DULL-COLORED POP『Caesiumberry Jam』

DULL-COLORED POP第10回&活動再開記念公演『Caesiumberry Jam』

作・演出◇谷賢一(DULL-COLORED POP) 出演◇東谷英人 大原研二 塚越健一 中村梨那 堀奈津美 若林えり(以上、DULL-COLORED POP) 石丸さち子 井上裕朗 加藤素子 佐賀モトキ 芝原弘 田中のり子 細谷貴宏 百花亜希 守美樹 吉永輪太郎
8/20〜28◎池袋シアターグリーンBOX inbox

<作品概要>(公式サイトより)
四谷にある雑々たる仕事部屋で、カメラマンは思い出していた。
十年前、あの渇いた大地、打ち捨てられた寒村、そこに住む人々との思い出。
一つ一つ、噛み含めるように、あの土地での記憶を掘り起こしていく。1991年、1993年、1994年、1995年、そして1986年。あの土地で何が起こったのか?
人類史に深く刻まれたあの大事故を、綿密な取材に基づきオリジナル・ストーリーとして著した初演版から約4年。劇団躍進の契機となった野心作を新アレンジで再録した待望の再演。劇団活動再開記念&第10回記念公演として、2011年の今、上演します。
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以下、ネタばれあり。



四谷のカメラマンの部屋を、ある男が訪れる。カメラマンはある村を1991年、1993年、1994年、1995年、そして1986年の5回に渡って訪れ、村人にインタビューしたり撮影したりしていた。その撮影したネガを見ながら、2人は当時のことを回想する。その回想シーンがそのまま芝居になっている。
「ある村」とは、チェルノブイリ原発事故の影響を受けた村だ。
重度の放射能汚染により、野菜も食べられなくなり、動物も、生まれてくる赤ん坊も奇形に・・・。
本来ならすぐに避難しなければならないのに、村人たちは一見何事もなかったかのように楽しげに日々を過ごしている。
村の描写が生き生きとしていていい。
水や空気がきれいで、食べ物もおいしく、そこに住む人たちも気持ちのいい人ばかり。
だけど「不安」は彼らのなかに澱のように溜まっていて、原発事故を想起させる女性・リューダの存在を疎ましく思っている(リューダがなぜこの土地にとどまっているかは後半明らかになる)。
査察官が村の汚染状態を査察しにくるはずなのだが、なかなかやって来ない。だから、避難するための助成金も出ない。国の対応があまりにも遅れすぎている。
やがて、汚染はどんどん広まっていき、村人たちは死んだり、その場を去ったりする。
最後までいた女性たちもとうとういなくなり、誰もいなくなった村にリューダだけが残る。
リューダの夫は、原発事故で亡くなった。
リューダも夫も、互いをものすごく愛していた。
リューダは夫がいた場所から離れることができない。
これもひとつの愛の姿、なのか。
村人たちは、放射能に対する知識があまりにない。国は情報を与えてくれないし、彼らも積極的に真実を知ろうとはせず、目をつぶりながら、日々の生活を楽しんでいるように見える。
当然ながら、日を追うごとに事態は深刻になっていく。
放射能」という、目に見えない恐怖に対して、人はどうするべきなのか。
女たちはそこに留まろうとする。だが、こういう場合、「逃げる」ことこそ最良かもしれない。だが、あえて「留まる」者を否定することも、誰にもできない。
深刻な題材を扱ってはいるが、リューダの言うようにこれは「愛の話」なのかもしれない、と思った。
どうしても福島原発事故と切り離して考えることはできない題材だが、書かれたのは4年前だという。
作者は当日パンフで「これはフィクションだ」と書いている。
確かに、これはドキュメンタリーなんかではないし、「ある村」に住む「ある人々」の、生活を描いた芝居なんだ。
その「生活」がリアルに描かれていたから、そう思えた。