンス」と銘打っているが別になにかさせられるわけではなく、単に場所を移動しながら観る、ということ。マットレスを使って遊んでいるかのような役者たち。それを見届ける観客……。あまり意図がわからず、退屈だった。
大パルコ人③ステキロックオペラ『サンバイザー兄弟』観劇。主演は瑛太と、ロックバンド「怒髪天」のボーカル増子直純。まさに「ロックオペラ」。生演奏、ダンス、ラップ、ギャグ……すべてある。ストーリーはどうでもいい感じなので、ただショーとして楽しむ感じかも。増子の歌がとても良かった。役者でよかったのは、三宅弘城と皆川猿時。三宅さんのボケには大笑い。そして次のシーンではかっこよすぎるロックバンドのドラマーになっちゃうんだから、胸キュン。皆川猿時はいつもながらのおデブキャラ。汚さも含めここまで突っ切っていると潔い。彼のラップがよかった。
11月の観劇本数は5本。
ベストワンは劇団チョコレートケーキ『治天ノ君』。
2016年10月に観た舞台
勅使川原三郎×山下洋輔『up』鑑賞。ダンスとジャズピアノのセッション。すごかった……。クライマックスでの山下洋輔は神がかっていた。馬もリズムに合っていた(というか山下洋輔が馬を見ながら弾いていた)。馬に跨る佐東利穂子の捌きもすごい。大人しい馬だった。もっと暴れたら面白かったかも。
『伐採』前半のみ観劇。自殺した女優をめぐり、芸術や死について登場人物がぶつぶつと会話する。セットはかっこよかったが、暗く観念的な舞台で、私には死ぬほど退屈だった。前半だけでも長くてきつかった。後半で劇的に面白くなる気もせず、あと二時間これを観続けるのかと思ったら耐えられず。
イデビアン・クルー『シカク』女性版観劇。ルームシェアしてる四人。個々の動き、全員のダンス。寿司屋のシーンが面白かった。女性版と男性版は基本的に同じ振付らしいが、やはりだいぶ変わるだろう。井手茂太が出演する男性版も観たかった。
『ふくちゃんねる』観劇。ナカフラの福田毅によるパフォーマンス。南池袋公園内のシャレオツなカフェの一角での公演。「通信販売」をテーマに、福田さんが自らの「作品」を何作か発表。「作品」はどれも面白かった。ナカフラっぽいな、とも思った。作品自体のクオリティは高いと思う。貸切ではなく通常営業のカフェでの公演。良く言えば臨場感があるのだけど、どうしても雑音が多く、集中力が途切れる瞬間があった。カフェ上演ならではの題材もあったが、もっとカフェという場所を利用できるのではとも思った。逆に、静かな環境で観たら、純粋に「作品」として楽しめるような気も。カフェでやるなら、その雑然とした雰囲気を利用してもっと双方向なものにしてもよかったかも。シャレオツなカフェっぽい山盛りサラダと小さなパン、ソフトドリンクがつく。サラダもパンもとてもおいしい。サラダの量がすごく多く具もたくさん入っているので、軽食とはいえかなりお腹いっぱいに。ドレッシングもおいしかった。飲み物はアルコールもあったほうがよいと思う。
10月の観劇本数は4本。
2016年9月に観た舞台
ホリプロ『娼年』(三浦大輔脚本・演出)
石田衣良の『娼年』『逝年』を原作に、三浦大輔が脚本を書いて演出した作品。セックスを介したコミュニケーションの話。主演の松坂桃李はじめ、女優も皆脱いで、身体を張ってギリギリのところまで舞台でセックスを表現している。小劇場の舞台でもない、ホリプロ主催の大きな規模の公演なのに、ここまでやるのかと驚いた。もちろん本当にセックスしているわけではないけれど、客席まで大きく張り出したベッドルームで俳優たちがくんずほぐれつやっていて、キスや体を舐める音などもマイクで拾っており、本当にしてるように見せている。演出家やスタッフも一丸となって真摯に挑戦している。本物のプロの仕事。ところどころに三浦さんらしい笑えるシーンもあったり。娼夫という裏の世界を描いているのに最後に温かい気持ちになるのは、セックスを介した生のコミュニケーションの温かさが伝わったからだろう。主演の松坂桃李くんの魅力も大きい。娼夫の役だが、清潔で誠実、女性に優しい。素敵すぎる。松坂桃李もすごいが、女優陣もすごすぎる。まるで競うかのように次々と見せ場が。俳優にとってはこういう役は難しいが、一度覚悟を決めれば非常にやりがいがあるのだろう。俳優たちが互いに切磋琢磨して、良い影響を与え合いながら作品を作り上げた感じがした。
