2014年5月に観た舞台

川上未映子×マームとジプシー『まえのひ』観劇。川上未映子のテキストを使いながら、青柳いづみがパフォーマンスする。風林会館の元キャバレーという場所の雰囲気や、大音量の音楽が心地いい。青柳いづみはときにパンキッシュに、ときにしっとりとしたパフォーマンスを繰り広げ、ワクワクさせる。

『ロンサム・ウェスト』観劇。マーティン・マクドナーの脚本を小川絵梨子が演出。殺伐とした話なのだが、仲の悪い兄弟の喧嘩がすごく人間味に溢れていて、そこに笑いも生まれる・・・という演出。兄が堤真一、弟が瑛太。この二人の取っ組み合いがすさまじくもおかしい。神父役の北村有起哉も迫真の演技。兄弟の喧嘩は、やはり兄のほうが一枚上手で、弟が地団太踏んで口惜しがったりする。互いに意地悪で、やられたら何十倍にもしてやり返す。けどそこまでエネルギー使って喧嘩するって、相手に関心を持ってるってことだよね。そんなことに気付かされる終わり方がなんとも心憎い。

快快『へんしん(仮)』観劇。役者の身体とイマジネーション、これだけでこんなに豊かな演劇ができるのだ。私には、ダンサーに見立てられた机が、本当に感情を持って舞台で踊っているように見えた。とにかく惹き込まれ、イマジネーションがどこまでも広がっていく。演劇の原点に立ち返ったような作品。快快の舞台に出てくる様々なアイデアは、大人の意表を突く。子供が思いついたみたいなアイデアなのだ。すごく斬新というわけではないけれど、大人には発想できない。快快の遊び心は子供心でもある。この世界に生を受けたということの奇跡。快快の舞台を観るといつも、この世界に在るもの、それがどんな小さなものであっても全て愛しく美しく思える。けれど、快快が描いているのは世界に対する肯定ではない。愛も死も、絶望も孤独も。世界も生き物もあるがまま。それだけ。

唐組『桃太郎の母』観劇。「桃太郎の母」と呼ばれる粉を飲むと、何年も姿を消す。消息を絶った真理子と、上野の恐竜展で再会したまりこ。まりこから真理子に贈られたアンモナイトのなかに桃太郎の母があるのか・・・という感じの話。まりこ役の赤松由美がやっぱりいい。少年の役も似合う。普段主役を張っている稲荷卓央と藤井由紀は、今回はメインの役どころじゃなかった。若手俳優が多数活躍。男娼役の気田睦がうまい。田口ドンを演じた福本雄樹は大抜擢。20年も前の作品だという。昔の作品だからか、上演時間が2時間と、最近の唐組にしては若干長め。あと派手な演出があまりなかった気が。

財団、江本純子『人生2ねんせい』観劇。財団、江本純子では、毛皮族とはまったく違う、「戯曲」を前面に出した芝居を上演している。その時々の江本さんの興味や影響を受けたものなどがわかり、興味深い。基本は会話劇なのだが、その手法は毎回違う。今回のはものすごく面白く、興味深かった。約60年という長い期間の間に、ある家族に起こった物語。人生を2回繰り返す女性。2回目のときは1回目の記憶があり、1回目の人生の懺悔のようなことを行う。その女性の様々な恋愛や、彼女の母や祖母、姉妹のエピソードといった、とても壮大な家族の話。シリアスでもあり笑いもあり。家族のなかに男はいない。母と娘の関係性が強調される。あくまで笑いを通して喜劇として描かれているけど、その内容はかなり切実。「子孫を残す」ということ、誰かとともに生きること、そして別れること。どこまでいっても堂々巡りの人間の営み。暗転がなく、ひとりの役者が早替わりで別の役をやったり、時間も自由に行ったり来たりする。でも観ていて混乱はまったくない。情報量はすごく多いのに、自然。笑いもあって観ていて疲れないし、自然と話に惹き込まれてどんどん次を観たくなる。とてもよくできた戯曲だと思う。役者は全員よかった。佐久間麻由は可愛らしい容姿なのにはっちゃけた役。それがすごく自然で魅力的。もっとこの子を見たい、と思わせる不思議な魅力がある。羽鳥名美子はどっしりとした安定感がありながらもやっぱりギャグのセンスがすごい。加藤啓はやはり色っぽい。彼は何役か演じていて、どれもダメな男ばかりなのだけど、どの男もなんか憎めない感じ。加藤啓ってほんとに色気のバリエーションのある男優だ。そして江本純子。地味で孤独な役ばかりなのだけどユーモアがあり、人を惹きつける。その孤独の枯れた感じがまたいい。この作品は、ライトな語り口でさらりと重いテーマを描いている。それが江本さんの巧みさ。内容はシリアスにも受け取れるけどあくまで喜劇。まるでチェーホフ

