2016年4月に観た舞台

カムヰヤッセン『レドモン』観劇。劇団初見。SFものだけど感動させる系の話。脚本も演出も役者も上手いのだけど、そつがなさすぎるというか、「上手い」という以上のものが感じとれなかった。もっとどこかを外してみてもいいのでは。でも毎回作風が変わるらしいので、一作だけでは判断できないのかな。

白井晃構成・演出『夢の劇』観劇。ストリンドベリの戯曲は抽象的かつ哲学的で、普通にやったらすごく退屈だと思うが、さすがは白井マジック。素晴らしい美術と音楽に、躍動的なダンス。森山開次はじめダンサーはどの人もよかったが、なかでもポールダンスをした女性ダンサーには釘付けになった。役者のなかでは長塚圭史がよかった。人間に絶望し毒舌を吐く孤独で醜い弁護士。彼の結婚生活は地獄。はじまりはよくても、やがてお互いストレスを感じるようになり、最後には相手を憎むようになる。多かれ少なかれ、夫婦ってこういうものだと思う。早見あかり演じる神は、人間の世界に降り立つ。不平不満や愚痴ばかり言う人間たちや、世の中の不公平さを目にして、「人間って哀れね」と嘆く。確かに人間 は哀れな存在かもしれない。この世は地獄かもしれない。でもそれは自分だけじゃない。みんな同じなんだ。そう思ったら安堵した。

アマヤドリ『ロクな死にかた』観劇。死んでしまった男のブログが更新され続けている。彼の死を認めようとしない人々は、彼がまだ生きていると思っている。死というもの、そして人を好きになる純粋な気持ち、というものについて考えさせられた。役者たちの躍動感、一体感がすごかった。役者が皆いい。若くて健康的。そんな彼らが「死」を口にするのは、迫ってくるものがある。男優がスラリとした雰囲気のあるイケメンが多く、そういう意味でも楽しめた。

ブルドッキングヘッドロック『スケベな話』観劇。タイトルから想像するようなスケベな話ではなかった(少なくとも私にとっては)。話も長すぎるし、あまり面白くない。伏線を回収しないまま終わるのは狙ってるんだろうけど。それにしてもスズナリで2時間20分は長い。蒸し暑くて具合悪くなった。

FUKAIPRODUCE羽衣『イトイーランド』観劇。今までの羽衣の作風とはちょっと違う。今までは男女の恋愛や性愛を生々しくおおっぴらに描き、人間を讃歌していた感じだったが、今回は人間以外の昆虫やら鳥やら爬虫類やらの恋愛をも描いてスケール感アップ。ファンタジック要素がかなり強い。正直、前半はバラバラなエピソードが提示されるため、とりとめなく感じた。もう少し前半からストーリー性を持たせたほうが(イトイーランドをもっと早めに登場させるなど)観やすかったのではと思うが、それも狙いなのだろう。後半ではすべて繋がる。様々な「愛」の形(「不倫」という形なのだが)をキュートに描いていて、人間ってなんて愛おしいのだろうと思った。ドロドロした部分がない。だけど、死を思わせるシーンも出てくるし、さらには人間そのものの滅亡をも感じさせるような死生観がある。ただ、2時間50分の長い上演のなか、入り込めないシーンも結構あった。やはりストーリー部分が弱いからだろう。チラシ通り、7人のイトイー夫人が夫の不在中に浮気するというストーリーなのかと思っていたが、全然違った。不倫カップルが何組か出てくる。なかでも印象的なのは後半に出てくる風呂屋で深夜に働く男女。二人は既婚者なので、ダブル不倫。恋愛というほどでもなく、軽いノリで関係を持つ。そうやって気分転換しないと、鬱屈した日常生活を送れないのかも。中年男と若い女の不倫カップルは、キャンピングカーで旅行する。幸せな二人だが、死が忍び寄る。一方、長年不倫していた男女はやがて一緒になり寿司屋を開く。長年の不倫の苦労、特に女のほうの苦労が報われ、成就したというのは希望がある話だ。

