ナショナル・シアター・ライブ『スカイライト』

演劇界最高峰の英国ロイヤル・ナショナル・シアターが、イギリスやニューヨークで上演された舞台のなかから特に注目の演目を選び、最新技術によりデジタル映像化して映画館で上演するプロジェクト『ナショナル・シアター・ライブ』。
現在、世界40か国以上で上映されており、日本でも昨年から上映がスタートした。
ロンドンやブロードウェイまで行かないと観られなかった上質のストレート・プレイが映画館で楽しめるとあって、演劇ファンの間でも注目を集めている。
評判を聞きつけ、先日、吉祥寺オデヲンまで『スカイライト』を観に行った。
実際の舞台が撮影されているので、客席の笑い声なども入っており、臨場感に溢れている。
二幕もので、間に20分の休憩が入るのだが、その間は映画も休憩に。スクリーンには休憩中の客席の様子が映し出される。休憩中に、劇場で本作の脚本を手がけたデヴィッド・ヘアーへのインタビューが収録され、それも上映される。

『スカイライト』は、1996年に初演されたイギリスの舞台だ。演出は映画『めぐりあう時間たち』『リトル・ダンサー』などを手掛けたスティーヴン・ダルドリーが、戯曲は映画『めぐりあう時間たち』『愛を読むひと』などを手掛けたデヴィッド・ヘアーが担当している。
昨年18年ぶりに再演され、ブロードウェイにも進出してトニー賞最優秀リバイバル賞を受賞した。今回のナショナル・シアター・ライブは、このときの上演を撮影したものだ。

かつて不倫関係にあったトムとキーラが、トムの妻の死をきっかけに3年ぶりに再会する。思い出話をしているうちに、いつしか激論になり……という話で、ほぼ二人の対話だけで進行する(冒頭とラストは、トムの息子エドワードとキーラの会話)。

舞台はキーラのアパート。中央にドアが、右手にキッチンとテーブルが、左奥にベッドが配置されている。質素な部屋の舞台セットの背景には、一面に無数の窓が並んでいる。窓の明かりは点いたり消えたりしており、窓の向こうに様々な人の生活があることを示す。いかにも狭く古いキーラのアパートと、無数の窓との対比が面白い。人の出入りのときなどに室内の壁が動き、外が見える。この舞台美術を見ただけで、これからなにかすごい舞台が始まるんだなと期待させられる。

ある夜、夕食の支度をしようとしていたキーラのもとを、トムが突然訪ねてくる。トムは60代くらい。キーラの年齢は30手前という設定だから、二人は親子ほども年が離れている。
ちなみに、トム役のビル・ナイは、現在65歳。1996年の初演でも同じ役を演じている。ということは、初演時は二人の年の差は15歳くらいの設定だったということか。ビル・ナイの演技は見事だったが、やはりこの役をやるには年を取りすぎているのでは……と思った。特に前半はまだ二人の間に遠慮があり、生の感情が出てこないので、元恋人同士だという感じが全然しない。けれど、二人の感情が爆発する後半を観ると、二人が恋愛関係にあったことも納得。この年の差のせいもあってか、男女の生々しい愛憎劇というよりも、自立した二人の人間の尊厳を描いた作品という印象を持った。というかむしろ、この年の差こそが、二人がわかり合えない一因になっているのかもしれない。
トムはウィスキーを飲みながら、キーラはパスタを作りながら(実際に舞台の上で調理していた!)会話する。二人の出会い、付き合い始めたきっかけ、思い出、そして別れ……。会話が進むうちに、二人のかつての関係や現在の状況、考えていることなどが明らかになる。
キーラは学生だった18歳のときにトムの経営するレストランで働きはじめ、トムの家族(妻と子どもたち)とともに幸せに暮らしていた。キーラとトムの関係は6年続いたが、トムの妻にばれ、キーラは黙って姿を消してしまったのだ。
最初は付き合っていた当時の思い出話や、互いの仕事の話などを穏やかにしていた二人。まだ互いに愛が残っている二人は、一瞬元の関係に戻ろうとする。しかし、次第に会話は噛み合わなくなり、互いの生き方などを激しく批判するように。長い間付き合っていたから互いの欠点を知り尽くしている。その上、まだ相手に対して愛があるから、自分と違う考え方を否定してしまう。否定された側もまた言い返す。まだ愛が残っていても、二人は考え方も生き方も価値観も、なにもかも違う。恋愛関係にあれば、そんな違いも受け入れて付き合えるし、むしろ自分と違う価値観を持つ人間との付き合いが自分を成長させることにもなる。けれどいったん別れてしまうと、その違いが明瞭になり、相手の言うことがいちいち鼻につく。
二人の議論は貧富の差や教育などの社会問題にまで広がる。これは20年前の戯曲なのに、現在のイギリスにも、そして日本にも通じる問題が提起されているのがすごい。