『クロードと一緒に』観劇。30年前にフランス系カナダ人のルネ=ダニエル・デュボワによって書かれた戯曲を、箱庭円舞曲の古川貴義が演出。裁判長の執務室が舞台。殺人容疑で取り調べを受ける男娼、彼を執拗に取り調べる刑事。場面転換もなくほぼ2人だけのシーン。延々と続く言葉の応酬だけで魅せる。最初は、俳優の演技のバランスがとれていないのが気になった。しかし、見ているうちに、男娼を演じた稲葉友に圧倒されていった。後半のあの迫力といったらすごかった。彼の「仕事」について。セックスについて。そして、初めて知った「愛」・・・。稲葉友は、「彼」について全身全霊で語る。舞台上をふらつきながらあちこち歩き、身をかがめて頭をかきむしって叫ぶ。白い顔も体も真っ赤になり、激しく汗をかいている。憑依しているかのよう。目の前に「彼」がいる。彼の語っている出来事や感情について、想像が広がっていく。「彼」はなにを考え、どんな行動をとっていたのか。「彼」とクロードの間にあった感情はなんなのか。言葉にできない感情を、もどかしく切なく激しく表現する「彼」に、とにかく惹かれた。汚い言葉の羅列。だけどその奥に、けがれのない「愛」があるのだとしたら・・・。昔の作品でゲイものというのはわりとあって、そういう意味ではこの作品は特に珍しいというわけではない。だけどあんな激しい長台詞を、それだけで魅せてしまう俳優に圧倒されたし、それを生かしたシンプルな演出も、円形劇場という空間も、すべてよかった。マッチしていた。ストーリーは単純なのだけど、とにかく台詞のディテールがすごい。聞いているとじわじわと「彼」という人物像が浮かび上がってくる。事件のあった日の行動を、刑事が執拗に聞き、何度も同じやりとりを繰り返す。何度も聞くうちに矛盾もでてきて、彼の生活が露わになっていく。「彼」の、寝て、起きて、また寝て、起きて、部屋を出て、電話をかけるために走って、広場に行って・・・などという行動。彼の言っていることが嘘か本当かわからないけれど、そういう空虚な日常を過ごす男娼が、初めて愛と絶望を知った・・・というロマンティックさがいい。「彼」がいかに空っぽで孤独だったか。「僕はフランスがどこにあるのかさえ知らなかった!」。社会と断絶された人生。「男娼っていうのは生き方なんだ!」。稲葉友の熱演は、ちょっと藤原竜也を彷彿させた。とてもエネルギッシュ。その真剣さ、純粋さに心を打たれた。

演劇実験室◎万有引力 幻想音楽劇『リア王ー月と影の遠近法ー』観劇。万有引力らしい大掛かりな舞台装置に、大音量の幻想的な音楽、そして怪しげな化粧と衣裳を身にまとって身体をくねらせる役者たち・・・。まさにそれは万有引力の世界なのだが、結構忠実に『リア王』をやっていて、面白かった。随所に入る歌や踊りがなんともいえない。役者たちの肉体表現、動きのキレ、細やかさに圧倒される。この劇団の持つ日本の前衛的な雰囲気と、シェイクスピアの言葉の融合が、独特の空気を醸し出す。役者はどの人もよかったが、特に飛永聖演じるエドマンドが怪しい魅力で、惹きつけられた。エドマンドって悪役なのだが、ものすごく色気のある男だ。エドマンドをめぐってゴネリルとリーガンが揉めるのは私の好きなシーン。いいなあ、この姉妹のドロドロした感じ!女の怖さよ。

