2015年11月に観た舞台

MCR『我が猥褻、罪なき罪』観劇。辛かった…話が面白くないし、笑いも中途半端。脚本がギリギリだったのか、役者は台詞が入っていない。自分には合わなかった。


マーティン・マクドナー作、小川絵梨子翻訳・演出『スポケーンの左手』観劇。どこにも行き場のない人間たちの焦りや苛立ち、閉塞感を感じさせながらも、そのやりとりは限りなく滑稽。素晴らしいコメディに仕上がっていた。役者がみな素晴らしい。特に成河の一人の場面は見物。中嶋しゅうが迫力。蒼井優もすごくよかった。黒人の彼氏(岡本健一)とともに悪だくみをし、結果つかまってひどい目に遭うという役。彼女のパワフルかつコミカルな演技はよかった。岡本健一との息もぴたりと合っていた。実は救いのないシリアスな話なのに笑えてしまう。皆、人間らしいのだ。謎が謎のまま残されていたり、なにも解決していないのがいいと思った。よく考えるとわからないことが多い。すべてを明らかにするのではなく、観客の想像に任せているのだろう。その結果、そこに現れる人間たちの心情や、ひとつひとつの場面の空気がより濃厚になっていた。


ブス会*『お母さんが一緒』観劇。バリ面白かったと!何度も泣き笑い。三姉妹の言い合いは、まさにあるある!だし、「血って怖かね〜」っていうのも、ほんとそうだ。岩本えりさんの長女のウザがすごい(笑)。三姉妹の長女で、かつ40歳にして独身、という私にとっては、もう身につまされる台詞ばかり。だけど嫌な気持ちになるわけではなくむしろ逆。この三姉妹を見ていたら、ものすごく痛快になり、なんか勇気もらった。ブス会のなかで一番好きかも。


