2015年9月に観た舞台

KERA・MAP『グッドバイ』観劇。太宰治の小説が原作。といっても原作を使っているのは第一部の途中までで、それ以降はKERAの創作のようだ。妻がいるのに愛人が何人もいる男・田島。妻と子どもは疎開先に残したままだ。しかしあるとき心機一転して女たちと別れて身辺整理をしようと考える。そこで、カツギ屋のキヌ子と組み、絶世の美女であるキヌ子を妻だと偽って女たちに自分を諦めさせ、別れようとするのだが・・・という話。キヌ子は美女なのに行儀が悪く、言葉遣いも乱暴で、田島を投げ飛ばすほどの怪力の持ち主。おまけにものすごい大食い。そんなキヌ子を演じた小池栄子がすごく面白かった。キヌ子をなんとか上品な女に見せるため、綺麗な服を着せたり歩き方や笑い方を注意したりするが、あまり効果はなく、愛人たちともなかなか別れられない。そうこうするうちに妻から離縁状が届く・・・。妻を演じた水野美紀、愛人で女医役の緒川たまき、愛人で美容師役の町田マリー、愛人で田島の雑誌のイラストレーター役の夏帆、田島と関係のあるわけありの若い女を演じた門脇麦・・・と、華のある美女が揃い、皆演技もうまく、女優を観ているだけで幸せな気分になった。また、池谷のぶえが相変わらずのコメディエンヌぶりを発揮。田島の子どもや怪しげな占い師など、いくつもの役を次々と演じ、しかもそのどれもが面白い。さすがだ。役者はとてもよかったのだが、話としてはそれほど面白いとは思えず。話の面白さというよりシーンごとの面白さを楽しむ芝居という感じ。KERAらしいナンセンス風味の台詞の掛け合いが面白く、客席は大ウケしていた。

On7『その頬、熱線に焼かれ』観劇。これはすごい作品だ。涙を堪えるのに必死だった。広島で被爆してひどい火傷を負い、顔や体にケロイドができた女性たち。そのなかから25人が選ばれ、「原爆乙女」としてケロイド治療のため渡米した。これは、原爆乙女としてアメリカで治療を受ける女性7人の会話劇だ。女性たちは皆ケロイドがあるが、その程度はそれぞれ。腕や足だけで済んで顔は綺麗なままの人もいれば、顔中ケロイドで片目が飛び出て瞬きができないほどひどい人もいる。実際に女優たちはケロイドのメイクを施しており、顔にケロイドがある人とない人の差がはっきり出ている。残酷すぎる。被爆したのは皆同じだけど、症状の程度はそれぞれ違う。彼女たちは同じ原爆乙女として、仲間として支え合う。けれど、自分より症状が軽い人を羨む気持ちがどうしても出てしまう。被爆者同士が妬み合う・・・なんだかやりきれない気持ちになる。「被爆した」という点ではどの人も被害者だ。一番の被害者は亡くなった人たちだ。そう頭ではわかっていても、ケロイドでお化けのような顔になってしまった自分を、「生きていただけ幸運だった」なんて思えるだろうか。身近に自分より症状が軽い人がいたら、どうしても比べてしまうだろう。自分の醜いケロイドの顔を見て、「せめて顔じゃなければよかったのに」と、顔にケロイドのない仲間を妬んでしまうだろう。女性としてそういう気持ちは痛いほどわかるので、切ない。
一方で、彼女たちよりひどいケロイドなのに、25人の中に選ばれなかった女性たちもいる。治る見込みがないほどひどかったり、原爆病にかかったりした人だ。選ばれなかった人たちに対して罪悪感を抱く彼女たち。同じようなケロイドを負い、広島で励まし合っていた友達がいたのに、自分だけが原爆乙女に選ばれたことで疎遠になってしまったり。あとになって、広島に残してきた友達が原爆病で亡くなったことがわかったり。この作品のすごいところは、同じくらいの年齢の女性が、同じく被爆してケロイドに苦しんでいるのに、抱いている苦しみは人それぞれなのだということを示したところ。彼女たちは「原爆乙女」とひとくくりにされる存在ではなく、それぞれの家族や友人がいて、かけがえのない生を生きているのだ。たとえケロイドでお化けのような顔になっても、原爆で亡くなった人を想えば自分は幸運だったと思えるか。あるいは、重症のケロイドを負いながらも原爆乙女に選ばれずに広島に残った友達を想えば、アメリカで治療できる自分を幸運だと思えるか。いや、幸運なんかじゃない。苦しみはもっと個人的なものだ。そして、それぞれが負った苦しみを、自分で乗り越え、やりすごして生きていくしかない。けれども、同じ境遇の仲間がいれば、苦しみは軽減する。同じ境遇の人とつながり、支え合う。それだけで人は勇気が出、生きる希望が生まれるのだ。
戦争や原爆の悲惨さももちろん描かれている。というか、舞台上での彼女たちの姿を見れば、悲惨なのは一目瞭然だ。しかしそれ以上に、彼女たちの「それでも生きたい」「少しでも綺麗になりたい」「できれば恋をして子どもも産みたい、仕事もしたい」という生命力を感じた。希望がある、と思った。
役者はほんとにみんなよかった。信江を演じた小暮智美さんが特によかった!信江は一番年上で、穏やかに皆をなだめたりする。だけど身よりがなく、辛い境遇。顔にも酷いケロイドがあり、治療で片手が塞がっている。そんな小暮さんが涙を流しながら家族の話をするシーンは泣かされた。