赤堀雅秋作・演出『殺風景』観劇。シアターコクーン初進出なのに、やっていることは赤堀さんの世界そのもので、いやー、やってくれるな、という感じ。暗くてじめじめして、およそシアターコクーンの華やかな雰囲気にはそぐわない。けどそのそぐわなさがいい。シアターコクーンということでやっぱり気合が入っている。3時間のなかで、ある家族の壮絶な歴史を描く。なぜその家族が殺人事件を起こしたのか・・・ということを刑事が暴こうとするが、実はそこにはあえて「暴く」ほどのなにかはないかもしれない。そんな表層的なことじゃないのだ。

『ビッグ・フェラー』観劇。ニューヨークを舞台に、IRAというアイルランド共和軍で、イギリス支配からの解放とアイルランド統一のために闘う男たちを30年にわたって描く。素晴らしかった!本当に良い芝居を観た後の充実感に、体の隅々まで満たされた。歴史的な題材を扱いながらも、描いているのはあくまで人間ドラマ。同じ部屋を舞台に、ある年のある日を切り取り、エピソードが重ねられていく。その部屋にいるIRAメンバーのその時々の状況や変化、葛藤を描いていく。登場人物一人一人のキャラ、背景がしっかり描かれている。場が変わるごとに数年の時が流れているのだが、その転換の仕方がとてもスムーズというかクールで、さりげなくかっこよい。美術もとてもよく、この時代の不穏な雰囲気を表しながらも、どこか人間くさくて温かいような。演出家のセンスがすごい。戯曲の力もすごいが、ともすればシリアスな歴史ものになってしまいそうな芝居を、重厚でありながらもときに喜劇的でもある人間ドラマに仕立て上げた演出が見事。そしてなにより役者たちが本当にすごい。リーダーのコステロを演じた内野聖陽は、カリスマ的な存在なのだが、ものすごく人間くさい男。酒に酔っているシーンとか最高。聴衆に演説するシーンは、もう内野さんの魅力が全開。ちょっと大仰な身振りで愛嬌のある話し方。けれどもやっぱりリーダーとしての威厳もあって。そして、ルエリを演じた成河はとにかくすごい、目が離せない。なんて達者で、そしてユニークで愛嬌があって、底知れぬ魅力のある俳優なんだろう。訛りながら延々とバカ話をし続けるルエリ。おしゃべりだけど憎めない奴。ものすごい台詞量だが滑舌よく小気味よく楽しげに喋る。そんなルエリは後半、変貌していく。前半の彼の無邪気さとのギャップに、時の流れの残酷さを感じた。ルエリもコステロもほかの登場人物たちも、年月が経つに従い変化が出てくる。状況も変化するし考え方も変わる。時が経つことで否応なく変化していくということの残酷さ。それこそが歴史であり、なにかを成し遂げるには犠牲も伴う。けれど、故郷を想う気持ちだけは変わらない。同じIRAのメンバーといっても、登場人物たちはそれぞれ複雑な背景を持っており、それに従って動いている。一癖も二癖もある登場人物たちが丁々発止とやりあう様は緊張感に溢れている。だけどその台詞のやりとりが笑えたりもする。生身の人間同士が真剣に向かい合っている。俳優はほんとにその場で真剣に生きている。だから目が離せないし、その時間、空間を肌で感じることができる。とにかく豊かな芝居だった。自分の理解を超えたところにも、いくつもいくつも観るべきものがギュッとつまっているような。

スタジオライフ『トーマの心臓』Rチーム観劇。松本慎也さんのユリスモールは、今までにない繊細でエモーショナルな感じで、惹き込まれた。ただエーリク役の久保優二さんのほうが大柄なので、二人が並んだときに違和感が・・・。やっぱりエーリクは小柄な子がやったほうがいいのでは・・・。そしてオスカー役の仲原裕之さんがよかった!ちょっと不良っぽくて大人で、でも誰よりも優しいオスカー。心なしか笠原浩夫オスカーに動きなどが似ていた気がしたが、オスカーってそういう演出なのかね?いずれにせよ仲原さんの新たな魅力が発見でき、よかった。繰り返し繰り返し上演され続けている、スタジオライフの代表作。今回で8度目の上演だそう。今までいろんなユリスモールやエーリクやオスカーが登場した。それを踏まえての今回の上演。キャストが変わった新鮮さもあるけれど、この世界観はぶれない。