トムの元から姿を消した後、キーラは教師になり、低所得層が暮らす辺鄙な地域の、狭く古く寒いアパートで質素な生活を送っている。低所得層の子どもたちは、その環境ゆえ教育の機会を奪われている。キーラは、そんな子どもたちを教育することに生きがいを感じ、あえて大変な仕事をしている。しかしレストランチェーンのオーナーとしてウィンブルドンで裕福に暮らすトムには、キーラがなぜそんな生活をしているのか理解できない。まだ若く知的で才能に溢れた彼女が、なぜ低所得層の暮らす地域で、不便極まりないおんぼろアパートに住み、教師なんていう大変な仕事をしているのだ?彼女が望めばもっと良い環境でましな仕事をして、人生を楽しむことができるのに。もしかしたら、彼女は自分と不倫していたという罪の意識があり、その罰を受けるためにあえてこんな困難を引き受けているのか?トムはそこまで憶測する。キーラはそれに猛反発。自分の今の生活はトムの影響なんかではなく、自分の意志であり、楽しんでいるのだと。キーラにしてみれば、自分の生活は悲惨なものではなく、普通だ。ほかの労働者だって皆、一日一日を生きるために必死になっているのだ。トムが恵まれているだけだ。確かに、強者の立場からしか物を見ていないトムは、とても傲慢に映る。世の中は公平ではない。れっきとした格差が存在する。キーラはトムに対し、そんな社会の現実を突きつけ、トムの言葉の欺瞞を訴える。労働者のキーラの言っていることは、とても真っ当に思える。
しかし、私はトムの言うこともわかるような気がするのだ。キーラのことを「大切なことから目を背け、人生から逃げている」と批判するトムは、キーラとヨリを戻したいという下心があるにせよ、本当にキーラのことを思って言っているのだと思う。年齢も立場も経験もキーラより上のトムは、若くて才能に溢れているキーラが苦労して割に合わない仕事をしているのを見て、「もっと才能を活かせる仕事をして人生を楽しめばいいのに」と思い、彼女の将来を心配しているのではないだろうか。
若い女性が、辺鄙な地域の狭いアパートに暮らし、恋もおしゃれもせず、趣味を楽しむこともなく、ただ毎日仕事をして、孤独に生きている。楽しみといえば、毎朝通勤のバスのなかで聞く人々のおしゃべりだけ。そういう生活は、いくら本人が満足していたとしても、第三者の目にはやっぱり「枯れている」と映ると思う。どのみち女が独身のまま年を取れば、恋をする機会も友人たちと遊ぶ時間も減り、自然と仕事だけの毎日になるのだ。だから、なにも若いうちから好き好んでそんな生活を送ることはない。もちろんやりがいのある仕事を持ち、精一杯働くのは大切だ。それもまた若いうちしかできないことだから。だけどキーラがやっている仕事は、続ければキャリアアップできたり、将来出世できるというものではない。貧しくて教育を受けられない子どもや勉強ができない子どものために粉骨砕身する教師の仕事は社会的意義は大きいけれども、頑張っても報われないことも多いだろうし、そのわりに報酬も少ないのではないだろうか。
キーラはトムになにか言われれば言われるほど意固地になって「そうじゃない!」と否定する。でもトムの言葉は、キーラを自分の思い通りにしようというエゴだけでなく、純粋に若い彼女を思う優しさがあるのではないかと私は感じた。キーラがそのことに気づくのは、彼女がもっと年を取ったときだろう。
そして、キーラの言葉や表情からも、トムに対する抑えきれない愛と優しさが窺える。表面的には互いを罵りながらも、根底には相手に対する想いがある・・・。それでもやっぱり付き合い続けることはできなくて。はあ、切ない・・・。
男と女という違い、富裕層と労働者階級という社会的立場の違い、年齢の違い、そして不倫という関係。様々なものが二人を分かつ。

けれどこの芝居は、悲劇ではない。いたるところにユーモアがあり、思わずクスリと笑ってしまう場面が多い。シリアスな題材を扱っているけれども、人間に対する優しいまなざしを感じる。最後の場面が特にそれを表していると思う。
私は英語がわからないので、この芝居の本当の面白さは理解できていないと思う。台詞のやりとりだけのこの芝居は、台詞自体に含まれるニュアンスの面白さがふんだんにあるはず。今回の日本語の字幕はすごくわかりやすくて観やすかったけど、恐らく英語がわかる人、イギリス文化がわかる人にしか伝わらないジョークがいっぱい詰まっているんだろうなと思う。客席からはドカンドカンと笑いが起きていて、「え?これってもしかして喜劇なのかも?」とか思った。特にビル・ナイの長台詞はすごい。ただ台詞を言うだけでなく、全身でそれを表現していて、圧倒される。彼は舞台を自由に歩き回り、時には足でちょいちょい椅子を蹴ったりなど、ユニークな動きをする。目が離せなくなる。魅力的な俳優だ。

『スカイライト』は人気の作品らしく、上映館を変えて繰り返し上映されている。11/27(金)〜12/4(金)には渋谷ル・シネマで上映されるとのことなので、興味のある方は足を運んでみては。