2015年7月に観た舞台

黒田育世新作『波と暮らして』鑑賞。柳本雅寛と黒田育世のデュオなのだが、ソロで踊るシーンも。柳本雅寛はダイナミックな踊りで目を引く。黒田育世はあるときは無邪気な笑顔を浮かべながらステップを踏み、あるときは犬のような恰好で険しく唸り、あるときは苦しそうに悶えながら床に転がる。原作はオクタビオ・パスの小説。ある日青年が海に行くと、なぜか波がついてきてしまい、波と同棲することになる。波は“女”の象徴のようだ。青年は気まぐれな波に翻弄されながらも仲良く暮らす。しかし、波は青年に執着するあまりか、次第に青年を束縛しようとしたり、異常な行動に走ったりする。青年はそんな波がすっかり嫌になってしまい、家を出る。一ヶ月ほどして家に戻ると、波は彫刻のような氷の塊になっていた。青年はそれを見てももはやなんの感慨も抱かず、その塊を袋に詰め、喫茶店へ持っていく。そしてそれをあっさり喫茶店のマスターに渡す。マスターはためらいなくアイスピックで氷の塊を粉々にする……という話。男女の恋愛を幻想的かつ残酷に描いた物語だと思う。柳本雅寛と黒田育世は、ショパン夜想曲に乗せて、恋愛の喜びと苦しみ、激しい葛藤、別れの悲しさを情感豊かに表現。黒田育世が扮する“波”は、“女”そのもののように思えた。可愛らしいけれど気まぐれ。それでいて男を包み込むような優しさもある。2人は寄り添って歩きながらステップを踏み、じゃれあい、一緒に眠る。スケッチブックに描かれた絵が各シーンを表しており、それが次々めくられることによってストーリーの進行がわかるので、わかりやすい。終盤では、アイスピックを持つ男の絵が現れる。柳本雅寛がアイスピックを掲げると、黒田育世が倒れる。ラストでは、壁一面に張られたブルーシートが床にバサリと落とされ、その向こうに並べられた物語を表す何枚もの絵が現れる。小さな小屋で、セットも照明も最小限の舞台。そこに広がる幻想的で濃密な世界に圧倒された。それは外に向けて開かれた世界ではないかもしれないけれど、だからこそ二人の間で交わされる感情や、関係の移り変わりが直に伝わってきて、震えてしまう。こんな世界を表現してしまう二人はすごい。二人を見ているだけで、想像力が無限に広がっていくようだった。

白井晃構成・演出『ペール・ギュント』観劇。すごい大作!圧倒的なスケールで、引き込まれる。イプセンの『ペール・ギュント』の世界の外側に、現実のようなもう一つの世界が広がっているという入れ子構造になっている。最初に現れるのは、廃墟のような場所。ベッドなどがあり、病院のようにも見える。そこに避難してくる人々。戦争中なのか、爆撃音が響く……。『ペール・ギュント』は、ペール・ギュントという男が辿る数奇な人生を描きながら、「自分とはなにか」を問う物語。でっかいことをやるという野望を持っているペールは、生まれ育った村を出て、流浪する。あるときは実業家として、人身売買などのあくどいことをやりながら巨万の富を稼ぐ。あるときは預言者だと自らを詐称し、金をだまし取り、女との恋に溺れる。あるときは知を求め、学者になる。その都度成功はするものの、すぐにダメになり、すべて失ってしまう。だけどまたすぐ次のことに手を出す。そして、いろんなことに手を出してはいったん成功し、またすべて失い……ということを繰り返す。そのうち年を取ってすべて失い、ぼろぼろになる。故郷に戻ったペールを待っていたのは、ソールヴェイだった。彼女は、若き日のペールが恋した相手。ペールは村を出る前に、彼女に「待っていてほしい」と言ったのだ。ソールヴェイはペールが自分のもとに戻ってくると信じ、年老いて盲目になってもずっと彼を待っていた……。ペールが流浪しながら探し求めたのは“あるがままの自分”。最後までペールにはそれがなんなのかわからなかった。ペールの人生は穏やかな幸せとは程遠いものだけど、波乱万丈で、面白いと思う。しかも、年老いてすべてを失い、ボロボロになって故郷に帰ると、自分を愛する女が待っていてくれるのだ。ペール役の内博貴は、後半、どんどん迫力を増していく。人身売買などをやりながら実業家として成り上がっていくペールは、悪の魅力と色気に満ちている。最後、なにもかも失った老いたペールからは、哀切が滲み出ている。そして、スガダイローのピアノがとにかく凄まじく、圧倒された。腕が折れんばかりに、ピアノが壊れてしまうんじゃないかというほど激しく超高速で指を動かし、腕で鍵盤を叩く。混沌とした世界を、これ以上ないほど的確に表現していると思った。かと思えば、シーンが変わると穏やかで楽しげに演奏する。さらには役者として(?)物語に絡んだりも。そのときの彼はとてもユーモラスで、微笑ましかった。とにかく変幻自在で、目が離せない。私が観たのは初日だったのだが、カーテンコールで、内博貴が、無事に大役を果たせて安堵したかのように頬を膨らませて大きく息を吐いていたのが印象的だった。そして、スガダイローは内とは対照的に飄々としていた。そんなスガの肩を抱いてはけていく内博貴。いい初日でした。

野田秀樹作、マルチェロ・マーニ演出『障子の国のティンカーベル』観劇。毬谷友子による一人芝居。ひょんなことから障子の国(日本)にやってきたピーターパンの“人でなしの恋”の物語だ。毬谷友子がティンクとピーターを演じ分け、歌を歌ったりも。ピーターは途中、お店の店先に飾られた日本人形に恋したりもする。毬谷友子はその人形を操り、人形の台詞をしゃべったりも。毬谷友子は登場した瞬間に観客の心を掴む。独特の茶目っ気があり、彼女から目が離せなくなる。私は以前、ベニサン・ピットでやった鶴田真由のものを観ていたのだが、話はすっかり忘れてしまっていた(美術は印象に残っているのだけど)。改めて観てみると、話自体は野田の脚本にしてはそれほど面白いとは思わなかった。野田自身が演出をしていればまた違う印象だったろうが。だが毬谷友子の魅力で最後まで観れた。

Q『玉子物語』観劇。相変わらずの変態ぶりで、とても面白かった。Qは毎回そうだが、女性の妊娠や出産といった体のこと、女性という性について描いている。そしておなじみの異種交配も。出てくる女優たちが皆捨て身な演技で、それを観ているだけで楽しめる。いつもよりストーリー性があるというか、設定とかがわかりやすかったので、すぐ入っていけた。やっぱり市原佐都子は面白い。かなり異色だけど、それだからこそ。舞台は一段高くなったところに金網の鶏小屋のようなものが設置され、そこには同じ方向を向いたほっかむり姿の女性たちが座り、テレビを観たりしている。どうやら彼女たちは卵を産む存在のようだが、正体は最後までよくわからない。その下は、玉子という女性のアパートらしい。真ん中にドアがあり、壁には鉢植え、上手に裸のバスタブ、壁際にシンク、電子レンジ、コンロなどがある。アパートの管理人の女性は、そこで作られた(?)卵を大事にしているようだ。住人はクセのある人ばかり。ストレスを抱えたOL、ウサギの父(?)、母親が行方不明の女の子など。最後、生卵を何度もべちゃっと投げるシーンがあり、妙に生々しかった。