Co.山田うん『モナカ』鑑賞。「瞬間」の奇跡を壮絶に描いた作品。上演時間は1時間ほどなのだが、一瞬一瞬の濃度が半端じゃなくて、最初から最後まで緊張感に漲っている。あまりの凄まじさに息をつめて観ていたから、終わったときにはこちらまでぐったりとしていた。身体の大きさも性別も違う16人のダンサーたちが、縦横無尽に走り回って踊り狂い、液体のように形を変え続ける。塊になり、バラバラになり、折り重なり、また離れる。空間全体を使って16人ものダンサーの動きを緻密に構成し、振付ける山田うんは、やはり天才なのだ。その振付は、ダンサーたちの動きを揃えるのではなく、性別も身体も違うダンサーたち一人ひとりの差異や個性を豊かに表現している。それが圧倒的パワーとなり、ダンサー一人ひとりを際立たせ、輝かせる。

柿喰う客『天邪鬼』観劇。戦争を題材にしたシリアスな話なのかと思いきや――もちろん柿喰う客だからそんなストレートにくるはずはないとわかってはいたが──すごい外し方だった。子どもたちが、桃太郎をはじめとする昔話を演じたり、戦争ごっこをしているうちに、いつしか戦争をするようになる・・・という内容。子どもを演じる役者たちのアドリブやギャグが炸裂。昔話も演じられるので、途中で自分が一体なにを見ているのかわからなくなった。役者はそれぞれよかったのだが、演技がくどくてついていけなくなったりも。役者のなかでは大村わたるさんが、ちょっと成河さんぽくて、気になった。今回、深谷由梨香が妊娠により降板し(彼女が結婚していたことも知らなかった)、彼女のファンとしては残念だった。深谷さん、柿に復帰はしないのかな・・・。アフタートークで客として来ていた深谷さんが舞台に上がり、「こうやってみんなで舞台に立つのも最後」みたいなことを言っていたので。
本多劇場が満席で立ち見も出ていた。柿喰う客も、いつの間にかすっかり人気劇団になったんだな・・・。

木ノ下歌舞伎『心中天の綱島』観劇。歌舞伎が、糸井幸之介さんならではの演出と音楽で、現代的でポップな男女の悲恋話に。普通に感情移入して観ていたら、主人公の紙屋治兵衛が身勝手すぎて、すげームカついた。おさんも小春も可哀相すぎる・・・。でも紙屋夫婦の箪笥のシーンはすごくよかった。夫の心変わりで別れることとなった夫婦。箪笥を開けると、プロポーズのときの指輪とか、二人の思い出の品が次々出てくる。そして二人の付き合い始めのころや、夫が妻に初めて告白した学生時代まで遡って演じられる。このときの二人の歌『箪笥の思い出』がまた素晴らしい。おさんは夫に裏切られながらも献身的。夫に対してだけでなくその愛人に対してまでも。なんでそこまで?と思うが、箪笥のシーンがあることで、おさんと治兵衛の結びつきがわかるので、なんとなく納得してしまう。そして、最後のシーン(治兵衛と小春が心中した後)で、おさんが子どもをあやしているのを見て、救われた。夫に裏切られ振り回され、挙句の果てにはよその女と心中されて、おさんはほんと気の毒な女だ。だけど、子どもがいるから、ひどい目に遭っても強く前向きに生きていけるのかな・・・と思った。おさんの出産のシーンも、二人の回想で演じられる。苦しくても気丈に出産に挑むおさんに対し、治兵衛はといえば・・・なんと、自分が出産するわけでもないのに、苦しそうにしているおさんを見てびびってしまい、情けなくオロオロし、外にタバコを吸いに行ってしまう(そのときにおさんが出産)。なんなんだ、この男は。治兵衛は最後の最後までダメっぷりを発揮。小春と心中するときに、治兵衛が小春を刀で突いてから自身も首を吊って死ぬのだが、小春を刺すのにためらい、オロオロしてしまい、何度も何度も急所を外して刺して小春を苦しめる。心中すると決めたんだから(というか小春を巻き込んだのだから)、ためらわずに一突きで小春を死なせてやれよっ!と思ってしまった。
糸井さんの歌は相変わらず素晴らしい。だが羽衣と違って少人数だったせいか、役者の歌唱力にばらつきがあったのが気になった。羽衣だと大勢で歌うシーンが多いけど、今回は1人で歌うシーンも多かったから、役者の負担が大きかったのかもしれない。声が枯れていたり、高音が出なくて歌いづらそうだったり、明らかに音程を外している役者もいた。羽衣は、「妙〜ジカル」と謳ってるだけあって、うまく歌う必要はなく、下手であっても役者の個性やパワーが出ていればOKという面もある。というか、むしろ特別うまくない役者たちが必死に声を出して明るく歌っている様が圧倒的にパワフルで、感動を誘うのである。だけど、今回に限って言えば、もう少し歌唱力があってもよかったかも・・・とも思う。

