4月に観た舞台

新国立劇場で、オペラ『ヴォツェック』観劇。宙に浮かぶ部屋、水が溢れる舞台・・・。舞台装置のダイナミックさが印象的。脇役のキャラの造形が濃すぎて怖いくらい。子役が重要な役どころ。ストーリーは暗い感じなのでインパクトはないが、じわじわと嫌な感じ。貧困にあえぐ男女。子供が生まれても洗礼させられないくらい貧しい。救いのない現実から逃れるかのように、男は幻覚を見、女はほかの男のもとへ走る。女のほうが現実的、ということか。貧しさが人間性をも失わせ、狂気から殺人にいたってしまうという、なんとも救いのない話。

一見劇団『森の石松 閻魔堂の最期』観劇。大衆演劇初体験。面白かった!最初の舞踊ショーからもう心を持っていかれた。座長の一見好太郎がキレイすぎ。所作はもちろん、流し目 とか微笑みとか、すべてがキレイ。指の先まで神経を遣っている。翔太郎も美しい。顔も美しいが白雪姫の踊りが美しい!芝居も実に面白かった。森の石松の「寿司食いネェ」からはじまり、閻魔堂での最期の場面まで。ラストは凄まじい。死んでも死にきれない、切られてもなかなか死なない。そしてゆっくり訪れる死は、もう「やってくれたな!」と叫びたくなるくらい、感動的で爽快だった。

シベリア少女鉄道『あのっ、先輩…ちょっとお話が……ダメ!だってこんなのって…迷惑ですよね?』観劇。面白かったー!途中からぞくぞくしてきました。今回はなにかのネタを知らないと楽しめない、という類のものではないけど、たぶんシベ少ファンの人だともっと楽しめるかな。もちろん今日が初日なので、なにも言いませんよ!っていうか、シベ少はやはり初日に観るに限りますね。
さて、もう公演が終わったから言います。途中からこのタイトルの意味がわかるのが、すごく興味深い。前説で土屋さんが出てきて、今回は出演しないけどいつもシベ少に出演している俳優3人がたまたま今日観に来ているから呼びましょう、と言い、3人が出てくる。軽く話した後、本編へ。この前説、なにかあるな、とは思ったけど、案の定そうだった。芝居はある高校を舞台にしたもの。なかなかクラスの生徒たちをまとめられずに悩んでいる新人女性教師、彼女を応援する元彼の体育教師、そして彼女と半同棲している今彼、という大人の三角関係が描かれている。そして、その新人女性教師が受け持つクラスの生徒たちの日常。怪我によりインターハイ目前で陸上を諦めてしまった男子生徒。彼にひそかに想いを寄せる女子生徒。彼女を応援するクラスメイト。そしていつも授業に遅刻して新人女性教師を悩ませている不良っぽい女子生徒。などなど、様々な人間模様が描かれる。その芝居だけでも結構見応えがある。そして後半になると、そこに前説に現れた「先輩」3人が出てくる。最初は空気のような存在として。次第に彼らは自己主張しはじめる。「芝居に出たい、出たい」と。登場人物の発する台詞と、「先輩」たちの動きが呼応していく様は、土屋さんの真骨頂。最後には、芝居に出たいあまりに先輩たちは巨大な存在となり、登場人物の前に立ちはだかる。彼らは先輩たちを打ち倒すことができるのか!?あるいは先輩はやっぱり先輩の意地を見せるのか!?乞うご期待!といったような内容。役者をこのように使うとは。土屋さんの芝居はいつも、なんか芝居の原点に立ち返ったかのような感じがする。簡単な手法のようで、実は誰にも思いつかないやり方で、「芝居」という構造を軽々と覆してみせる。パズルをはめるように綿密に計算し、整合性を持たせる。その構成力にはただただ感心してしまうが、しかしなにより重視されているのは「笑い」。とにかく笑えればオッケー、というおおらかさが、シベリア少女鉄道の魅力である。

Q『迷迷Q』観劇。食、排泄、交尾、生理、そして妊娠、出産・・・。究極的には、人間ってこれだけしかないのね。。。前半は叩きつけるような汚い言葉の羅列。なのに、なんか そこに人間の本性の深い深いものが、一瞬美しいとすら感じてしまうものがあると感じた。人間の動物性、その凶暴さ。何物にも替え難いパワー。前半はとにかく身体で魅せる感じ。身体を揺さぶり続け、ハイヒールで不安定に立ち続ける。そして生殖や交尾、排泄についての長台詞。こういうの、苦手な人もいるだろうけど、ここまでやってくれると逆に爽快。なんだか直接肌にふれられているかのような、ざわざわする感じ。女性ならでは、という言葉は使いたくないけれど、やっぱり女性が作った芝居だと感じた。特に生理や妊娠のくだり。生理がはじまり、交尾して、妊娠する。人が人を産むって、ほんと動物的な行為だなと思う。そして犬との獣姦というモチーフは、ここ最近のQの十八番。今回もいい感じだった。それにしても演じている女優(特に吉田聡子)はすごいな・・・。お尻を突き出して、ウ○コとかの台詞を連発。可愛い女優たちがそんな演技をしてる姿って、かなり恥ずかしい、見てはいけないものを見てしまったかのような光景。しかし、それを堂々とやっていることの凄みを感じた。とにかく、非常にプリミティブな、破壊的ですらある前半に、心をぐっとつかまれる。ここまで恥ずかしいことを書ける若い作家ってほかにいる?と。しかし後半になると、また別の展開に。映像などのスタイリッシュな演出を駆使し、Facebookなどが出てきて、一気に現代的な感じに。この後半の展開は、今後のQの方向性を現しているのかな。そうでもないのかな。ともかく、市原佐都子はきっとさらなる進化を繰り返すはず。その変遷を見てみたい。

範宙遊泳『うまれてないからまだしねない』観劇。山本卓卓のひとつの到達点だと感じた。映像を使った演出はさらに研ぎ澄まされている。役者はどの人も素晴らしいし、ストーリーも面白いし、テーマは心に突き刺さる。けれど、使われている言葉はやはりキレイな言葉なのだ。だからあくまでフィクションなんだと思ってしまった。観ている間は心が揺さぶられるんだけど、終わった後でもずっと引きずるようなものはないというか。こう、心をわしづかみにされるようなものがないと感じた。キレイすぎる感じ。

4月の観劇本数はなんと5本。あまりの少なさに驚愕してしまうが、それでもその5本とも全部面白かった。自分のなかで、自分が今観たいもの、確実に楽しめるものを選んでいるのだと思う。それに、オペラや大衆演劇など、普段は縁のないものも観ることができた。小劇場の芝居だけでなく、様々な方向に興味が向いてきたともいえる。また、ここには挙げていないが、高円寺びっくり大道芸に二日連続で行き、大道芸人たちの様々なパフォーマンスに触れたことも、とてもよい経験になった。