『猟銃』観劇。井上靖の『猟銃』に出てくる三人の女を中谷美紀が一人で演じる。すごかった……。舞台は薄暗く、背後には小説の文字が浮かび上がっている。その向こうに男の姿が。男は言葉を発さず、中谷美紀の言葉に時折反応して動く。中谷美紀は、男の妻、愛人、そして愛人の娘の三役を演じる。構成としては、作家の書いた『猟銃』という詩を読んだ男が、その詩は自分のことを表していると思い込み、自分の孤独を作家にわかってもらいたいと、自分に届いた三人の女からの手紙を作家に送る。その三人の女の手紙が中谷美紀によって演じられる。最初は男の愛人の娘。まだ20歳の若い娘が、母親の不倫を知り、愕然としながらも、死にゆく母親を看取る。愛というものへの幻想が消え、絶望する。そして 母親の愛人である男に対し、その絶望をぶつける。とても丁寧な言葉遣いで、育ちの良い清らかな若い娘の繊細な心情を表している。メガネとおさげで若いうぶな娘を演じた中谷美紀が、後ろを向いてゆっくりとメガネをとり、髪をおろし、服を脱ぐ。そして一瞬後には鮮やかな赤いワンピースを身にまとった妖艶な女が現れた。それは男の妻。妻はあでやかに笑い、動き、男を嘲笑するかのように語り出す。私は三人の女のうち、この妻に一番共感した。夫の不倫を知りながら、13年もそしらぬふりをし続けてきた妻。それは復讐でもあり、執着でもある。不実な男などさっさと忘れて新しい男のもとへ走ったほうがよほどいいのに(そうできるほど魅力的な女性なのに)そうしないのは、夫への愛ゆえか。妻を演じている中谷美紀が、床に転がって赤いワンピースのすそをはだけて、嫉妬に悶え苦しむ姿は、すごく官能的でゾクゾクした。最後、夫へ別れを告げながら、次第にその声は涙声のような叫び声のようなものになり、狂気じみてくる。裏切られた妻の怒り、哀しみ、それでも拭えない愛……。夫への愛が消えていないからこそ、こんなに苦しんでいるのだ……。そして最後は男の愛人。死が間近に迫っている彼女は、死を覚悟した人間の悟りの境地にいる。男に対し、今まで見せたことのなかった自分のなかの「蛇」を淡々と見せる。その恐ろしさ、美しさといったら。中谷美紀は、驚くことに着物を自分で着付けながら演じていた。それも本格的な着付けだ。紐を一本一本身体に結びつけるたび、むしろなにかから解放されていくようだった。帯も鏡も見ずに結ぶ。それ自体は着物を着るのに慣れている人ならなんてことないのだろうけど、さすがに着付けしながら演じる、というのはハードルが高いだろう。淡々と語る口調に、底知れぬ女の業を感じた。どの女も、身体のなかに一匹の「蛇」を飼っている。それは嫉妬であったり執着であったり、なにか醜い生々しいものなのだけど、それが本性だし、生きる糧でもある。誰しも自分の「蛇」からは目を背けたいし、いざという場面にならないと、自分の内に「蛇」がいることすら気付かないのだろう。

20歳の国『保健体育B』観劇。高校生たちの恋とセックスを描いたもの。冒頭の歌を聴いた時点で、ちょっとこのノリにはついていけないかも……と思ったが、 やはりそうだった。とにかく青すぎる。若者たちの青い恋愛(というか、恋愛以前のエゴ)を引いて見てると、なんかすごいバカバカしく思えた。芝居のなかでみんなディープキスをしまくってたけど、なにを伝えたかったのだろう。どの人もみんなガキ。惚れたのはれたの、付き合ったの別れたの、告白し たの振られたの、寂しいから浮気するだの、慰めてくれた人となんとなく寝るだの。うーん、これは愛どころか恋ですらないのでは。これ見て大人が「若さがまぶしい」とか思ったりするか? まあ若者が見て共感する、というのはあるかもしれないが。際どいキスシーンを描くのも、「なんかすごいことやってるだろ」というのを見せたいだけなような気がした。たとえばポツドールはもっと過激なことをやってたけど、それにはちゃんと意味があり、その表現はどうしても必要なものだった。たとえば友達同士が穴兄弟になったりしても、そこにあるはずの葛藤を描いていない。不倫や嫉妬は描かれるが、最終的には「愛じゃね?」という非常に雑なと いうか曖昧なセリフがでてきて、なんとなくいい感じにおさまってしまっている。人間が描かれておらず、ドラマがなく、表面的なのだ。しかし、若者に限らず人間は誰しも恋するとバカになるし、側から見たら滑稽だろう。たぶんそれを描きたかったのではないかと思う。愛する人がいても寂しかったら浮気してしまうほど、人間は弱くて愚かなのだ。……ということなのかな?

SPAC『三代目、りちゃあど』観劇。これはひどい。こんなつまらない演劇を観たのは久しぶりだ。日本語と英語とインドネシア語が入り乱れ、しかも歌舞伎だの狂言だののセリフもあってなんかもうごちゃごちゃ……。ただでさえわかりにくい戯曲なのに。音楽がずっとかかっていて舞台も暗く、眠くなる。映像とかも含め、外国人がオリエンタリズムに憧れて作ったという感じ。私がこれをわざわざ静岡まで観に行こうと決意したのは、野田秀樹による戯曲だからというのと、江本純子が出演するからという理由だった。『リチャード三世』は話もよく知っているし、きっと面白いだろうと。ところがそこにあったのは、とても不幸な代物だった。野田秀樹の良さも江本純子の良さもなかった。演出家によって戯曲が壊され、出自がバラバラの俳優が集められて動かされた。話がどうのというレベルではない。音楽が延々とかかっていたのにも閉口。一体この演出家は、なぜこの戯曲をこの俳優たちでやろうと思ったのだろうか? 本当にこの戯曲にきちんと向き合ったのだろうか? そうじゃない気がする。自らを誇示するためとさえ思ってしまった。私はこの演出家の芝居を観たのは初めてだが、国境を越えたコラボレーションを行っているとか。シェイクスピアという古典と、野田秀樹というブランド、そして歌舞伎や狂言、宝塚といった俳優の出自を利用し、いい感じの音楽と映像で、すごいコラボレーション作品を生み出した、とか本人は思っているのだろうか。もしそうだとしたら日本の観客をなめているし、戯曲に対しても出演者に対しても失礼だ。

4月の観劇本数は8本。
ベストワンは『猟銃』。