9月に観た舞台

柿喰う客 女体シェイクスピア『失禁リア王』観劇。ミュージカル仕立てで新鮮だし観やすい。華やかな女優たちが歌って踊る姿は圧巻。皆、歌がうまい。そして色っぽい。道化?役の新良エツ子は・・・もう犯罪的なエロっぽさ。しかも歌もダントツでうまい。ゴネリル役の内田亜希子も、きれいで迫力あり。

文学座9月アトリエの会『熱帯のアンナ』観劇。1929年のフロリダが舞台。『アンナ・カレーニナ』をモチーフにして物語が展開する。男女のドロドロの関係が興味深く、文学座にしては珍しい官能的なシーンもあり、ドキッとした。レクター(朗読者)役の星智也がすごい存在感。声がすごくいい。

蜷川幸雄演出『ヴェニスの商人』観劇。オールメール最新作。シャイロック役の市川猿之助、やっぱり頭抜けて華がある。風貌もいかにも悪役という感じなのに、あのオーラはなんなんだ。ポーシャ役の中村倫也も素晴らしかった。可愛らしく、賢く、人間味に溢れたポーシャ。演出はわりとオーソドックスか。

葛河思潮社『冒した者』観劇。1952年に三好十郎によって書かれた戯曲を長塚圭史が演出。これは素晴らしかった。戦後を生きる人間たちの混沌とした精神。「戦争」というものは人間を徹底的に変えてしまう。けど、どんなに世界が、自分が損なわれようと、人は生きていかねばならない・・・。原子爆弾投下というのは、人間が冒してはならない領域、神の領域だった。だが、それを冒してしまっても、人間はなおも生き続けねばならない。原発事故を経て、どうしようもない状況になった日本。それでも人は生きねばならない・・・。なぜ世の中はこんなふうなのか。なぜ生きるのか・・・。戦後、いろいろ複雑だけれども表面的には穏やかに暮らしていた人々。だが、松田龍平演じる須永が訪れたことで、人々の精神はタガが外れてしまい、日常は崩壊する。なにが正常で、なにが狂っているのか、なにもわからない。なにもかもわからない世の中で、それでも生きていかねばならない。とにかく役者がどの人も素晴らしい。熱演。ほとんどなにもない舞台の上で、役者たちが奮闘する。ものすごくそれが伝わって来て、観ているこちらも手に汗を握ってしまう。緊迫感。須永を演じた松田龍平、飄々としたなかに狂気と諦念を含ませた演技がすごい。声のトーンがなんともいえずいい。

芸劇eyes番外編・第2弾『God Save the Queen』観劇。うさぎストライプ、タカハ劇団、鳥公園、ワワフラミンゴ、Q、という、若手女性作・演出家が率いる5つの劇団のショーケース。いわゆる「女性ならでは」の作風ではない、自己批評魂を内に秘めている女性たちの作品。5つの劇団はすべて、以前観たことがあり、どんな感じの作品かということはわかっていた。それぞれ面白かったが、20分という短い時間でその世界観を表現するのはやっぱり難しい。小粒というか、『20年安泰。』のバナナ学園のような破壊力はなかった。だけど、Qを観て、やっぱりここにすごく可能性を感じた。ここ、というのは、「若い」とか「女性」ということもあるけれど、表現が新鮮で自由だ、ということ。Qはとにかく、情報量が多い。映像とかも駆使しながら、役者の身体と言葉を通し、伝えている。その伝えているものがなんなのか、はっきりと言葉にはできないのだけれど、それでも確かに伝わっている、と感じる。なんか漠然とした違和感、のようなもの。Qの次に面白かったのは、鳥公園。なんだか独特の生々しいドロッとした感じがよく出ていた。性的なことをジメっと伝える。Qも性的なことを伝えていたが、それとは随分違う表現方法。Qがポップだとしたら、鳥公園はシリアス?なのか?タカハ劇団も面白かった。今回の座組では珍しく、男性2人の芝居。ストーリー展開や台詞回しの巧みさを感じる。うさぎストライプは、可もなく不可もなくといった感じ。ワワフラミンゴは独自の世界観を打ち出し面白く可愛い。だけどそんなに好きじゃない。