カタルシツ『語る室』観劇。イキウメの前川知大さん作・演出で、イキウメの役者さんが出ている(中嶋朋子さんが客演)のだが、名義は「カタルシツ」。イキウメ別館のような位置づけでSFミステリーに特化しているという。だけど作風が大きく変わるということはなく、いつもの前川ワールドが炸裂。今作は特に伏線の回収が見事だった。
特徴的なのは、複数の登場人物の視点で、同じシーンが繰り返し演じられること。それにより、パズルのピースが嵌るように、様々な謎が解明されていく。視点を変え、時間を行きつ戻りつさせながら描いており、観ているうちに「あのときはこうだったのか!こういうことだったのか」と少しずつわかっていくのが気持ちいい。しかしながら、設定がかなりオカルト寄りで、オカルト現象に対してなにも科学的な説明がないので、納得できない部分も多かった。園児とバス運転手の失踪事件が起こり、そこに目撃者である謎の青年がいる。青年はどうやら未来からやってきたらしい。どうやら失踪事件があった場所には不思議な力があり、様々な自然現象が重なって起きたときに、過去や未来に通じる「虹の輪」が現れる。園児とバス運転手はそこに呑み込まれてしまい、過去に行ってしまったようだ。
物語は、園児の母・美和子と、警察官である美和子の弟の譲、そしてバス運転手の兄の3人を中心に語られる。この3人は、最初こそ関係が悪かったものの、事件の被害者として支え合い、事件のあった22日に毎月バーベキューをしている。そして、事件からちょうど5年目である2005年9月22日。バーベキューをしている3人のもとに、2022年からやってきた青年・和夫、怪しげな霊媒師、ヒッチハイクをしている兄妹がやってくる。このヒッチハイクをしている兄・大輔は、失踪した園児が成長した姿(園児とバス運転手は1972年にタイムスリップして、そのまま生き続けた)。そして2022年からやってきた和夫は、バス運転手の息子である。しかし、タイムスリップのことは和夫と霊媒師、そして観客しか知らず、最後までほかの登場人物には明かされない。そのため、劇中では事件は解決しておらず、失踪した子供や弟を想いながら3人がバーベキューをする・・・という終わり方だ。この終わり方はかなりもやっとした。オチとか後日談的なエピソードがほしかった気が。イキウメの前作『聖地X』みたいに。『聖地X』では、オカルト現象が起こった理由について一応説明されているのに対し、本作では霊媒師の「記憶のプールに深く潜りこんでしまったことによって起きた」という言葉だけ。確かにイキウメはもともと、オカルト現象に対してあまり説明せず、「そういうものがある」として描いているところがあるけれども。。。

9月の観劇本数は6本。このほか、『多摩1キロフェス』に行き、スイッチ総研、コンドルズ、森山開次、東京ELECTROCK STAIRS、くるくるシルク、ままごと、DE DE MOUSE×ホナガヨウコなどを観た。多摩1キロフェスは、多摩ニュータウンの1キロ圏内で演劇やダンスなどのパフォーマンスがあちこちで催されるフェスティバル。しかもそのパフォーマンスのほとんどが無料という素晴らしさだ。パフォーマンスは多摩中央公園や水上ステージ、大階段などで行われ、野外の魅力を堪能できる。公園には様々な屋台も出ており、フェス気分を満喫。私が行った日は天気もよく、1日中様々なパフォーマンスを観て楽しむことができた。タイムスケジュールが出ているので、何時にどこで何を観るかといった予定を立てやすいのもいい。あと、周辺にデパートやスーパー、飲食店などがたくさんあるので、トイレに困らないのも何気によかった。