2015年12月に観た舞台

飴屋法水作・演出『ブルーシート』観劇。初演は2013年。飴屋法水が、いわき総合高等学校総合学科の10名の生徒たちと作り上げた作品だ。彼らは、震災があった2011年に高校を受験した。震災があったせいで合格発表が一ヶ月遅れ、入学後は校庭に建てられた仮設校舎で授業を受けた。彼らの実体験をもとに、震災後の生活や放射能への恐怖などを描いている。ただ再演では彼らは高校を卒業しており、卒業後の彼らの生活を描きつつ、高校時代を振り返る・・・というような構成になっている。ドキュメンタリー色の強い芝居、というかドキュメンタリーだ。時が経ち、彼らも卒業してそれぞれの道を歩んでいる。再演を観て震災の風化を感じた人は多かったようだ。しかし震災後も東京で生活していた私は、当時の彼らの置かれた状況、日常生活がどんなだったか体感していない。安全な場所で芝居を観て、彼らの境遇に想いを馳せているだけだ。当然ながら、自分が彼らのような目に遭ったらどうしていただろう・・・と考えた。私は実家が被災したのだが、なにもできなかった。なにをしたらいいのかわからなかった。ただ一人で悶々としていただけだった。こんなにも大変な思いをした人たちがいるというのに。大変な目に遭いながらも、演劇の力を借りたり仲間たちとの絆があったりでなんとかかんとか毎日を生きていく・・・というようなことが、自分にできるのか、と考えた。予想外の出来事に遭ったときどのように行動するか。悲惨な目に遭っても前向きでいられるのか。この芝居を観て、震災のときになにもできなかった自分、なにもしなかった自分を思い出し、自分はいったいなんなんだろう、と思った。「人は見たものを覚えていることができる、見たものを忘れることができる」。私は自分のひどさから目を背けようとしていたのかもしれない。

松本雄吉演出『レミング』観劇。寺山作品というより、維新派天野天街作品といった感じ。寺山の言葉に天野天街の言葉を加え、それをジャンジャンオペラにし、かっこよく見せている。面白いけれど、寺山っぽい要素は思ったより少なかったような。維新派天野天街ファンにはたまらない作品であろう。

RooTS Vol.03 寺山修司生誕80年記念『書を捨てよ町へ出よう』観劇。藤田貴大上演台本・演出。寺山だった。先日観た『レミング』よりも、ずっと寺山だった。つまり、すごく面白かった!映画を観たのはだいぶ前だが、覚えていた。忘れるわけがないのだ…。もちろん、映画とはだいぶ違う。構成も表現の仕方も。だけど伝えたいことは同じだ。恥ずかしながら、村上虹郎という役者は知らなかった。すごくよかった。何者でもない、なんの力もない、ただただ家族や世の中に苛立ち、もがいている。そんな若者の行き場のない思い、静かな怒りが伝わってきた。演出、装置、照明、音楽、そして映像。すべてがものすごいことになっている。藤田さんはどうしてこの本からこんなことを考えつくことができるのだろう。意図がわからないところもあったけど、でもすごい。かっこいい。『レミング』は途中で飽きたけどこれは全然飽きなかった。アングラでもなければ、寺山作品に繰り返し出てくるテーマ(母との愛憎の泥臭さとか)を深く描いているわけではない。むしろ寺山作品とは真逆の、スタイリッシュな舞台だ。なのに、この本の本質をついている。

猫のホテル『高学歴娼婦と一行のボードレール』観劇。東電OLを題材にした作品。前半はまだ笑いがあったが、後半はシリアスな感じ。猫ホテ的な笑いを期待していた私はちょっとがっかり。せっかくこれだけの面白役者がそろっているのに。。。しかもシリアス路線としてもあまり面白くない。うーむ。。。

『タニノとドワーフ達によるカントールに捧げるオマージュ』観劇。暗闇のなかを小さなライトを持って進む回遊観劇式。マメ山田をはじめとする「ドワーフ」たちが、暗闇のなかで様々なものを発見し、遊ぶ。観客はただその様を見ているだけなのだが、ドワーフたちの行動が予想外でユーモラスで面白い。ドワーフたちの動きは予測不可能なので、観客は彼らの動きに合わせて暗闇のなかを移動する。後半は観客参加型となり、ドワーフたちを乗せた乗り物を観客が動かす。彼らは劇場の外へ出ていき、ロビーへ出ていき、エスカレーターで一階へ上がる。観客も後を追う。一階に着くと、入口横のモニターにタニノさんの本作に対するインタビュー映像が映し出される。ドワーフたちは外へ出て行く。身体的な障害のある人を舞台に上げ、「見世物」として成立させることは難しいが、本作のドワーフたちは無邪気で愛嬌があって、なんだか可愛らしかった。

12月の観劇本数は5本。
ベストワンはRooTS Vol.03 寺山修司生誕80年記念『書を捨てよ町へ出よう』。