『秘密はうたう』

『秘密はうたう』

作◇ノエル・カワード 翻訳◇高橋知伽江 演出◇マキノノゾミ 出演◇村井国夫 三田和代 保坂知寿 神農直隆
7/14〜24◎紀伊國屋サザンシアター、7/30・31◎兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール

<あらすじ>(チラシより)
舞台はスイスの高級ホテルのスイート・ルーム。
高名な英国人作家ヒューゴ・ラティマー(村井国夫)はドイツ人の妻ヒルダ(三田和代)と長期滞在している。彼はその夜、若い頃の恋人で女優のカルロッタ(保坂知寿)と久しぶりに会うことになっている。
長年、音信不通だったカルロッタが会いたいと連絡してきた目的は何なのか。
ヒルダは外出し、ヒューゴはカルロッタと食事をしつつ、訪問の目的を探る。カルロッタは、自叙伝にヒューゴからのラブレターを載せる許可がほしいときりだすが、ヒューゴは拒絶。いったんはあきらめたカルロッタは、かつてヒューゴがある人宛てに書いたラブレターを持っていると打ち明ける。
文学界の重鎮になろうとしているヒューゴにとって、それはなんとしても隠しておきたい秘密だった・・・。

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以下、ネタばれあり。

膨大な台詞を交わしながら、互いの心理を探るヒューゴとカルロッタ。どう転ぶかわからない、スリリングな男女の会話にゾクゾク。そこには駆け引きがあったり、昔の思い出や復讐があったり、個々の葛藤があったりする。
なかなか訪問の目的を明かさず、無駄話ばかり繰り返すカルロッタに、次第に苛々してくるヒューゴ。ヒューゴは年を取るにつれ、ますます頑固になり、他者に興味や共感を示さず、冷酷で、孤独を好む皮肉屋になっていった。だからこそ「風刺作家」として有名になったのだ。カルロッタはそんなヒューゴの態度にイラついている。「そういう態度を改めればもっと幸せになれるかもしれない」と言うカルロッタを、ヒューゴは「『幸せ』なんて陳腐な言葉だ」と一笑に付す。二人のやりとりは徐々に険悪になっていき、やがてカルロッタは部屋を出て行く。出て行く間際、カルロッタはヒューゴの「秘密の手紙」の存在を明かす。激しく動揺するヒューゴ。
カルロッタが出て行った後、ヒューゴはカルロッタを呼び戻し、話し合いを再開する。今度はヒューゴの弱みを握っているカルロッタのほうが有利だ。
カルロッタが持っているのは、かつてヒューゴがペリー・シャルダンに宛てたラブレターだった。自分が同性愛者だという事実を世間に知られるのを恐れるヒューゴは、その手紙を買い取りたい、とカルロッタに申し出る。だがカルロッタの目的はお金ではなかった。カルロッタは言う。ハーバード大学にヒューゴの文学を研究している教授がいる。その教授はヒューゴの伝記を書くため、何年もかけてヒューゴの文学に関する資料を集めている。その教授にこの手紙を資料として渡したら、価値ある伝記になるはずだ・・・。
ヒューゴにとっては、そんな手紙を公表されたら、自分の名声が危うくなるから、なんとしてもそれだけは避けたい。だが、カルロッタは態度をはっきりさせない。その教授に手紙を渡すと明言もせず、ヒューゴに「一体どうしたいんだ」と聞かれると、「わからない」と答える。
カルロッタ自身にも、自分がどうしたいのか、なぜヒューゴを訪れたのか、わからなかったのだ。女性ってこういうところがあると思う。自分がどうしたいのかはっきりわからないのに、感情に従って行動してしまう、ということが。
二人の話し合いは全く結論が出ないまま、互いに嫌な思いばかりをして終わろうとしていた。
そこに、すっかり酔っ払って陽気になったヒルダが帰って来る。
一部始終を聞いたヒルダは、自分の人生のこと、ヒューゴと結婚したいきさつなどをカルロッタに話す。
ヒルダはヒューゴの秘密をとっくの昔に知っていた。ヒューゴは一言もヒルダに話すことはなかったのに、ヒルダにはわかっていた。
ヒルダはヒューゴを愛して結婚したわけではなかったし、ヒューゴもそうだ。だが結婚生活を続けているうちに、二人には信頼関係が生まれた。ヒルダは言う。
「今ではこの人は、なにをするにも私に頼り切っているんですよ」
ヒルダに対してときに暴言を吐くヒューゴだが、体を悪くして以来、体調管理でも仕事のことでも、知らず知らずのうちにヒルダに頼っていたのだ。
ヒルダはカルロッタに言う。「あなたがここを訪れたのは、あなたの自尊心を守るためじゃありませんか?」。カルロッタはそれを認める。
ヒルダと話し合ううち、カルロッタのなかのなにかが溶けていったようだ。つまらぬ自尊心にがんじがらめになり、過去の出来事を恨み、パッとしない現実に「こんなはずじゃなかった」という思いに囚われながら生きていたカルロッタ。派手な生き方をしてきた自分とは正反対のヒルダの話を聞いているうちに、カルロッタが追い求めていた漠然とした「幸せ」という概念が覆される。
カルロッタは、ペリー・シャルダン宛てのヒューゴの手紙を、ヒューゴのデスクの上に置き、部屋を出る。カルロッタに向かって「ありがとう」と言うヒューゴ。ヒューゴに微笑みかけるカルロッタ。そしてヒューゴは、カルロッタの自叙伝に自分のラブレターを載せることを許可する。
三人の会話を聞いていて、結局、このなかで一番賢いのはヒルダなのかもしれない、と思った。ヒルダの機転や、ユーモアのセンス、そして人に対する思いやり。そういったものが、事態を収束させ、カルロッタの心も、ヒューゴの心も変えたのだ。
ヒルダがカルロッタを送りに出て行った後、かつてのペリーへのラブレターを読み返し、ボロボロと泣くヒューゴの姿に涙した。ヒューゴのような男にだって、人間的な心はあるし、純粋に人を愛することもできる。固い鎧のように人に対する不信感と警戒心を抱き続け、孤独で構わないと開き直り、カルロッタに言わせると「不幸せ」に生きてきたヒューゴ。そんなヒューゴが、かつての自分を取り戻し、涙するこの場面は感動的だ。そこにヒルダが戻って来る。それでもヒューゴは泣きやまない。そして独り言のように言う。「(ヒルダが)そこにいるのはわかっているよ」。ヒルダは優しく頷く。二人の間に深い信頼関係があることを窺わせるラストシーンだった。