2014年6月に観た舞台

三条会三条会のゼチュアンのぜんにん』観劇。三条会のよさは、斬新なアイデアでテキストを解体し、それと俳優の身体をもってテキストのよさやテーマ性を よりダイレクトかつダイナミックに表す、ということだと思う。この作品もそうだ。しかし戯曲が難しいのか、いまいちはまってなかったような。面白いと思えるアイデアは多かったが、全体を通した狙いがいまひとつわからず。役者も迷いが見えるというか、あまり力がなかったような。そのせいで演技が 一本調子のようになっており、なんだか眠気を誘うような。。。役者は新しい人が多い。いまいちに感じたのはそのせいかも。劇団を引っ張っていた個性的な役者が立て続けにやめてしまったことで、劇団のカラーが変わったのかな。前回の公演では、それが良い方向に作用していて、三条会だから良い役者が集まるんだな、と思ったのだが。確かに演出は面白いんだけども。やっぱり俳優を見る芝居だから、俳優の力量によって変わってしまう。今回の俳優が悪いというわけではないのだけども、パンチがないというか。あと、今回の作品は、あまり笑えるところがなかった。あったとしても実際に笑いにつながっていない。

ハロルド・ピンター作、デヴィッド・ルヴォー演出『昔の日々』観劇。デヴィッド・ルヴォー演出作品ということで期待して観に行ったが、つまんなかった・・・。男一人、女二人の会話劇。昔の日々についてそれぞれが語るうちに、三人の複雑な関係が明かされていく。次第に、彼らが語っている内容が本当に起きたことなのか、創作なのか、わからなくなっていく、という内容なのだが、まずこの話がつまんない。会話で魅せる芝居なんだろうが、演出のせいなのか、全然会話が頭に入って来ず、ただただ退屈なだけ。上演時間も一時間半と短く、そのなかでこの芝居の世界に入っていくのは難しい。美術だけはよかった。終わり方があっけなく、「もう終わり?」と思ってしまった。これで8000円はいくらなんでも高い。

『十九歳のジェイコブ』観劇。松井周の戯曲、松本雄吉の演出というのに惹かれて観に行った。とにかくかっこよかった!「音」がめちゃくちゃかっこよくて、新国立でこんなとんがった音を聴いたのって初めてかも、と思った。中上健次の原作は読んでいない。若者の鬱屈を描いた作品で、まああの時代には結構ありそうな話だが、今の時代に舞台として観ると、やっぱり古い感じはしてしまった。松井周の戯曲はスタイリッシュなようでもあり泥臭いようでもあり、独特の世界観。松本雄吉の演出もすごくかっこいい。しかし、戯曲や演出よりも「音」が印象に残る舞台だった。ジョン・コ ルトレーンの『OLE』は、高校時代によく聴いていた大好きな曲で、懐かしかった。一気にあのころにタイムスリップしたかのようだった。ジャズが大音量でかかるシーンはいい。あの時代の空気を出すことに成功しているのは、音楽の力が大きい。音楽ってほんとに、その時代やそのころの自分というものを一瞬で思い出させる。終わり方がすごくかっこいい。私はずっと座って延々と続く『OLE』を聴いていた。

青山円劇カウンシルファイナル『赤鬼』観劇。野田秀樹の戯曲を中屋敷法仁が演出。円形劇場という場と役者の身体の動きが見事にマッチ。小野寺修二の振付もはまっている。演出は余計なものをそぎ落としたシンプルなもので、野田の台詞と役者の動きをストレートに見せ、スッとその世界に入れる。役者は全員よかった。頭の弱い兄役の柄本時生の存在感がいい。彼がストーリーテラーの役割を担うことで、重い物語のなかにも少しだけ光が見えるような。水銀役の玉置玲央は、彼の個性を生かした水銀になっていた。水銀って嘘つきで卑怯かもしれないが、芯にある孤独や哀しみが伝わって来た。「あの女」役の黒木華は、凛とした立ち姿が印象に残る。彼女が語る台詞はときに絶望的だけれども力強い。赤鬼役の小野寺修二は、身体全体で異人としての存在を演じる。その細かい表情や手足の動きは、さすがと思わせる。それにしても、本当にいろんなことが詰め込まれている戯曲だ。