文学座『信じる機械』観劇。アレクシ・ケイ・キャンベルの戯曲も、広田敦郎の翻訳も、そして上村聡史の演出も、なにより俳優たちが、本当に素晴らしかった。とても示唆に富んだ台詞のやりとりが刺激的。9.11を挟んだ10年間を描く。時間は行きつ戻りつ、場所もニューヨーク、ギリシャ、ロンドンと変わり、同じ登場人物たちのその年のその場所の出来事を描く。あらゆる人種、あらゆる宗教の男女が登場するが、核となるのはトムとソフィの愛の物語。別れ、再会し、互いに理解しようとしながらも言い争いになり、気持ちは寄り添ってはまた離れる。ソフィとトムの言い合いが印象に残る。ソフィはトムが大切なものを忘れてしまったと責める。ソフィはつねに目的意識を持って生きていて、「自分のなかで正しいこと」を信じて行動している。ソフィの台詞がとても迫ってきた。「自分にとっての真実、信念がなくなってしまったら、すべてがどうでもよくなって空っぽの人生になってしまう」というような台詞。その通りだと思った。一度きりの人生なのだから自分の信念を持って生きるのは大切なことに違いない。だけどその後のトムの台詞もまたその通りだ、と思った。人生の幸せというのは、ただ起きたときに大好きな人が身近にいることなんだと。ソフィはそれを壊してしまったと。ソフィの言う「正しいこと」は、他人にとってのそれではない。ただの押しつけなのだ。愛について、世界中のさまざまな人種や宗教について考えさせられる。なぜ戦争やテロといった痛ましい事件が起きてしまうのか。この世界はこのままではどんどん荒廃してしまうのではないか。人間が人間でなくなってしまったら。今の日本だってそうだ。とても怖いことだ。人が心を失ってしまったら、本当に世界の未来はやばいかもしれない。だけどこの芝居には希望がある。人間には「信じる」ことができると、最後に示してくれる。

ゴキブリコンビナート『毛穴からニュートリノ』観劇。タイニィアリスの狭い空間を4つに分け、その4つのエリアで同時並行的に進行するエピソードを、観客が移動しながら観劇するスタイル。中に入ると真っ暗な迷路で、狭い通路を屈みながら進む。迷路の先に黒幕があって、屈みながらそこをくぐると役者たちが芝居をやっているのが見えるのだが、そこまで行くのに小さな梯子を降りなきゃいけなかったりして、かなり危ない。太った人は無理だろう。4つのエピソードは全部繋がっている。1つのエピソードがだいたい15分くらいか。しかし、全部のエリアを最初から最後まで観たからといって、ストーリーがわかる・・・というわけではまったくないというのがゴキコンの深いところだ。4つのエリアでは音楽やきっかけを合わせていて、役者はほかのエリアの様子を見聞きしながら演技する。一つの音楽に4つの歌詞が同時にかぶさる。それぞれ大掛かりな仕掛けが施された4つのエリアを中心に劇場全体を作り込んでいる。4つのエリアには役者が通り抜けられる通路もあって、あるエリアに出ていた役者が今度はこっちのエリアに同じ役で出てたりもする。ここまでの仕組みを思いつき、それを実現する・・・ということの大変さ。それをやり切って、とことんお客さんを楽しませてくれるサービス精神。ゴキコンを観るたびいつも思うのは、「なぜこの人たちはここまでできるのだろう?」ということ。その底知れないエネルギーに、ただただ感激する。マジで、ゴキコンのやってることってあり得ないほど凄すぎるわ。こんなスリルを味わわせてくれるのはゴキコンだけだ。役者たちは身体を張って負荷をかけてそれこそ命がけでやっている。だから、観る人もある意味命がけで、喜んで過酷な体験をしているのだ。ゴキコンの役者たちと観客との関係性がいい。生ぬるい感情とか一切ない。つねに真剣勝負なのだ。

5月の観劇本数は12本。
観た芝居すべてが面白かったという、珍しい月だった。
『ロンサム・ウェスト』、『クロードと一緒に』、『ビッグ・フェラー』、『信じる機械』と、良質な翻訳劇を観られたのも良かった。良質な翻訳劇は古典でも現代劇でも、観ると得られるものがすごく多いし、世界で起こっている事象について考えることができる。
そして日本の小劇場界の最前線ともいえるゴキブリコンビナート。今回もいつにもましてやばかった。
充実した月であった。