3月に観た舞台

ニッポンの河川『大きなものを破壊命令』観劇。私は初演も観ているのだが、中林舞と峯村リエが見たかったので行った。中林舞の目ヂカラ、というか顔ヂカラはやっぱりすごい。澤田育子を彷彿させる。複数のエピソードが矢継ぎ早に繰り出されるのでちょっとついていけなくなったりも(初演観てるのに)。舞台上にいる役者が、腰にスピーカー(タッパーに綿をつめたもの)を巻き、手にはテープレコーダーを持ち、いちいちカセットテープを入れ替えて音楽を流す。舞台上にはたくさんのスイッチがあり、役者たちが足でそれらを押すと、暗転したり明転するだけでなく、さまざまな色の照明が。アフタートークで出演者たちが舞台裏のことを話していたのだけど、その内容に驚愕。すごすぎるよこの人たち。客として見ているだけだとほとんどわからないけれど、裏でものすごい労力がかかっている。芝居をしながら無数のきっかけをこなす、という大変さ。スイッチをわずかに踏み間違えただけで暗転してしまうとか、テープの頭出しを毎回やるとか。4人の役者がものすごく細かいことに神経を張り巡らせながら作り上げた舞台。なんかそれだけで感動してしまう。先月アル☆カンパニーを観たときにも思ったのだが、本当にこの人たちはなぜここまでやるのだろうか。芝居に命をかけている。というか、気違い沙汰じゃないか。これはだから役者によって成り立っている舞台だが、もちろん福原さんによる脚本・演出もいい。話が複雑に交錯し、役者も次々役が変わり、突飛な展開になったりする。ラストで一瞬すっとまとまったときの、佐藤真弓さんの台詞がものすごく染みる。あのラストシーンはほんとにいい。

サンプル『シフト』観劇。2007年に初演されたものの再演。私は初演も観ている。今のサンプルは物語性から脱却しているが、このころはまだ物語性が強かった。舞台美術、役者の演技は見応えあり。ストーリーがあるため、最近の作品よりも見やすい印象を受けるが、随所に変態性や笑えるところも。

青年団若手自主企画VOL.60河村企画『スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア』観劇。笑いながら観ているうちにゾッとしてくる。集団が持つ狂気。ある一人のリーダーが言いだしたことに皆が影響され、おかしな方向に行ってしまう。さらにおかしな教師に惑わされ、皆の価値観が揺らいでいくこうやって誰かが言ったことに惑わされ、踊らされる・・・というのは、今の日本社会に当てはまることだと思う。過熱した報道に、国民は「そうだそうだ」と同じ方向を向いてしまう。その恐ろしさ。たとえば戦争とかになってもそんな人ばかりだったら、それこそ大変なことになるだろう。芝居を観ていて、たとえばいじめとかもこういう集団心理のもとで起きるものなのではと思った。ある一人のリーダー的な存在が、「今日からこいつをいじめる」と宣言し、皆もなんとなくその気になっていじめはじめる。ところが、ある日突然リーダーが「今日からはこいつじゃなく、こいつをターゲットにしよう」と言いだすと、皆同調して、ターゲットにされることになった別の人物をいじめはじめる……。『スマコミュ』にはそういう集団ヒステリーの危うさ、狂気を感じさせ、恐ろしくなった。本来は間違った方向へ行っている生徒たちを抑えるはずの教師がさらに輪をかけておかしくて、「心をなくせば隙間もなくなる」などと言いだし、生徒は皆「その通りだ」と同調し、心をなくそうとする。ほんとに心をなくしたらどうなるか。人間が「心をなくす」ということ、それはどういう状態なのだろうか。廃人状態?自分で考えることをやめ、ただ誰かが言ってることに従う?心をなくせば隙間がなくなり感情に動かされることがなくなる。私自身、感情に動かされるのはこりごりと思っているけど、感情に動かされることこそが人間なんだろう。生徒が暴走するなか、担任の先生すらおかしかったら、ほんとに救いようがない。けれどこの作品は、笑いを交えて描いているから、そこまで深刻な感じはしなかったのが救い。

