8月に観た舞台

カタルシツ『地下室の手記』観劇。ドストエフスキーの『地下室の手記』の現代版?40歳で無職で彼女なしで引きこもりの男が主人公。男は世間に対してさんざん毒を吐いたり、自分のどうしようもない痛い過去を語ったりしながら、それをニコ生に配信。それを見ている人たちからのコメントが映写される。出ずっぱりで毒を吐き続ける安井順平がとにかくすごいと思った。安井さんはもともと好きな俳優だったが、ますます好きになった。痛いところも好き。観ていてこの主人公にすごく共感。そうそう、そうなんだよ!とか思った。爽快だった。・・・だがそれって人としてかなりやばいということw男が延々毒を吐いたり痛い過去をさらけ出したりする芝居なので、重い気持ちになるかといえば、そうでもない。ニコ生という背景があるためか、男の姿を客観的に捉えることができ、男の存在が悲劇的にも喜劇的にも見える瞬間がある。この男の考え方はちょっと中島義道にも似てるかも。とにかく他者と関わらずに一人で生きていける方法を探す・・・と。なにも求めない。「人生を降りる」的な。だから観ていて爽快感だったり共感を覚えたのかもしれない。でも男に共感しそうになる自分を押し止めるもう一人の自分がいた。上手に人生を渡っているな・・・と思わせる人っているよね。たとえば、社交的で友達が多く、仕事も充足、お金に不自由したこともなく、趣味もたくさんあって人生を楽しみ、老後は孫に囲まれる・・・とか。男はそれを「安っぽい幸福」と言うが、実はそれを羨み、ねたみ、ひがんでいる。男はそういう妬みやひがみによって自分の人生を台無しにしてしまったと感じている。確かにそうで、人生は捉え方次第。ネガティブに捉えていては楽しい人生を送ることはできない。男に同情し、男に共感した自分に絶望。だがニコ生を見た人たちからのコメントがなんだか温かく、励まされた。励まされた、というのはちょっと違うか。ただほんとにこの世にはいろんな人がいて、自分だけ不幸せだとか思うのはちょっと違うのかなと。自分より不幸せな人を探して安心したり、逆に幸せな人を見ては妬んだり・・・ということじゃなく、自分は自分。まあそう思うのはなかなか難しいけどね。私自身がかなりネガティブ思考な人間。それを直したいとも特に思っていないから、厄介。この男みたいに、私も、別に幸せにならなくてもいい、人生に楽しさとか求めてないし、そこそこ平穏に生きられれば十分、友達がいなくても別に困らない。とか思うこともあるけど、次の瞬間には寂しくなっている。まあ、同じ人生なら、楽しく生きたほうがいいよね。なるべく楽しいことを考えたり、自分が楽しいと思えることをやったり。別に辛い思いをしたりなんかの修行をするためにこの世に生まれてきたわけじゃないんだ。楽しんだっていいんだ。楽しめる環境にあるのにそれを拒絶するのはなぜか?プライドか。

てがみ座『空のハモニカ』観劇。しみじみ面白かった。童謡詩人「みすゞ」の魂を秘めながら生きた金子テル。「みすゞ」として生きたのはわずかな間で、実際のテルは結婚したことで親に勘当される。女癖が悪く金もない夫には頼れず、事実上一人で子育てして生計を立て、あげく身体を悪くしてしまう。テルが「みすゞ」だったころ、そして現在のテルが何度も対比される。「みすゞ」は若く純粋で、溢れんばかりの才能と可能性を秘めている。だが現実にはテルは結婚して出産することでその才能を開花させるにはいたらなかった。しかしテルはそれを受け入れ、娘がなにより大切だと言いきる。テルを演じた石村みかが素晴らしい。石村は実際に女児の母だという。こんな細い身体で・・・?と思ってしまう。こんな細い腕で赤ん坊を抱けるのか。そう思ってしまうくらい華奢で、「母親」というどっしりした感じがない。「女」という感じでもなく、すべてを超越して高いところにいるような。そんな石村のたたずまいは、テルに通じるものがある。純粋で、他人をすべて受け入れる。一見華奢だが、包容力がある。それでいて詩人としての才能──世の中のモノをもっとよく見よう、まっさらなまま見よう、それを伝えよう、という純粋な想い──を持っている。