アンジェリカ・リデル『地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)』観劇。すごかった。のっけから、リデルのマスターベーションのシーンがあり、度肝を抜かれる。だって丸出しだし・・・これ、こんなのやっていいの?大丈夫なの?と。なんか見ちゃいけないものを見てしまったようなショック。前半は、ワーズワースの詩や映画『草原の輝き』の引用、上海でワルツを踊る人たちのシーン(実際に踊っていて、バックにはオーケストラが!)。ネバーランド、ウトヤの射殺事件にも触れているのだが、テーマの繋がりがあまり感じられないというか、どこかとりとめのない感じも。しかし後半は圧巻。広い舞台でリデル一人でのパフォーマンス。マイクを持ち、身体をパワフルに動かしながら様々なことへの呪詛を延々と吐き続ける。『朝日のあたる家』がかかり、彼女も歌ったりする。腹の底から出している迫力ある声で、早口で語られる台詞の数々に圧倒される。そこで吐き出される台詞は、欺瞞に満ちた世の中や偽善者への批判。その内容は、若いころに考えるようなものだ。歳をとると自然と丸くなり、そういう批判精神は薄れ、どうでもよくなる。でも、50歳間近のリデルがそれを語ることに意味があると思った。
なかでも、「母」に対する憎悪は凄まじい。一般的には、「母親であること」「子供を産むこと」は神聖なことであり、なにより尊ばれることとされる。母親になったというだけで敬意を払われ、特別扱いされ、赤ん坊は無条件で皆に愛される。しかしリデルはそれを痛烈に批判する。私はそのリデルの激しい言葉に震えながら、心の奥底で、「よくぞ言ってくれた!」と思った。私は自分の暗部を覗き込んだ。パンドラの箱をこじ開けられたようだった。少子化が問題視されている今は特に、「母」を否定することは絶対的なタブーだ。それに、実際に母となっていない私は、「母」なるものを否定する権利なんかないのかもしれない。しかし私は、世の中において「母」が絶対視されることに違和感を覚えている。どんな小説も映画もドラマも、「家族の大切さ」を語る。私はそれが気持ち悪い。育児や家事を、すべて当たり前のように母親がやっていることが気持ち悪い。その母親の自己犠牲的な行動が気持ち悪い。こういうのが「幸福」だとされる世の中の空気が気持ち悪い。しかし、私のそんな思いは、もしかしたら母となった人への嫉妬なのかもしれないし(なにかを批判したり嫌悪するときって、その対象への嫉妬があることも多いと思うから)、万が一自分が母になることがあれば、こんな気持ちは簡単に変わってしまうかもしれない、とも思うけれども。
cinra.netに掲載されたリデルのインタビューを読んで、彼女が実際の母親を嫌悪していることを知った。「死にゆく命である自分を産み落とした」からだという。つまり彼女は、自分に「死」や「老い」への恐怖をもたらした母親が許せない、というわけだろう。インタビューで「老い」について聞かれた彼女は、「老いは死に近づくわけだから、人間にとって最悪の出来事。老いると人に愛されなくなり、未来においても愛される可能性が断たれる。老いに美しさなど微塵もない」と切り捨てている。この舞台では、では人間は老いたらどうやって生きていけばいいのか?などということに対する答えは示されない。それは当たり前だ。答えなんてないからだ。リデルはただ、老いへの憎悪を撒き散らすだけだ。そしてそれを受けた観客は、傷を抉られながら、それが自分にとってどんな意味を持つのかを考えるだろう。
リデルが糾弾するのは老いや母親だけではない。世の中の「善人」、たとえば「仕事はお金のためではなく人のためにやっている」と言うような人。そんなのは偽善だと吐き捨てる。一般的に「穏やかな幸せ」とされていることを、「バカげている!」「退屈」ととことん批判。そんなリデルに激しく共感したのは、私も若いころはこのように思っていたから。だけど40歳になって、私はかなり「穏やかな善人」になってしまった。私は人と争いたくないし、親や兄弟や恋人や友達を大切にしたい。仕事も普通にしたい。とにかく普通の生活を送りたいと思っている。けれど、これも偽善なのかもしれず、本当は私は普通の生活なんて送りたくないと思っているのかもしれない。仕事もしたくなければ人とのつながりも面倒くさい。社会から孤立していようが、自分の好きなように生きたいと思っているのかもしれない。けれど社会で生きている以上、完全に孤立することは不可能だ。孤立は死をも意味する。人として生まれたことの意味を問い、呪い、どんなに毒づいたって、理論的に批判したって、あるいは海外とか遠いところに逃げたって、結局人は血縁や社会から逃れられない。たとえば私が日本人であること、私の両親から生まれた事実は、世界中どこに逃げても追いかけてくる。だったら腰を据えるしかなくて、そのなかでどう折り合いをつけて生きていくか……ということになる。リデルの毒に当てられて、ぐるぐるぐるぐる思考は巡る。


岡田利規作・演出『God Bless Baseball』観劇。野球をモチーフにして日韓米の関係を描いた作品。野球のことを知らない女の子たちに男の子が野球のことを教える。女の子は日本語で、男の子は韓国語でしゃべるのだが、しゃべっているうちに、実は女の子のほうが韓国人で男の子のほうが日本人だということがわかる。イチローの偽物も登場して、イチローの発言や日本と韓国の試合についての実話が語られ、日本と韓国の関係を問う。そこに英語の台詞が入ってきて、日韓の背後にあるアメリカの存在が描かれる……というような内容。野球を絡ませて描いたのはうまいと思ったし、最初のつかみが面白く、すぐに惹き込まれた。しかし、途中、政治の話になったあたりから醒めてしまった。自分の身体を自分の身体でなくするために、全身をくねくねさせながら身体の感覚を放棄しようとする。これは何者かに支配されることを受け入れようとしている……ということなのだろうか。終盤では、息子が執拗に父に問いかけるシーンがある。息子を日本に、父をアメリカになぞらえているのだ。このようにいろいろな暗喩を用いて政治的なことを描いているのだが、なんかあざとく感じてしまった。「想像しろ」という台詞の後、背景にある巨大な傘に水が投げかけられ、傘がどろどろに溶けていく……というラストはいろいろな解釈ができそうだ。


