2016年9月に観た舞台

ホリプロ娼年』(三浦大輔脚本・演出)
石田衣良の『娼年』『逝年』を原作に、三浦大輔が脚本を書いて演出した作品。セックスを介したコミュニケーションの話。主演の松坂桃李はじめ、女優も皆脱いで、身体を張ってギリギリのところまで舞台でセックスを表現している。小劇場の舞台でもない、ホリプロ主催の大きな規模の公演なのに、ここまでやるのかと驚いた。もちろん本当にセックスしているわけではないけれど、客席まで大きく張り出したベッドルームで俳優たちがくんずほぐれつやっていて、キスや体を舐める音などもマイクで拾っており、本当にしてるように見せている。演出家やスタッフも一丸となって真摯に挑戦している。本物のプロの仕事。ところどころに三浦さんらしい笑えるシーンもあったり。娼夫という裏の世界を描いているのに最後に温かい気持ちになるのは、セックスを介した生のコミュニケーションの温かさが伝わったからだろう。主演の松坂桃李くんの魅力も大きい。娼夫の役だが、清潔で誠実、女性に優しい。素敵すぎる。松坂桃李もすごいが、女優陣もすごすぎる。まるで競うかのように次々と見せ場が。俳優にとってはこういう役は難しいが、一度覚悟を決めれば非常にやりがいがあるのだろう。俳優たちが互いに切磋琢磨して、良い影響を与え合いながら作品を作り上げた感じがした。


ニコラス・ライト作、森新太郎演出『クレシダ』
1630年代のロンドンの劇場で、シェイクスピア劇などの女役をやっていた少年俳優たちの話。昔は女性役を少年がやっていたというのは知識としては知っているが、実際どういうやりかたをしていたかは知らなかったので、興味深かった。少年俳優たちは、自ら志願して来た者もいれば、複雑な家庭事情を抱えている者もいる。ほかの劇団から売りに出されて来た者もいる。舞台に出ている少年俳優を、ほかの劇団に「売る」、「買う」というやりとりがあったとは驚きだ。少年俳優の旬の時期は短い。声変わりをするとできなくなり、男役になったり、卒業したりする。劇団を取り仕切り、少年俳優を売り買いしたりもする老人シャンク(平幹二郎)も、かつては少年俳優だった。今はお金をちょろまかしたりしている彼が、ある少年に出会って変わっていく。最初はまったく演技ができなかった少年スティーヴン(浅利陽介)に演技を教えるシャンク。実はスティーヴンを売るためなのだが、スティーヴンに素質があることがわかると、次第に熱心に教えるようになる。このマンツーマンの稽古はさながら『ガラスの仮面』の月影先生とマヤのようだ。まったく演技ができなかった少年が実力をつけ、「女役」を立派に舞台で務め上げる。それはシャンクにとって嬉しいことだが同時に完全に自分の出番は終わったという切ないことでもあった。平幹二郎のシャンクはまるで当て書きのように生き生きして、茶目っ気があり、そして切なかった。シェイクスピアの難しい台詞回しを指導する平さん。浅利さんがたどたどしくやるのを「そうじゃない」と平さんがやってみせるクレシダが素敵すぎて、平さんのクレシダを観てみたいと思った。私の好きな郄橋洋は(彼が出ているから観に行った)劇場の株主のリチャード役。シャンクと敵対しているような感じだが、彼も実は元少年俳優で、シャンクとともに舞台に出た過去があったようだ。シャンクとは長い付き合いで、いろいろあったのかもしれない。最後の場面でそう思った。個人的には、もうちょっとシャンクとリチャードの関係がわかればいいなと思った。かなり深い付き合いだったと思うので。郄橋洋はリチャード役のほか、妻を少年俳優に寝とられた亭主の役もやっていた。ぶよぶよ太った道化のような滑稽な格好で思い切り暴れて怒ってる洋さん、素敵だった。
この芝居を観てから一ヶ月ちょっとしか経ってないのに、平幹二郎さんが亡くなられた。舞台であんなにピンピンしていたのに、驚いた。この作品が最後の舞台となってしまった。自らのすべてを出し切って後進に演技を指導し、後の世代に託すという役割もある老俳優の役は、平さんの最後の舞台としてふさわしかったと思う。


遊園地再生事業団こまばアゴラ劇場『子どもたちは未来のように笑う』
軸となるストーリーはあるのだが、その合間に様々な戯曲や本、雑誌のインタビューなどの引用文を俳優たちが朗読。笑いの部分も多く、いろんな要素があって最後まで飽きなかった。多様な文章に触れられるのは単純に面白い。障害児だとわかって産むこと、の意味を考えた。自分だったらどうするだろう。「障害児なんて産まないほうがいい」と声高に言う人は少ないだろうが(たとえそう思ったとしても)、当事者でないのに「授かったのだから産むべき」と安易に言うこともできないだろう。じゃあそもそも産む前に胎児の検査をするのは必要なのか? という議論もありそうだが、検査して胎児の状態を知り、問題がないということがわかれば妊婦は安心する。検査を否定することはできない。女性として、子どもを産むことの意味、大変さ、それを上回る幸福、などを考えた。男性にはわからない感覚だろう。一方で、引用された山口智子のインタビュー「子どもを持たない人生」にも深く共感する。


