─宮沢賢治/夢の島から─

F/T11オープニング委嘱作品
宮沢賢治夢の島から─

『わたくしという現象』(宮沢賢治春と修羅・序』より)構成・演出◇ロメオ・カステルッチ 出演◇エキストラたち、飴屋法水、小山田米呂
『じめん』構成・演出◇飴屋法水 出演◇ロメオ・カステルッチ、飴屋法水、小山田米呂、ブリジッド・コナー、村田麗薫、新川美鈴/関口旬子/小峰星花/村山竜規/徳永和奏/木間衣里(さくら町子どもガムラン)、松村空弥、くるみ
9/16・17◎都立夢の島公園内 多目的コロシアム

<作品概要>(公式サイトより)
F/Tの常連アーティスト、飴屋法水とロメオ・カステルッチがついに初のダブルビル上演に挑む。宮澤賢治のテキストから自由に発想し、それぞれ新作を発表。二つの才能が宮沢賢治の世界を媒介に響きあう瞬間を、1000人もの観客が野外で同時に体験する、堂々のフェスティバル/トーキョー11オープニング作品。
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フェスティバル/トーキョー11のオープニング作品。今年は東京芸術劇場が改修中で使えないが、この公演をはじめ、野外での公演を積極的にプログラムに取り入れている。本作は飴屋法水とロメオ・カステルッチのダブルビル上演で、互いの作品に互いが出演するという面白い趣向。
やっぱりこのロケーションが最高。野外公演ということを最大限に生かしたダイナミックな演出が素晴らしい。描いている内容は重かったが、野外という開放感があり、それほど重さは感じなかった。

以下、ネタばれあり。明日観る方は読まないでください。



夢の島公園には初めて行ったけれど、なにもない原っぱのような広場を樹木が囲んでいる。ここに、樹木を照らす照明が入り、人の心を揺さぶる不穏な音が鳴り響いている。
始まる前から、ワクワクさせる感じ。
入場は整理番号に関係なく来た順に並ばされる。すごい人出だったので、列も長くなっていた。中に入ると白い大きな旗を渡される。これがシートになるようだ。
会場となっている場所の真ん中に、たくさんの白い小さな椅子が並べられている。白い旗を持った観客が、その周りをぐるぐる回る。まるでカルト宗教の儀式のようだ。スタッフの誘導のもと、4列になり、前の人からシートを敷いて座っていく。
最初はカステルッチの作品。椅子が一つ倒れ二つ倒れ、少しずつ少しずつ、ドミノのようにザーッと倒れ、後退していく。奥から白い衣裳をまとった人々が登場する。やはり転がりながらスーッと波のように動く。当然、津波を連想し、そこから3・11を連想した人は多いと思う。だけどそれだけじゃなく、単純にこの目の前で起きていることから目が離せなかった。奥の樹木に照明が当たり、スモークがたかれる。大音響が響き渡る。これはなんなんだ?意味とか、もはやどうでもいい。ふと、「芸術は爆発だ」という言葉が頭をよぎる。いつしか観客も立たされ、旗を振る。旗を振っている自分が、作品に参加しているようであり、面白い。カステルッチの作品が終わると、20分間の転換休憩。その間、ほかの観客はシートに寝そべったりしていた。
そして飴屋さんの作品では、この夢の島という場所がかつて海だったこと、ゴミの埋葬地となったことが語られる。出演者の一人であるカステルッチにイタリアでの埋葬の仕方を聞いたり、ポーランド出身のマリーという女のナレーションが入ったり、飴屋さんのナレーションが入ったりして、重層的に「記憶」というものが語られる。そして「日本」もまた「夢の島」であり、いつかなくなってしまう、と。「なぜなら、それは夢だったからです」──。「夢」とはなんなんだ。夢はいつかなくなっても、記憶は残る。忘れられてしまっても、人々の記憶はどこかにこびりついている。空や木々や地面に。
空を見上げると、星が見える。周りには木々がある。空気はきれいだ。虫が飛んでいる。この圧倒的なまでの自然。この広大な空間のなかで行われているものは、なんなんだ。演劇とか、芸術とか、いう以前に、「自然」を感じた。そのためのこの作品だったのでは、という気がした。