現代能楽集Ⅳ『奇ッ怪 其ノ弐』

現代能楽集Ⅳ『奇ッ怪 其ノ弐〜「能」「狂言」から想を得た、ちょっと奇妙で可笑しなお話〜』

作・演出◇前川知大 出演◇仲村トオル 池田成志 小松和重 山内圭哉 内田慈 浜田信也 岩本幸子 金子岳憲
8/19〜9/1◎世田谷パブリックシアター

<作品概要>(公式サイトより)
2010年の紀伊国屋・読売の両演劇賞を受賞し、今最も期待される演劇人として波に乗る前川知大が、11年も世田谷パブリックシアターのために新作を書きおろします。
09年シアタートラムで上演された『奇ッ怪〜小泉八雲から聞いた話』では、小泉八雲の「怪談」から短編を5編選び、「語り物」の手法を取り入れて、1人が物語を語り出すと、たちまちに登場人物がその物語と現実とを自由に行き来しながら、不思議な話を軽妙に表現し「ちょっと恐い」が「笑わずにはいられない」作品を創り出しました。
2011年に手がける今回の新作は、この『奇ッ怪』の手法を使った新作です。
モチーフを小泉八雲から「狂言」と「能」に変え、狂言にあるように市井の人々の滑稽さを楽しみながら、能楽の特徴である、空間と時間を自在に超えて、「情念」と「呪い」の先にある魂の存在を描きます。
古典と現代の時空を自在に行き来し、夏祭りの夜の怪談とでもいうような現実と夢幻が交錯する世界を、前川ならではの不可思議な感覚で描き出します。
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私は09年の『奇ッ怪〜小泉八雲から聞いた話』を観ている。イキウメでの前川さんの、ある意味尖がった部分が緩和され、よりわかりやすくエンターテインメントになったという感じで、とても面白かった。怖い話で、ゾクッとする部分もあったが、笑える部分もかなりあり、じめじめした感じはなかった。
そして今回は「現代能楽集Ⅳ」として、『奇ッ怪』の手法を用い、「能」「狂言」をモチーフに、「死者との会話」「魂の鎮魂」を描いている。


以下、ネタばれあり。



舞台美術やある人々のかぶっているお面などは、能の舞台を彷彿させるが、それ以外は能や狂言っぽい外装はなく、いつも通りの前川さんの芝居。
ある過疎の村の神社を舞台に、複数のエピソードが語られる。
その村では数年前に地震が起こり、地割れと地滑り、地下からの硫化水素ガスの噴出という災害に見舞われ、多くの住民の命を奪った。生き残った住民も去り、村全体が廃墟となっている。
ある日、神主の息子である矢口(山内圭哉)が神社を訪れ、社に住みつく山田(仲村トオル)に出会う。そこに村の再開発を計画する業者の橋本(池田成志)とそのための調査を請け負った地質学者の曽我(小松和重)が現れる。
ガスの流れに足止めされた三人に、山田は物語を語り始める。
交通事故で亡くなった息子を忘れられず、息子が臓器提供した相手を探し出し、会いに行く母親の話。街中で男たちにボコボコにされていた男と目が合ったのに助けなかった男の話。男は気になるあまり、ボコボコにされていた男の生き霊を見るようになる。自殺未遂しようとしていた男を助けた山田。男の話を聞くと、男は妻をうつ病で亡くして以来、精神医療の現場に疑問を持ち、免許もないのにカウンセラーとしてある女性の相談を受けていた。女性に通報され、警察沙汰になってしまった・・・。
山田が話した自殺未遂しようとしていた男の話は、橋本の話だった。橋本はその話を聞くと態度を変え、曽我を連れて帰ってしまう。
だがまた現れる。最初に現れたときと同じ会話を始める橋本。驚く矢口は、橋本も曽我も実は生きた人間ではなかったことに気付く。ここはゾクッとした。
社の周りには、お面をつけた口を聞かない者たちがうろついている。
山田は、彼らもまた自らの死を自覚できない亡霊なのではないかと話す。
彼らの正体を探ろうと、彼らの動きの真似をしてみる矢口。
最後に山田が語ったのは、この村での数年前の祭りの話だった。
社に集まり、祭りの準備のために精を出す村人たち。しばらく村から出ていたが綺麗なお嫁さんを連れて戻って来た青年。いつまでたっても結婚できない小学校教師。親切な近所のおばちゃん。大工作業を続ける男。酒屋の兄ちゃん。みんながワイワイ準備しているなか、神主の矢口は村を盛りたてようと新しいビジネスを考え、皆にもちかける。
そんな楽しい最中に、「あの地震」は起きた。
暗転し、数秒に渡る沈黙のシーン。ここで鳥肌が立った。なんの音も映像もなくても、この暗闇と沈黙が、その災害の凄まじさを語っている。
誰もいなくなった神社。茫然と佇む矢口。ふと、矢口は社の周りをうろついていたお面をつけた人々の動きを思い出し、その通りに動く。何度も同じ動きを繰り返すうち、彼は気づく。あれはあのときこの神社にいた人たちの霊だったのだと。
この最後のシーンでまたゾクッとした。
最後、説明的になりすぎず、スッと終わるのがよかった。