東京デスロック『再/生』デスロックver.

東京デスロック『再/生』デスロックver.

演出◇多田淳之介 出演◇夏目慎也 佐山和泉 佐藤誠 間野律子 石橋亜希子 坂本絢
7/16〜24◎STスポット

2006年に上演された東京デスロックの『再生』は、私のそれまでの演劇観を変えてしまうほどの凄まじい作品だった。
当時の日記はこちら。mixiですが、読める方はどうぞ。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=257728887&owner_id=594039

私は2006年の『再生』がとてもとても好きだった。あの作品の根底にある暗さや、集団自殺する人々、という設定が、自分の性質とマッチしている気がした。そしてなおかつ、「死」を描きながら、そこにかすかに流れる「生」と「希望」を描く、という手法に、「一体なんてことをやってくれるんだ!」と泣いて感動した記憶がある。多田さんという人は、「死」を激しく意識してるんじゃないだろうか、と勝手に妄想したりした。

あれから5年。
世界は変わった。
当然、多田さんも変わったし、東京デスロックも変わった。
もちろん私も多少は変わった。

この作品は、正確には「再演」ではない。タイトルも『再/生』になっているし、内容もまったく変わっている。だけど、テーマというか、「生」や「希望」を描く、というのは、変わっていない。ただ、負の要素がなくなった(正確に言えば社会的な問題が負の要素として描かれている)ことで、初演で感じた暗さがなく、ポップで明るい印象を受けた。
今回はまず、俳優たちに大感動。一体どんだけやってくれるんだ、この人たちは。激しく動く。静止する。踊る。倒れる。そして、同じシーンを繰り返す。汗まみれになってメイクもぐしゃぐしゃで、息をハアハアさせて。彼らの姿を観ているだけで涙ぐんでしまった。
同じ曲が三回かかり、俳優がそれに合わせて同じ動きを繰り返す。
だけど、完全に同じ動きにはならない。
それがスリリングで面白い。
繰り返すうちに、俳優の個性がだんだん滲み出てくる。それを発見するのが面白い。とにかく、俳優を見ているだけでまったく飽きないのだ。
照明も音楽もポップな感じで、より「生」を感じさせるような作品になっていると思えた。
アフタートークでの多田さんによると、初演のときは「不幸」について考えていたが、今は「幸せ」について考えているので、だいぶ違う作品になったとのこと。
確かに、初演と比べると、多田さんがいかに変わったかというのがよくわかる。
冒頭、サザンオールスターズの『TSUNAMI』がかかる。また、途中で「焼肉」についての台詞のやりとりがある。
このことにより、震災を連想した人が多かったようだ。
だがアフタートークでの多田さんによると、「今は震災に触れずにはいられなくなっている」とのことで、どうしても震災について語りたい、というわけではなかったようだ。
少なくとも私は、この芝居が「震災」を直接的に描いているとは思わなかった。
震災だけでなく、様々な問題が個人にはある。
それこそ初演にあったように集団自殺するような人だっている。
そういえば、アフタートークでは、「今は『自殺』について描くのは難しい」という話も出ていた。
震災という大きな問題があって、もちろんそれが直接的・間接的原因で死に逝く人も多い現在だけれども、それでも震災以外にも個々に問題や悩みはあって、震災とは直接の関係はなく死んでいく人もいるかもしれない。
この芝居は、死に逝く人たちと、そこから起き上がり、「再生」に向けて努力する人たちを描いている。特に圧倒的に後者を描いている。生きていることの素晴らしさ、楽しさ、幸せ、希望、を描いていると思った。震災やその他のことなど、死にたくなるようなことはいくらでもこの世にはある。けれど、そこから「再生」し、ただ踊ったり焼肉を食べたり、他愛ない話をしたりする幸せ。なんでもないそんな日常が幸せなのだ。

全く違う作品になったというフランケンズver.も観たくなった。デスロックver. とは、俳優が違うだけでなく、演出コンセプト、台本、舞台美術、音響、照明、上演時間も全部違うと。観たいな〜観れるかな。