サスペンデッズ『g[ジー]』

サスペンデッズ『g[ジー]』

作・演出◇早船聡 出演◇伊藤総 佐藤銀平 佐野陽一 田口朋子 尾浜義男 白州本樹
8/4〜7◎ザ・スズナリ

すごい戯曲だと思った。世の中のシステム、人の命、そして、今まさに起こっている出来事(原発事故など)。すべては繋がってるんだと思った。
舞台は近未来。人型ロボットが登場し、家庭やお店や牧場など、あらゆる場所で使われている。
葉子(田口朋子)は、牧場で育った。そこにはカズ(佐藤銀平)というロボットがいて、一緒に食用牛を育てていた。
東京に出てきた葉子は、美容師の橘(伊藤聡)と出会う。橘は、美容師以外に、マルチ商法をやっていて、葉子をそれに誘う。葉子はそれに乗せられるほどバカではなかったが、壮大な夢を語る橘に次第に惹かれていく。
ダメな男に惹かれる・・・という葉子の気持ちはわかる。葉子はカズへの手紙に、「彼がダメなほうへ行かないように、私が監視しなきゃ」と書く。
葉子は橘に、マルチ商法をやめて美容師の仕事に専念するよう説くが、橘は「世の中のシステム」について葉子に熱く語る。
「世の中のシステムというのは、上に行かないと権利が獲得できないようになっている。下にいたらいつまでたってもダメだ。だから俺は上に行くんだ。とにかく上に行かなければ人生どうにもならない。ちょっとした日常にも、システムがあるんだ。誰も気がつかないけれど、みんなそのシステムのなかで踊らされているんだ。だからシステムの上に行かなければならない」
というようなことを、橘は言う。
これには確かにそうだ、と思った。「上に行かなければ」ということじゃなく、「すべてシステムだ」ということについて。
それを聞いた葉子は、彼の言っている意味はわかるが、なぜそこまでして上に行かなければならないのかがわからない。だって彼は、「町のみんながくつろいで笑えるような場所を作るのが夢」と言ってたではないか。上に行かなくても、いや、むしろ上なんかに行かないほうが、その夢は実現できるかもしれないじゃないか。橘の言う「下」にいることはそんなに悪いことなのか?この世界は上に行かなければ生きている価値がないのか?いやそんなことはない。上に行かなくたって、何気ないことで笑い合ったり、おいしいものを食べたり、好きな人と一緒にいることで、十分幸せじゃないか──。
・・・というようなことを、葉子は劇中言わないけど、恐らくそう思っている(私の妄想)。
けれど、そんな葉子の想いは通じず、橘は自分の欲のまま突っ走っていく。
そして、金儲けのため、橘の仲間の岡村(白州本樹)は、自分を大切にしてくれたロボットのツジ(佐野陽一)を売り払い、ビジネスの初期費用にあてる。
人との絆(たとえ相手がロボットでも)よりもお金を重視する。これが今の資本主義社会だ。
たえず情報に踊らされ、上を見るよう言われ、周りもそうしているし、自分もそうしないといけないような気がして、前向きに夢を語り、夢やお金のために、大切なはずの絆をあっさり捨てる。
お金を得、「権利」を得ることが、なによりも大事だと思いこむ。そうすることがパートナーをも幸せにする、とさえ思う。しかし、パートナーはそんなことは望んでいない。
橘は葉子に別れ話をする。葉子は本当は別れたくなかったが、互いの価値観があまりに違いすぎて、仕方がなかった。
最後はまた牧場の場面に戻る。
牛が出産される。カズは言う。
「今のこの世界に生まれてきたことを祝福はできない。命ってなんなんだ!」
それでも牛は産まれてくる。最初は横たわっているが、必死で足を立たせ、この世に立とうとしている。
カズの台詞は、まさに今の日本の多くの人が抱いている思いではないだろうか。
原発事故を筆頭に、今の世界は赤ちゃんが安心して生まれてこられるような世界ではない。
けれど、それでも人は産まれてくる。産まれてくる人は、この世界がどんな汚染にまみれているのか、なにも知らない。産まれてくる人を拒否する権利は誰にもないし、生まれてきた以上は、この世界で生きていかないといけないんだ。
命、世界、システム。観終わった後、いろんなことがぐるぐる頭をめぐった。