新国立劇場で、オペラ『死の都』鑑賞。のっけから舞台美術のすごさに圧倒される。後半さらに大仕掛けあり。3幕の演出が特に素晴らしい。照明の当て方もきれい。それだけで見応えがあったが、キャストが、ことにマリエッタ役のミーガン・ミラーの素晴らしいことといったら!物語も面白い。キャラクター性が強く、非常にわかりやすい構造。音楽もロマンティック。マリエッタは、陽気で傲慢で美しくて情熱的。『生』そのものの、とても魅力的な女性だ。2幕目の、マリエッタがパウルを誘惑するシーンに興奮。そうか、男を誘惑するときはこういう言葉を使うのか・・・とか思った。生そのもののマリエッタとは対照的に、死の世界に浸っているパウル。マリエッタが語る現実的な台詞はなにも間違ってない。それなのに後半になるほどマリエッタの言葉が暴力的に突き刺さってくる。現実ってときには目を背けたいものだよな・・・。それを指摘されるのはきつい。。。ラストシーンは切ない。死の世界から現実の世界へ。それが生きて行く上では正しいことなんだけど、置き去りにされた死の部屋が痛ましい。セットがすごくて、部屋にある亡き妻の遺品のひとつひとつが凝っている。死の部屋が美しく幻想的なので、ラストは余計に痛ましく感じてしまう。

On7『痒み』観劇。女優7人による演劇ユニット。作・演出がOMS戯曲賞大賞を受賞したこともあるサリngROCKさん。同世代の女8人で紡ぐ「女」という名の人間の物語、というチラシの文句に惹かれて観に行ったが、女ならではというよりも、普通に人間の生きづらさを描いた真面目な芝居だった。正直、女だけでやるということで、もっと生々しいものが観られるかなと期待していたのだが、そうでもなかった。出ている女優が、青年座文学座俳優座演劇集団円テアトル・エコー所属という、揃いも揃って新劇系。それだけに演技はきっちりとしているけれども面白味がない。アフタートークを聞いていると、皆仲良くやっているみたいで、なんとなくその光景が想像できてしまった。つまらなくはないけれどもぬるい。せっかく女だけでやろうとしてるんだから、こんなに普通のことやらなくてもいいのになあ、とか思った。サリngROCKさんの芝居を観たのは初めて。名前がアレだからもっとフザけた脚本を書くのかと思っていたら(失礼!)ものすごく真面目なオーソドックスな戯曲だった。アフタートークでも真面目で自意識が高そうな感じがした。

鳥公園『緑子の部屋』観劇。緑子の友人、緑子の元恋人、緑子の兄の3人が集まり、それぞれのなかの緑子のことを話す。なにがほんとうなのかはわからない。 わかってくるのは、緑子という存在の不気味さ。緑子は自意識過剰でエキセントリックで虚言癖があり、女性特有のドロドロしたものを抱えている。3人はゆるゆると役を替わりながら演じ続け、緑子の部屋だった場所が、時間も空間も超えてさまざまな場所になる。緑子と男の部屋だったり、餃子をつくる工 場だったり。今回は気持ち悪さが薄れたと思ったが、やはりそれは健在。つくられる餃子の気持ち悪さが鳥公園の持つ気持ち悪さだ。そうしたねばっとした気持ち悪さを匂わせながら、凝った映像を見せたり、音を響かせたりなどの手法を使って、スタイリッシュな芝居であるかのように錯覚させる。そういえば鳥公園は、横浜でやった公演で、かなり実験的なことにチャレンジしていた。そういう新しい手法にも挑んでいるのだと思う。けれど鳥公園の芝居は、少なくとも私のなかでは、生々しい感覚を思い起こさせるものだ。言葉にはならない感覚。ゾワゾワするような肌触り。もしかしたら自分が過去に体験したかもしれないものを、フワフワとした形で突きつけられているような。そんな曖昧な気持ち悪さがある。しかし、観る人によっては、「気持ち悪い」という感じはしないのかも。私がずっと鳥公園を観続けてきて、その流れのなかで思っていることなのかも。チラシに書いてある劇団の紹介文を読んでそう思った。「間抜けでチャーミング」だと書いてある。確かにそうともとれる。鳥公園は、初期のころは乞局の影響を如実に感じたけれど、もうほんとに独自の世界を確立している。今回の作品は、鳥公園が持っている独自の世界観を、他者にもわかるようなイメージで表現している。それはここにきてほぼ完全に世界観が確立し、さらに作り方が巧みになったということなのかも。

遊園地再生事業団プロデュース『ヒネミの商人』観劇。人と人が話している内容がどこかちぐはぐで、しかし当人はそれに気付かずにちぐはぐなまま会話を続けるので、どんどん歪んだ方向へいってしまう。空間がぐにゃりとねじまがったまま最後までいき、なんとも気持ち悪い感じ。その気持ち悪い感じが絶妙で、なぜか心地良くすら感じる。役者はどの人もよかったが、特にノゾエ征爾がよかった。異邦人という独特の存在感を醸し出し、かつユニーク。笑いを誘う滑稽さ。それでいて哀切を感じさせる。素晴らしい。

3月の観劇本数は7本。
河村企画『スマートコミュニティアンドメンタルヘルスケア』、鳥公園『緑子の部屋』が特によかった。