劇団、本谷有希子番外公演『ぬるい毒』観劇。本谷さんの小説『ぬるい毒』を、『桐島、部活やめるってよ』の吉田大八監督が演出。うーん、やっぱり本谷さんの小説をほかの人が演出するのって難しいんだな。テキストに支配されすぎてる感じ。舞台ならではの良さがでていなかった。演出も役者もいまいち。

劇団チョコレートケーキ『起て、飢えたる者よ』観劇。劇団初見。「社会派だけど人間をきちんと描いたドラマを見せる」と評判の劇団。確かにその通りだった。連合赤軍の話。山で「総括」の名のもとに12人もの同志を殺した彼ら。山を越えてから逮捕された者がいて、残ったのは5人だけだった。5人の男は侵入した家に住む女をオルグする。女は最初は怯えていたのに、男たちが「総括」し合うのを目の当たりにし、いつしか女もまた「同志」になり、次第に永山寛子のような支配的な狂気を帯びていく・・・。突如豹変して男を激しく追い詰める渋谷はるかの演技がすごい。

二兎社『兄帰る』観劇。夫婦のところにいろんな人がやってくる会話劇。最後に兄の人格が急変するとこは面白かったがあとはなにが面白いのかわからず…退屈だった。

ヨーロッパ企画『建てましにつぐ建てましポルカ』観劇。「迷路コメディ」。迷路のような複雑なお城のなかで迷ってしまう貴族と従者。そこにいろんな人が絡んでくる。その会話のやりとりがやはり面白い。最後は道化、物乞い、法衣の男、法衣の女、怪物まで出てきて、ドタバタ劇に。面白かったー。

KUDAN Project真夜中の弥次さん喜多さん』観劇。弥次さんと喜多さんは、どこかわからない宿に泊まっている。お伊勢参りに行くはずだったが、雨が降り続いており、足止めをくって何日も経ってしまった。二人で部屋にいるうちに、次第にここがどこなのか、今がいつなのかわからなくなっていき、旅に出たことすら忘れてしまう。夢なのか現実なのか幻覚なのかよくわからないモヤッとした時間がループする。同じシーン、同じ台詞が何度も繰り返されるのだが、繰り返されるごとに微妙に変わっている。それがますます時間と空間を曖昧にする。あるはずのものがなかったり、目には見えないものが存在していたり。舞台全面に被さる映像と演劇的仕掛けが駆使され、観ているほうも夢か現かわからない世界を彷徨うことになる。最後には二人はなにもわからなくなって、「おめぇがおれで、おれがおめぇで」という状態になり、溶け合って実際に手と手がくっついて離れなくなってしまう。長い手をくっつけながら舞台を回る二人。泣きそうになりながらそのシーンを観た。二人っきりでこの世にいることの孤独。二人でいるということの孤独を畏れ、いっそ相手と溶け合ってしまいたいという激しく切ない想いに駆られる。けれど、溶け合ってしまうということは自分という存在が消えてしまうということだ。だからその想いは病的なものだ。にも関わらずそれは甘美で、惹きこまれる。毒だとわかっているのに吸い寄せられるようにそちらへ行ってしまう。この舞台はそんな危険で誘惑的な死の匂いを孕んでいる。けれど、舞台上の役者二人は、生きて動いている。何度死んでもまた振り出しに戻るし、同じシーンを繰り返すうちに役者の体は汗だくになる。そして、舞台が終われば、弥次さんと喜多さんではなく、寺十吾と小熊ヒデジとしてカーテンコールに登場するのだ。

9月の観劇本数は10本。
ベストワンは葛河思潮社『冒した者』。