シベリア少女鉄道『Are you ready? Yes,I am.』観劇。すごい面白かった!笑った笑った。バカバカしいことをこれでもかというほど凝ってやってみせる……すごいエンターテインメント。やっぱシベ少面白い!舞台はヨーロッパ。洋館に住む令嬢・クラウディアは、探偵の能力があり、望んでもないのに謎が向こうからやってくるという。そのクラウディアのもとをカップルが訪れ、事件の解決を依頼。そこに刑事が現れ、クラウディアに事件を依頼したカップルを批判。しかしクラウディアは、話を聞いただけで事件を見事に解決。というようなお話。前半はクラウディアの演技が過剰で、やたらと間をとる溜める演技を繰り返す。もちろんこれは伏線で、後半につながっているのだろうということは、長年シベ少を観ている人間にはわかっている。そして後半。暗転の後、冒頭のシーンが繰り返される。のだが、なんだか役者の演技がおかしい。そう、ほかの役者もクラウディアのように過剰な演技になっているのだ。役者たちはこの芝居の登場人物というだけでなく、「この芝居をちゃんと演じたい」という意思を持った役者、として舞台に立っているようだ。彼らは真剣に演技がうまくなりたいと思っているので、過剰な演技をするばかりでなく、台詞を言う前にウォーミングアップしたりする。そのアップもアクロバティックなものになっていく。その後、「演技には心が大切」といった台詞(それは別のニュアンスで発せられているのだが)の後で、登場人物は「そうか、心だ!」と「心のこもった演技」をしようとする。たとえば「お前は甘いんだよ!」という台詞を言うために、砂糖を舐め、心から「甘い!」という台詞を言う、といった具合だ。このように、ある台詞を言うために、それと同じ言葉(全然意味のない言葉)を無理矢理言い、その行為をする。そのためにそれ用の衣装や小道具が出てくる。ほんのワンシーンなのにだ。ルパン三世名探偵コナンも登場。特にコナンは笑った。細かすぎる。しかも、元ネタを知らない人にとってはまったく意味のないシーンにもかかわらず、だ(だからこそネタを知っていると楽しさ倍増なのだけど)。なんだか文章だとこの芝居の面白さが全然伝わらない気もするが、一言でいえば、バカバカしいことを緻密に構成した芝居。


篠田千明演出『非劇』観劇。ロボットが出てくる未来の話。といってもストーリーがあるわけではなく、シーンを重ねて見せる。テキストがあまりピンとこなくて、最後まで乗れなかった。演出やダンスなど面白い部分もあったのだけど。


ソン・ギウン作、多田淳之介演出『颱風奇譚』観劇。これはすごい舞台だ。シェイクスピアの『テンペスト』を1920年代の南シナ海の島に置きかえ、国を追われた朝鮮の太皇と島におびき寄せられた日本の政治家や軍人たちを描く。物語を通して日韓の問題、間に立ちはだかるものに、真っ向から切り込んだ。韓国で上演されたときには「親日的だ」という批判も多かったという。日本の上演では当然反応も違うだろう。観た人から、様々な意見、感情的な反応を引き出したということは、それだけ作品に力があるということ。物語もいろんな解釈ができて興味深い。ラストは原作と大きく異なる。原作では、国を追われた大公が、最終的には自分を裏切った弟たちを赦し、和解する。シェイクスピアらしいハッピーエンド。しかしこの芝居はそうはならない。一週間に渡ってあらゆる書物が燃やされる。ついには「アジアのために!」と叫びながら、日本人が朝鮮の太皇を刺殺してしまうのだ。「日本のため」ではなく「アジアのため」。間違った正義感が、歪んだ歴史を作ってしまう……。


11月の観劇本数は8本。
ベストワンはアンジェリカ・リデル『地上に広がる大空(ウェンディ・シンドローム)』。