マームとジプシー『cocoon』観劇。凄まじかった。舞台の濃度が半端ない。一気に観客を引き込み、最後まで離さない。少女たちのごくありふれた可愛らしい日常の風景が、戦争によって一変してしまう恐怖と絶望。「死」に対して麻痺してしまった少女たち。それでも生きていこうとする意志・・・。観ていて心が潰れそうになった。辛いのだけれど、少女たちの叫びから目を離せない。こんな状態になってまで「生きる」ことになんの意味があるのか、と問いながらも、「想像力」でもって現実に対峙し、生きていこうとする少女。この「少女性」の絶対的な神聖さは・・・。どの一瞬を切り取っても完璧なんじゃないかと思うくらい緻密で、無駄なものはなにひとつなく、すべてが一つの方向を向いている、奇跡のような作品。藤田さんは、そして役者たちは、一体どこまで伸びていくのだろう・・・。空恐ろしくなった・・・。今日マチ子のマンガが原作なのだけど、舞台は完全にマンガを超えていた・・・。原作を土台に、自由に、だけど核である物語には忠実に枝葉をつけ、その世界観を膨らませた。原作には描かれなかったエピソードをどんどん入れこみ、物語/世界/テーマをより強固なものにした。原作ありきだけど、原作以上にその世界を描くことに成功していた。

とくお組『砂漠の町のレイルボーイズ』観劇。列車が止まらない駅を舞台に駅員たちの日常を描いたシチュエーションコメディ。それ以上でも以下でもない。すごく笑えるわけでもないし、すごいオチがあるわけでもない。なにかテーマがあるわけでもない。かなり物足りない感じ。終わり方もキレが悪い。

ゴキブリコンビナート『こんにちは赤ちゃん』行ってきた。かなり過酷。当たり前だが受け身の姿勢ではいられない。いろいろ動かなきゃいけないので、体調がいいときに。前回のお化け屋敷よりもハードル高かった。危険がいっぱい。初日だから余計にタイヘンなことになってました。面白かったけどね。

チェルフィッチュ『女優の魂』観劇。私は初演も観ているが、ゴールデン街劇場でやるというのに興味を持った。あの小さい空間でどんな世界が・・・?観てよかった。佐々木幸子がやっぱり素敵。うまい。あの空間の掴み方はすごいと思う。「殺された女優」が、芸術論を語る芝居。語られる芸術論も興味深い。

東葛スポーツ『ゴッド★スピード#ユー!』観劇。東葛スポーツは、3月に吾妻橋DXで観て、気になっていた。そのときはラップに乗せて台詞を言って小劇場界をディスる、という感じで、そのディスる内容が強烈で、MCが佐々木幸子と松村翔子だったのも効果的でよかった。本公演を観るのは初めてだったのだが、今回はいつもとはちょっと違ったようだ。確かに、吾妻橋で観たときのようなある意味どぎつい感じは薄れていたけど、面白かった。元ネタとなっている映画や落語やテレビ番組のワンシーンが映像で流れる。いろんなものをリミックスしてできているよう。

あうるすぽっとプロデュース『鑑賞者』観劇。小野寺修二によるろうの子供たちのワークショップをきっかけに出発した作品で、2人のろうの方が出演している。お客さんにもろうの方がたくさんいた。舞台として面白いかはともかく、プロジェクトが結実した舞台、と考えるとかけがえのないものなんだと思う。

8月の観劇本数は8本。
ベストワンはマームとジプシー『cocoon』。