ニコラス・ライト作、森新太郎演出『クレシダ』
1630年代のロンドンの劇場で、シェイクスピア劇などの女役をやっていた少年俳優たちの話。昔は女性役を少年がやっていたというのは知識としては知っているが、実際どういうやりかたをしていたかは知らなかったので、興味深かった。少年俳優たちは、自ら志願して来た者もいれば、複雑な家庭事情を抱えている者もいる。ほかの劇団から売りに出されて来た者もいる。舞台に出ている少年俳優を、ほかの劇団に「売る」、「買う」というやりとりがあったとは驚きだ。少年俳優の旬の時期は短い。声変わりをするとできなくなり、男役になったり、卒業したりする。劇団を取り仕切り、少年俳優を売り買いしたりもする老人シャンク(平幹二郎)も、かつては少年俳優だった。今はお金をちょろまかしたりしている彼が、ある少年に出会って変わっていく。最初はまったく演技ができなかった少年スティーヴン(浅利陽介)に演技を教えるシャンク。実はスティーヴンを売るためなのだが、スティーヴンに素質があることがわかると、次第に熱心に教えるようになる。このマンツーマンの稽古はさながら『ガラスの仮面』の月影先生とマヤのようだ。まったく演技ができなかった少年が実力をつけ、「女役」を立派に舞台で務め上げる。それはシャンクにとって嬉しいことだが同時に完全に自分の出番は終わったという切ないことでもあった。平幹二郎のシャンクはまるで当て書きのように生き生きして、茶目っ気があり、そして切なかった。シェイクスピアの難しい台詞回しを指導する平さん。浅利さんがたどたどしくやるのを「そうじゃない」と平さんがやってみせるクレシダが素敵すぎて、平さんのクレシダを観てみたいと思った。私の好きな郄橋洋は(彼が出ているから観に行った)劇場の株主のリチャード役。シャンクと敵対しているような感じだが、彼も実は元少年俳優で、シャンクとともに舞台に出た過去があったようだ。シャンクとは長い付き合いで、いろいろあったのかもしれない。最後の場面でそう思った。個人的には、もうちょっとシャンクとリチャードの関係がわかればいいなと思った。かなり深い付き合いだったと思うので。郄橋洋はリチャード役のほか、妻を少年俳優に寝とられた亭主の役もやっていた。ぶよぶよ太った道化のような滑稽な格好で思い切り暴れて怒ってる洋さん、素敵だった。
この芝居を観てから一ヶ月ちょっとしか経ってないのに、平幹二郎さんが亡くなられた。舞台であんなにピンピンしていたのに、驚いた。この作品が最後の舞台となってしまった。自らのすべてを出し切って後進に演技を指導し、後の世代に託すという役割もある老俳優の役は、平さんの最後の舞台としてふさわしかったと思う。
遊園地再生事業団+こまばアゴラ劇場『子どもたちは未来のように笑う』
軸となるストーリーはあるのだが、その合間に様々な戯曲や本、雑誌のインタビューなどの引用文を俳優たちが朗読。笑いの部分も多く、いろんな要素があって最後まで飽きなかった。多様な文章に触れられるのは単純に面白い。障害児だとわかって産むこと、の意味を考えた。自分だったらどうするだろう。「障害児なんて産まないほうがいい」と声高に言う人は少ないだろうが(たとえそう思ったとしても)、当事者でないのに「授かったのだから産むべき」と安易に言うこともできないだろう。じゃあそもそも産む前に胎児の検査をするのは必要なのか? という議論もありそうだが、検査して胎児の状態を知り、問題がないということがわかれば妊婦は安心する。検査を否定することはできない。女性として、子どもを産むことの意味、大変さ、それを上回る幸福、などを考えた。男性にはわからない感覚だろう。一方で、引用された山口智子のインタビュー「子どもを持たない人生」にも深く共感する。
文学座9月アトリエの会『弁明』
アレクシ・ケイ・キャンベルの戯曲を上村聡史が演出。60年代、70年代に男性社会や反戦運動の時代を駆け抜けた美術史家クリスティン。社会的には成功した彼女だが、「母」としては孤独と葛藤がある。話はつまらなくはないのだが、3時間近く続く会話劇は疲れた。アレクシ・ケイ・キャンベルはイギリスの劇作家。ヨーロッパの翻訳劇を観ると、向こうの人々の、言葉を尽くして徹底的に相手と議論しようとする熱さに驚かされる。日本人はまずそんなことはしない。だけど自分の考えをきちんと言葉にし、相手に伝えることは重要だ。たとえぶつかっても。
パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE 羽衣『愛いっぱいの愛を』
パルテノン多摩フェスティバルの演目のひとつ。パル多摩フェスは、去年はコンドルズやKENTARO!!や森山開次やスイッチ総研など、結構な豪華出演者が集って無料公演をやったりしてすごい盛り上がったのだけど、今年は規模を縮小。演劇系のパフォーマーは少なく音楽フェスのようになっていて、こじんまりしていた。そんななかでも羽衣は魅せてくれました。水上ステージでの公演。もう素晴らしかった! 様々な男女の物語を、羽衣の名曲に乗せて描いている。水と緑と空に囲まれた水上ステージの開放的な雰囲気のなか、役者たちが生き生きと踊り、歌う。高校生の男女の初々しさ。不倫カップルの性愛。そして別れてしまった男女の切なさ……。すべての歌で女性パートを受け持った深井順子のパワフルさに圧倒された。次第に夕暮れから夜へと時間が移行し、暗い森のなかにいるような感覚に。スポットライトを浴びた池のなかへ役者たちが入っていき、ずぶ濡れになりながら熱唱する。クライマックスではステージの奥から多数のエキストラのカップルが現れ、池を埋めていく。水しぶきを上げながら合唱する彼らの姿は、人間への讃歌に満ち溢れていた。歌はマイクで歌詞が聞き取りやすかったのもよかった。クライマックスの演出にはゾクゾクした。
スタジオライフ The Other Life Vol.9『血のつながり』
アメリカで実際にあった未解決事件「リッヅィー・ボーデン事件」を描いたシャロン・ポーロックの戯曲を倉田淳が演出。私はこの事件を知らなかったが、サスペンスとして面白かった。芝居はややぎこちなかったか。ヒロインのリッヅィー役は両チームとも青木隆敏くんなのだが、この芝居はリッヅィーを「女優」という役の者が演じる、という構成をとっており、実質的にはその「女優」役の俳優(松本慎也・久保優二)が主役のような位置づけ。青木くんはボーデン家の召使の役をやったりする。リッヅィーは、父親と継母を斧で惨殺した罪に問われるものの、証拠がなく無罪釈放に。事件から10年後、リッヅィーの友人である「女優」が、「(犯人は)あなたなの?」とリッヅィーに問い、二人で事件を検証していく。「女優」はリッヅィーとなり過去を遡っていく。リッヅィーは限りなくクロに近いが、未解決事件であることから、真相は明かされない。真相に迫るなかで、リッヅィーや姉のエンマ、家族が抱えていた問題が浮き彫りになっていくのが面白かった。役者では、継母アビゲイルを演じた石飛幸治のふてぶてしさが最高。まさに「牛」(笑)。リッヅィーの役を、リッヅィー本人ではなく「女優」が演じることで、彼女や彼女を取り巻く人々の抱えている問題が客観的に示される。継母や父親との度重なる諍い。そして家が資産家だから財産相続の問題が出てくる。それはどこの家庭にも起こり得る問題だ。父や継母、財産を狙う継母の弟などとの諍いで消耗するリッヅィー。姉のエンマもリッヅィーと同じ立場に立たされているはずなのに「どうせなにも変わらない」と最初から諦め、物事から逃げていて、リッヅィーに非協力的。それがさらにリッヅィーを追い詰めることになる。34歳のリッヅィーも、それより上のエンマもともに独身だったというのは、1892年の田舎町にしては珍しい。父も継母もリッヅィーを結婚させようとするが、彼女は頑として応じず、家に居座った。事件後無罪となってから、父親の莫大な財産を相続し大邸宅を建て悠々自適に暮らしたという。リッヅィーの罪を暴いたり責めたりするのではなく、周囲のやりとりから追い詰められ苛々する彼女の心情を描写する。ラストで、再度女優に「(犯人は)あなたなの?」と問われたリッヅィーは、「あなたよ!」と言って客席を向く。リッヅィーの問題は普遍的なものなのだと示唆している。
マームとジプシー『クラゲノココロ』『モモノパノラマ』『ヒダリメノヒダ』
「夜三作」に続き、独立した3つの物語を1つにまとめあげたもの。空間の使い方、音楽の入れ方、そして役者たち。すごく力を入れ、時間をかけて作り上げられたものだと思った。「夜」より劇的なまとめかたになっていた。
9月の観劇本数は7本。
ベストワンは『娼年』。