FUKAIPRODUCE羽衣『耳のトンネル』観劇。休憩入れて3時間という長丁場だが、全然長く感じなかった。一人の男のささやかで愛しい一生を描いた話で、要所要所でその男の人生の一場面が歌とともに演じられる。生まれたときから中学時代、そして女を知り結婚し離婚し、死んでいく・・・。様々なエピソードがあるが、それがきちんと一本のストーリーになっているため、今までの羽衣よりも見やすい印象を受けた。さらにその一つ一つのエピソードの歌が秀逸。役者の演技も熱く、大きな「愛」というものが劇場に満ち溢れており、ぶわっと泣きそうになった。特に後半の『観光裸』がすごく切ない。女は別れの予感に涙を浮かべているのに、男は能天気。男女の違い(ここではその立場の違いというのも大きいが)をありありと感じた。それでも愛し合わずにいられない男女、そしてやがては別れてしまう男女。愛って素晴らしいというより切ないのかも・・・。日郄さん演じる男は、能天気すぎていろんな女を無意識に傷つけながらも、本人はいたって楽しく人生を生きている。このくらいあっけらかんと楽しく生きられれば幸せだ。どんな状況でも楽しむということは一つの才能だ。せっかく生きてるんだから、たくさん人を愛してたくさん楽しむのが一番だな。この男みたいに自ら積極的に人生を楽しんでいる人というのは、やっぱり人に愛されるのだ。彼に関わった女たちも、最終的には彼を許し、受け入れている。もうほんとに「人生は愛だぜ!」という感じ。人生を素晴らしくできるのは、結局は自分自身でしかないのだ。とにかく羽衣の魅力がいっぱいつまっている舞台。愛に溢れているけれど、切なさもいっぱいで、人生の虚しさや哀しみを感じさせる。いいことばかりじゃないのが人生。だけどやっぱりそこにはたくさんの輝きがある、と信じたい。それを信じさせてくれる力のある舞台。

ベッド&メイキングス『南の島に雪が降る』観劇。お台場の公園にテントを建てて上演。あまりの素晴らしさに、観劇後は興奮状態に。戦場の地獄を生きる兵士たちがジタバタ騒いで真剣に芝居をやる。そしてそれだけを楽しみに観にくる兵士がいる。女役の役者にときめき、劇場に表れる懐かしい日本の四季に泣く。現実にはもう見ることのできない、桜に、柿に、雪に。演じている兵士たちは、ふざけてばかりいるが、皆ここが戦場であること、地獄であること、そして自分たちは生きては帰れないだろうことを知っている。だからこそ彼らは芝居をやる。頭の中だけは自分の世界、自分がそのとき思いついたこと、感じたことが一番大事。芝居を観にくる兵士たちは、毎日少しずつ少しずつ減っている。死んでいるのだ。演じている兵士たちは、生きている観客だけでなく、死んでいった兵士たちに向けても演じる。死んだ兵士たちも劇場で彼らを見ている。お台場の公園にテントを建て、そこが戦場の芝居小屋になる。野外のテント芝居であること、テントの向こうには海と夜景があること、それがこんなに切ないなんて。だって芝居が終われば解体され、そこにはなにもなくなるのだ。劇中劇で、戦場で芝居をやっている演芸団の兵士たちの物語と、彼らの演じる芝居を描いているが、その外側のテントの向こうには『現実』が広がっている。これは一夜の夢なのだ。そして皆、帰っていく。それぞれの家に。兵士たちが芝居をやりながらも現実に引き戻されたように。フィクションの力、というものを強く感じる。人の頭の中では、それはもしかしたら現実より大きな存在なのではないか。人は誰でも、自分にとってのフィクションを生きているのかもしれない。私はそれを味わうために芝居を観ているのだ、と改めて思った。夢から醒めるのは切ない。だけど人は現実を生きねばならない。好きなセリフ。「『生きてさえいればいい』なんて言うのはやめて。大きなものと自分を比較してそんなことを言うのはやめて。私たちはもっと小さな世界で、小さなことに喜んだり楽しんだりしているのよ」台詞は正確ではない。フィクションがないと気が狂ってしまうようなギリギリの精神状態。実は彼らは彼女らはもう狂っているのかもしれない。じゃあなんで生きてるのか?それは、現実が悲惨でも、頭の中では希望を持っているから。外に走り出す彼らの姿は、決して不幸ではない。断じて。