文学座9月アトリエの会『弁明』
アレクシ・ケイ・キャンベルの戯曲を上村聡史が演出。60年代、70年代に男性社会や反戦運動の時代を駆け抜けた美術史家クリスティン。社会的には成功した彼女だが、「母」としては孤独と葛藤がある。話はつまらなくはないのだが、3時間近く続く会話劇は疲れた。アレクシ・ケイ・キャンベルはイギリスの劇作家。ヨーロッパの翻訳劇を観ると、向こうの人々の、言葉を尽くして徹底的に相手と議論しようとする熱さに驚かされる。日本人はまずそんなことはしない。だけど自分の考えをきちんと言葉にし、相手に伝えることは重要だ。たとえぶつかっても。


パルテノン多摩×FUKAIPRODUCE 羽衣『愛いっぱいの愛を』
パルテノン多摩フェスティバルの演目のひとつ。パル多摩フェスは、去年はコンドルズやKENTARO!!や森山開次やスイッチ総研など、結構な豪華出演者が集って無料公演をやったりしてすごい盛り上がったのだけど、今年は規模を縮小。演劇系のパフォーマーは少なく音楽フェスのようになっていて、こじんまりしていた。そんななかでも羽衣は魅せてくれました。水上ステージでの公演。もう素晴らしかった! 様々な男女の物語を、羽衣の名曲に乗せて描いている。水と緑と空に囲まれた水上ステージの開放的な雰囲気のなか、役者たちが生き生きと踊り、歌う。高校生の男女の初々しさ。不倫カップルの性愛。そして別れてしまった男女の切なさ……。すべての歌で女性パートを受け持った深井順子のパワフルさに圧倒された。次第に夕暮れから夜へと時間が移行し、暗い森のなかにいるような感覚に。スポットライトを浴びた池のなかへ役者たちが入っていき、ずぶ濡れになりながら熱唱する。クライマックスではステージの奥から多数のエキストラのカップルが現れ、池を埋めていく。水しぶきを上げながら合唱する彼らの姿は、人間への讃歌に満ち溢れていた。歌はマイクで歌詞が聞き取りやすかったのもよかった。クライマックスの演出にはゾクゾクした。


スタジオライフ The Other Life Vol.9『血のつながり』
アメリカで実際にあった未解決事件「リッヅィー・ボーデン事件」を描いたシャロン・ポーロックの戯曲を倉田淳が演出。私はこの事件を知らなかったが、サスペンスとして面白かった。芝居はややぎこちなかったか。ヒロインのリッヅィー役は両チームとも青木隆敏くんなのだが、この芝居はリッヅィーを「女優」という役の者が演じる、という構成をとっており、実質的にはその「女優」役の俳優(松本慎也・久保優二)が主役のような位置づけ。青木くんはボーデン家の召使の役をやったりする。リッヅィーは、父親と継母を斧で惨殺した罪に問われるものの、証拠がなく無罪釈放に。事件から10年後、リッヅィーの友人である「女優」が、「(犯人は)あなたなの?」とリッヅィーに問い、二人で事件を検証していく。「女優」はリッヅィーとなり過去を遡っていく。リッヅィーは限りなくクロに近いが、未解決事件であることから、真相は明かされない。真相に迫るなかで、リッヅィーや姉のエンマ、家族が抱えていた問題が浮き彫りになっていくのが面白かった。役者では、継母アビゲイルを演じた石飛幸治のふてぶてしさが最高。まさに「牛」(笑)。リッヅィーの役を、リッヅィー本人ではなく「女優」が演じることで、彼女や彼女を取り巻く人々の抱えている問題が客観的に示される。継母や父親との度重なる諍い。そして家が資産家だから財産相続の問題が出てくる。それはどこの家庭にも起こり得る問題だ。父や継母、財産を狙う継母の弟などとの諍いで消耗するリッヅィー。姉のエンマもリッヅィーと同じ立場に立たされているはずなのに「どうせなにも変わらない」と最初から諦め、物事から逃げていて、リッヅィーに非協力的。それがさらにリッヅィーを追い詰めることになる。34歳のリッヅィーも、それより上のエンマもともに独身だったというのは、1892年の田舎町にしては珍しい。父も継母もリッヅィーを結婚させようとするが、彼女は頑として応じず、家に居座った。事件後無罪となってから、父親の莫大な財産を相続し大邸宅を建て悠々自適に暮らしたという。リッヅィーの罪を暴いたり責めたりするのではなく、周囲のやりとりから追い詰められ苛々する彼女の心情を描写する。ラストで、再度女優に「(犯人は)あなたなの?」と問われたリッヅィーは、「あなたよ!」と言って客席を向く。リッヅィーの問題は普遍的なものなのだと示唆している。


マームとジプシー『クラゲノココロ』『モモノパノラマ』『ヒダリメノヒダ』
「夜三作」に続き、独立した3つの物語を1つにまとめあげたもの。空間の使い方、音楽の入れ方、そして役者たち。すごく力を入れ、時間をかけて作り上げられたものだと思った。「夜」より劇的なまとめかたになっていた。


9月の観劇本数は7本。
ベストワンは『娼年』。