マームとジプシー『^^^かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっとーーー』観劇。岸田國士受賞作に『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』の要素が入った作品。家族や家というものを題材に、大きな事件があるわけでもない日常を描いているのだが、それがなぜこんなにも切ないのだろう。普遍的、というわけでもないと思うのだが、とにかく観ていていろいろ刺さって、特に家が取り壊されるエピソードが繰り返される後半は、観ていて辛くなった。どうしても、震災で取り壊された実家のことを思わずにはいられなかった。私の家は、震災で壊れて否応なくなくなってしまったので、この芝居のように、家との別れを惜しんだり感傷に浸ってはいられなかった。家が取り壊されたときには、自分はもうその家にはいなかったし、あまり実感はなかった。ただただ呆然としていて、なにかを感じている余裕もなかった。何ヶ月も経ってから、言葉にならない喪失感がじわじわと湧き上がってきた。もうないんだな、という。悲しいとか憤りとかじゃなく、ただ空っぽな感じ。芝居の世界に引き込まれるのだけど、それはこの芝居のストーリーとかに共感したというよりも、この芝居を観ることによって、自分の過去の体験を追想してしまうからだ。この芝居には、そういう不思議な力がある。

劇団野の上『臭う女 黒』観劇。劇団野の上は初めてだったが、面白かった。青森県南部地方が舞台。タバコ畑で働くおばちゃんたちが、南部弁でしゃべりまくる。最初は意味がわか らなかったりしたけど、だんだんそのわからなさが面白くなってきた。すごく滑稽な話なのに薄ら寒くなる感じも。ノワールだな。

青年団リンク玉田企画『少年期の脳みそ』観劇。面白かった!高校の卓球部の合宿での会話。性に目覚めて先輩に恋しちゃう男の子のテンパった感じとか、なぜ か合宿にやって来るOBとその彼女の変な空気とか。ストーリー云々ではなく、一つひとつのシチュエーション、会話が臨場感に溢れ、引き込まれる。すごく笑えるシーンが多いのだが、今日は客席に高校生?がなぜかたくさんいて、彼ら彼女たちがほんとに楽しそうによく笑っていた。それもすごく臨場感が。だってまさにこの芝居に出てくるような子たちが、高校生のこそばゆい会話に笑ってるんだもの。

シス・カンパニー『抜目のない未亡人』観劇。18世紀のヴェネツィアを舞台にした原作を、三谷幸喜が翻案し、映画祭の話に。元大女優のところへ、イタリ ア、イギリス、フランス、スペインの映画監督たちが、自分の映画に出てくれと懇願。彼らの本心は?大女優が最後に選ぶのは?という感じの話。笑えて面白いし、なによりキャストがすごい。だけど、三谷さんだったらもっともっと・・・と思ってしまう。なんだかコメディみたいになっていて(まあコメディなのだけど)深みがないというか。観てるときは面白いけど、後を引かないというか。

6月の観劇本数は10本。
ベストワンはベッド&メイキングス『南の島に雪が降る』。